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日本人は優秀

 仕事柄、多くの国へ赴いたが、そこで見た光景、経験した出来事から日本人は優秀であるとつくづく感じる。
 例えば、日本人は電車やバスなどの公共機関に乗る際に下車する人を優先できる。外国とりわけ途上国では人々が我先にと乗車しようとして、下車する人が右往左往する場面が良く見られる。同じようなことは車の交通でも起こる。外国ではボトルネックになっている場所や交差点で車が我先に進もうとして、にっちもさっちも行かない状況がしばしば起こる。日本ではまずは待ち、相手に先に行かせ交通を円滑にする配慮が出来るのだ。こうゆうものは大乗仏教や東洋思想が大きく関与していると感じる。
 仕事の仕方を見ても日本人が優秀だと思うことが多々ある。日本人は本人が全く意識してなくても出来ることが多くある。例えば書類をファイルする際、多くの人がパンチ穴をあける位置を都度確認し一定にしているのではないだろうか。外国ではこれが出来ない人がたくさんいる。些細なことだが、この作業が意外と重要で、これが出来ないばかりにファイルから一部の書類が飛び出たりボロボロになったりする。またパラパラと首尾よく紙をめくる作業がやりにくくなる。インデクスの見にくさにも繋がる。そして全体的に記録の参照が非効率になる。日本人はファイルの仕方一つを取っても、他者への配慮と効率性の確保が比較的に出来るのである。
 日本人は英語が苦手な人が多く、海外では不利と考える人がたくさんいる。しかし、英語などたいしてできなくでも海外で仕事や生活している人はたくさんいる。技術力が高いか、現地に溶け込むのが上手だからである。技術力は特殊なものと一般的なものがある。途上国では特殊技術の礎となる一般的な技術(正確な作業を続けて出来るか、後片づけをちゃんとできるか、作業の意味を考えながら作業できるか、2つ先のことを読んで仕事や作業が出来るかなど)が身についていないケースが多い。日本ではこのような一般的な技術は多くの人が自然と身に着けている。他方、一般的な技術があっても、現地の人に対して上から目線では技術移転がうまくいかない。日本人は相手が誰であれ、目ぶり手ぶりも交えて丁寧に対応するか教えることが出来るのである。これだけでもかなりのアドバンテージである。
 戦後、某大国の戦略により日本人の自己肯定感は低くなってしまっている。よく欧米に留学した御用学者やインフルエンサーが英語の話せない人は外国では相手にされないと説明する。この場合、外国は欧米を指す。英語など大して出来なくても生活や仕事は出来る国はたくさんある。恐らくこうした御用学者やインフルエンサーも某大国の影響を受けた云わば既得権益層。彼らの言うことなど全く気にすることなどないのである。
 日本人は実際に優れているのである。だからこそ恐れられている。日本人は胸を張って生きればよい。
 


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