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みんなと同じじゃなくても良いじゃない

 今年も、神栖市の夢のひろばに行ってきた。
 毎年、本当に見事な向日葵畑に仕上がっているなと思う。
 真夏の太陽に照らされた向日葵たち。
 向日葵の花は天真爛漫で強いエネルギーに満ちていて、好きだけど、ちょっとだけ落ち着かない。
 みんな同じ方向を向いて、太陽に顔を向けて輝いている。

 違う方向を見るなんて許さない、と言われているようにも見える。

 何だか、社会の縮図のようだな、なんて場違いにも思ってしまった。
 私は、同じ方向を向いて、力を合わせて物事を成し遂げていく素晴らしさを知っている。
 けれど、今も昔も、周りと異質な特徴を持つ人は仲間はずれにされたり、いじめられたり、陰口を叩かれたり、出る杭を打たれたりと、陽と陰と表現するなら、「陰」の部分もたくさん見たしそれなりに経験もしてきた。
 多様性の時代とはいうけれど、あえて言葉にして表明する必要のある限り、真の多様性の時代にはならないんじゃないかな、なんて思う。
 そんなことをぼんやり思いながら向日葵の中を歩いていると、ひょっこりと現れた異分子的向日葵くん。
 周りは、みんな同じ方向を向いているのに、自由に自分の向きたい方を向いて、精一杯生きている。
 正直、めちゃくちゃ浮いている。
 だけど、何だかとても愛しくなって、その姿を収めることにする。
   

 異分子くんを収めながら、子供の頃の自分を思い出す。
 自分なりに、周りに合わせようとか「オトモダチ」と同じことをしなきゃとか自分なりに頑張っていたけれど、結局浮いていたように思う。
 だけど、きちんと分かり合える友人は少数ながらいたし、寂しくはなかった。
 徒党を組んでしか私に立ち向かえないのか、と冷めた目で見ていたように思う。
 今でも付き合いのある友人によれば、私はやたら考え方が大人びていて早熟だったらしい。そりゃ浮くわな、と思う。
 みんなと違う方を向いているように見えていたって、物事の本質を捉えていれば、そこに気づいた人たちが自然とついてきてくれる。
 それでいい、と思っていたし、今もその気持ちは変わらない。
 ただ、今はそこに社会人としてうまく過ごしていく術を身につけて、荒波の中をなんとか泳ぎ渡っている。

 周りと違くたっていいと思う。
 自分のその特別な視点が、ひょんなことで何かに役に立つかもしれないから。
 ただ、自己中心的になったり、犯罪を犯したり、人を傷つけたりするのはよろしくない。自分のために人を傷つけて良いなんて権利は誰にも認められてないんだから。
 なんか、周りと違うなって感じて、ネガティブな思考に引っ張られている方。
 自分を大切にすることと自己中心的になることは違うということをよくわかった上で、自分を大切にしてほしいと思う。
 自分のことを分析して事実に向き合ってみると、意外と突破口が近くにあったことに気付けたりするんじゃないかな。

 そういえば、出る杭は打たれる話を友達同士でしていたら、友人の一人が、
「打ち込めないくらい飛び出ちゃえば良いんじゃない?」
と言っていたのを思い出した。
 それも一理あるかもしれないなー。笑

ご覧いただき、ありがとうございました。
またお会いできる日を楽しみにしています。 緑川 

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