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数打ちゃ当たる


この話、常々いろんな人にしているので、たまたまこのnoteをわたしの友達が見たりしたら、わたしだってバレそう。

3年ほど前、わたしは当時お付き合いしていたAくんに別れを告げて、とっても落ち込んでいた。
Aくんに未練は全くなくて、「あ、もう、ダメだ別れたい」と思ってから毎日、無事に別れられますように、と思って過ごして、なんとか別れてすっきりだった。
なのに落ち込んでいた。

わたしは昔から、すごく結婚願望が強かった。

中学生の時に付き合った彼氏と高校生1年生の初夏に別れた。
その時に別れを告げようと思った理由は「この人と結婚はできないと思ったから」。
初めての彼氏のときからずっと、「この人と結婚できるかどうか」を考えながらお付き合いをしていた。
彼の価値観、気遣い、物事の優先順位、社会における女性への認識、家族との関係、全部を結婚生活に結びつけていた。
「こういう考えの人だから、わたしの妊娠中にこういうこと言いそう」とか。
「家事は女がするものだと思ってそう」とか。
結婚したいのなら結婚する相手とは早く出会えるに越したことはないし、結婚するつもりのない相手と付き合うことは時間の無駄だと思っていた。

それが正しいとは思わない。
ただわたしはそう思っていた。
誤解されたくないのだが、わたしは「結婚は女の幸せ」とか「結婚はしなければならないもの」とか思っているわけではない。
結婚は人に強制するものでもされるものでもない。
ただ、わたしは結婚がしたいのだ。
自分が好きで好きでたまらなくて、お互いを大切にできる人と、家族になれたとき、どんな気持ちになるんだろう。
なんでもない日々をそんな人と過ごせたなら、どんなに幸せなことだろう。
人生を一緒に歩んでいけるって、どんな感じなんだろう。
恋をして、恋愛をして、その先で「家族」になることに、ものすごく憧れているのだ。
(「わたしたちは家族」という揺るぎない共通認識があれば、事実婚やその他の方法でもよい)

こうして(?)、結構何人もの男の子と付き合った。
その中には、あーほんとにヤバいやつだったなーって、いまだに飲み会でネタにしちゃう(ごめん)ような人もいれば、
本当に素敵な人だったな、て感じの人もいた。
その1人1人全員と、もう付き合う直前の、お互い駆け引きして相手からの連絡とか思わせぶりな態度とかに一喜一憂してベッドで1人でジタバタちゃうあの1番楽しい時期を経て、付き合いたてでお互い舞い上がって友達に報告とかして、毎日が嬉しくて楽しくて、これからの日々への期待でいっぱいのうきうきする感覚を味わい、もう絶対結婚するわ、こんなに大好きで仲良しなんだもん、て思いながら生活し、
やがて何かをきっかけに、あ、この人のこと好きだったけど、結婚は違うわ、って思う時が来る。

いつも倦怠期を我慢できないだけじゃないか?
と悩んだこともあったけど、たぶんそうではない。
今楽しく付き合えればそれでいいじゃないか、ともなかなか思えない。
わたしにとっては、「結婚しない相手」と「好きな人」の両立はあり得なかった。
付き合っている間はいつも、この人が最後、って毎回思っていて、本気でその人と結婚するつもりでいた。

そんなことを繰り返していても、恋愛自体は苦じゃなかった。
1人の人のことを本気で考えたり向き合ったりすることは楽しい。
まあ恋愛体質なんだろう。

そして、Aくんとも別れた。
別れて、わたしは落ち込んだ。
Aくんと別れた寂しさというよりも、今回もまたいつもと同じことを繰り返した自分に落ち込んだ。
Aくんのことあんなに大好きだったのに。
ていうかAくんに限らず、毎回こんなに大好きになって相手のことを本気で考えて、結婚するって本当に思っているのに、
いつか必ず、別れたいって思うときが来てしまう。
飽きっぽいのかな?
もしかして理想が高すぎ?
いや、見る目がない?
ていうか心が狭い?
それとも、人間ってそういうものなのかしら?
これから先も、大好きになる人はきっとまた現れるんだろうけど、その時はもう、自分の「好き」を信じられないと思った。
「今どんなに好きでも、どんなに楽しくても、どうせまた必ず冷める時がくる」と思ってしまうと思った。
こんなん一生結婚できないじゃん。
それとも、好きな人と結婚する なんてやっぱり夢物語なの?
結婚イコール修行とか我慢とかでしかないの?

そんな話を延々と聞いてくれていた友達があるとき言った。

「数打ちゃ当たるよ」

目から鱗だった。
何人もの人と付き合った経験が積み重なっていくことを、悪いことで、恥じるべきことだとなんとなくずっと思っていたが、なんだか、悪く言えば開き直りでしかないのだけど、前を向かせてくれた気がした。
そうだ、そうだよね、数打ちゃあたるわ。
宝くじだって買わなきゃ当たらないし。

とりあえず、もしまた次に好きな人ができたら、「どうせまた冷める時がくる」と悲しむのはやめよう。
将来の不安ばっかり信じて、目先の「好き」を信じられないなんてバカみたいだから。

数打ちゃ当たる。その通り。

なかなか結婚相手と出会えなくても、たとえその人が結局結婚相手じゃなかったとしても、楽しく恋しよう。

我ながらなかなかの誇大解釈。
ポジティブ。

そんなこんなで、信頼する友達からの「数打ちゃ当たるよ」はわたしをだいぶ元気づけた。

数打ちゃ当たるわ。



(冒頭の写真は全然関係ない猫)

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