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ウォーホルの気持ちとバレンタイン 2023/02/14の日記

 昨日はちょっと疲れて日記書けなかったよ〜ん
代わりにツイートを普段と比べて2倍したからそれで……


 帰宅!
 平日だった。だから帰り道みんな忙しそうにしてたのか。

 京都旅行3日目のころにはお金が底をつきかけていたのでなるべく移動は徒歩にしてお寺に座禅体験に。

 お坊さんの話を聞くのに必要な教養のハードルが高すぎる。教科書に出てくるお坊さんで脳のメモリーがカツカツなのにそれ以上の偉いお坊さんの名を出されましても困ります……。

 座禅として一般的にイメージされる、「目を瞑って坐り、無心になる。寝たり煩悩があるなとお坊さんに察知されると後ろからシバカれる」っていうのは日本に3つある禅宗のうち曹洞宗のものらしく、今回行ったお寺はもとより京都の寺は室町の頃の影響でほとんどが臨済宗で、座禅の組み方もやや異なった。臨済宗の座禅では、まっすぐ前を見た状態から1メートルくらい目線だけ落として半分目を瞑った状態にするという。(だから仏像も目を瞑ってない)そんで、座禅中は独自の呼吸法に合わせて数字を数えていく。その途中で集中力が切れたり、思考が止まらなくなって今どこまで数えたかわからなくなったら手で印を結んでいた状態から合掌に切り替えてお坊さんに打ってもらう。というスタイルだった。つまり自己申告制ってこと。
 痛ェ!!!!!!!!痛いしそれぞれの肩に2連撃の計4撃だなんて聞いてないよぉ……。自分の両親はよく学生時代は体罰を受けたなんて聞くが、そんな彼らの遺伝子を継いでいてよかった。自分のような体罰のない平成教育委員会から育った子ならかなりヤバかったはず。しかし座禅の始まった瞬間から感じていた、「え、もう始まり?えーっと、どうすればいいんだっけ」みたいな変にうわついた心はあの痛みで霧散して、それなりにいい座禅ができたはず。

 この旅行では金閣寺みたいな「キレイな場所」にも行って凄いな〜と思ったりしたけど、それ以外に徒歩移動の道中で見つけたいろんな「キレイじゃないもの」を見つけて、おもしろいなと思ったことが多々あった。

バス停に落ちていた糸ようじ。普通こんなとこで落とす?

1日目で行った展覧会の絵たちの作者のウォーホルは

I like boring things.
(僕はつまらないものが好きなんだ)

と言っていて、最初は「面白いもののほうが良いでしょ」と思って半ば「何いってんだコイツ」状態になっていたけど、今ならその真意もわかる気がする。
 当然誰かが作用したものなんだけど、当たり前すぎて、あるいはつまらなすぎて誰も目を向けないものを改めて「発見」することに面白味があるのかもしれない。多分ウォーホルは取り囲む世界の「再発見」が好きでたまらなかったんじゃないかと思う。


なんだこれ


ビル枯山水。すっかり空いた真ん中とそばにさりげなく通るパイプに風情を感じたり感じなかったり。


アスファルトで舗装されてない道。今どきそんなことある?
セールという概念のある自販機と、「さぁ、お前もここへ」と言ってそうなぬいぐるみたち。



離れてみると異世界の文字みたい


小学生の頃は任天堂でゲーム作るのが夢だったな


キレイな写真も撮った

 

絵葉書飾りました


バレンタイン。いかがお過ごしですか?チョコとは縁がない?そっか(笑)
 「チョコもらえないよ〜〜〜〜😭」と嘆いたり、「バレンタインに乗っかるようなんてチョコレート会社の策略に思いっきりひっかかってるんでつが🤓」と斜に構えた態度で望むのはもはや子供じみている感じがしますね。つい最近大人になった自分は大人らしくバレンタインデーと向き合いました。
 というのも、京都旅行の帰りのバスに乗るために行った京都駅にたまたまおぱんちゅうさぎのポップアップストアが開催されていて、そこでたまたま10ピースくらいのチロルチョコセットが売られていました。包装紙が特定のキャラクターになっていることで1個当たりの値段が3倍になっていますね。
とりあえず買った。財布の中にはもう10円玉が8枚だけになった。今月残りどうすればいいんだ。
 帰宅後し次の日。
 もう必要な登校日数も10日を切った学校に行き、同じクラスのそこそこ親しい異性の友達2人に1ピースずつにチョコをプレゼントしました。同性の友達にはあげませんでした。それってなんか違う気がするので……。
 こういう機会にかこつけて他人になんかあげるのって少し変な感じがして面白いです。普段は落ちた消しゴムくらいしか物のやり取りをしないのにいきなり食べ物をあげるって。もしかしたら昔、微妙な関係な人に贈り物をあげることに快感を覚えた人が、バレンタイン司祭にかこつけて「バレンタインデー」になったのかも。それで後の人がそれって気持ち悪すぎるということで「女性が好きな男性に愛の告白とともにチョコレートを渡す」という「意味」が後付けされたのかもしれませんね。

 最近は自分主体で生きていく人が増えたからか、バレンタインチョコも自分用だけ買って、義理チョコも「いらない」とか「迷惑だ」と捉える人が増えてきたらしいです。なんか、寂しいですね。本命チョコはともかく、義理チョコの文化が否定されるのは悲しいです。確かに、「もらえる/もらえない」でもめ事起こすのはめんどくさいし、「あれだけよくしてやってんのに俺って義理なん?」とか言われたらもっとサイアク。カカオの実で頭かち割っちゃう。
 でもこの世界の人間関係ってなんとも名状しがたい関係値であふれてると思うんです。LINE交換したけど「友だち」じゃねーよみたいな。別に「トモダチ」じゃないけど住民の数増やすためにトモダチコレクションで登場させる人みたいな。(任天堂さん、トモダチコレクションの新作いつですか?あとリズム天国も。関係ないけどオルターエゴのswitch版も。)
そんな人たちともっと仲良くなる……のは疲れるから勘弁してほしいけど、それなりに良好な関係であるために潤滑油みたいな感じで「たかがチョコ」をバレンタインデーに渡していきたいですね。

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