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厄災VS人類 2023/02/08の日記

 受験!1教科だけなのですぐ終わったので帰りに映画館寄りました。すずめの戸締まり。公開時は「なんやかんや見損ねそうだな〜」と思ってたけどなんとか見れた。

 ありスパで感想回を聴いてたので、「すずめの覚悟がガンギマり」とか「羊郎(ひつじろう)」については知ってました。確かにすずめは(あんまり他の作品で例えるのも野暮だけど)自分の命を勘定に入れないあたり、仮面ライダーシリーズの城戸真司とか火野映司みたいな感じだなと思いました。こういうキャラがどうして我々と違ってそんなことをしてしまうのかが気になるし、火野映司は実際そういうキャラになるまでの背景が語られてたのですが、すずめもしっかり描写されてて、特に「生きてるが死んでるかなんて運」という言葉に凝縮されてるな〜と思いました。


 最近やたら「結局人生運」みたいな言葉聞くな〜。自分としてはあんまり好きじゃないな、そういう考え。たぶん「シミュレーションにおいて代数が一定数を超えると結果の要因は運とする」みたいなモンなんだろうけど、結局運と結論づけるのって、本質的には「神」が「運」に名前を変えただけなのかもしれないな。「運」に対して信仰じみた態度を取ることそのものはたぶん「運」自体に見放されそうだ。しかしその考え方が「運」を信仰してることのあらわれなのかも。
 もし「運」が全てだとして、その「運」に見放されたらどうすればいいんだろう?僕ら一人の力じゃひっくり返せない何かが世界を内側から指人形ごっこのように動かしているのだとしたら。「運」に見放されなかった世界線をただイメージして恋しく思うことしか許されないのか?


 今日観た「すずめの戸締まり」もまさに「運」のような人の力ではどうしょうもないものに抗う人たちの物語でした。
 人VS厄災(悪意もなく災いをもたらすもの)で自分的にこれまで一番面白いと思ったのは「ジョジョリオン」のラストバトルなんだけど、この映画もVS厄災という点ではジョジョリオンの次に良かったです。
 というのもこの映画はVS厄災じゃなくてWITH厄災がテーマだから……。日本列島の底になんかできちゃった黄泉の国的なのとでっかいミミズ。存在してるけどもうその上に社会があって人があるから共生していくしかないみたいな。With厄災With人。
 自分はエンディングで九州に帰る道中で旅の途中で会った人たちと再開する場面で「あっ、With厄災with人か!」ってなりました。自分はそれまでずっと「VS厄災」だと思ってたので、「これすずめと草太が常世から出られなくなってそのまま要石になるのでは?そうすれば環さんはすずめから解放されるし、多分元人間であろうダイジンサダイジンも役目を交代できて、羊郎の話とも噛み合って円満エンディングじゃん!」って思ってました。

 ここまで色々書き連ねてきたけどやっぱ疑問点が色々出てくるな。ダイジンが草太を最初敵視してた理由とか。小説版買おうかな。

 母と妹はすずめを観て泣いたみたいなんですけど、自分は上のように「VS厄災」で観てたので泣かなかったです。


 正直に言うと、帰り道で「そんなにキスっていいモンなのかァ〜〜〜?オレっちもキスしてェぜェ〜〜〜〜〜〜」という男子中学生以下みたいな感想も抱きました。


 帰宅の電車でスマホの電池が切れてず〜っとボーっとしてました。こんなのほとんどしないから逆に珍しい……!

 なんだって!?グーグル純正のPixelシリーズ最新機、7Proならスーパーバッテリーモードで充電ナシで72時間駆動するんだってェ!?こりゃ今すぐ持ってるポンコツスマホから乗り換えないとなァ!
 スマホ買い替えた〜〜〜〜い

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