見出し画像

【質問箱】読書は娯楽か勉強か

こんにちは。皐月です。
なんかこの始まりの文も、もう少し気の利いたものにしたいのですが全然浮かびません。かっこつけたいんだけどな。

このnoteは、質問箱に送っていただいたテーマに沿って私がつらつらだらだらと回答をしていくものです。
これまでのnoteで全然よくわからなかったところがあったり、全く関係ないけどこういうお題のnoteが読んでみたい、というのがあれば、ぜひお題を送ってくださるとうれしいです。

===

===

さて、今回の質問箱は……

「本を読むときに考えていることとか、読書ノートのつけかたとか、これらが創作にどう繋がっていくのかを知りたいです」

とのことでした。

一応、毎日最低一冊、多い日〈仕事をしたくないとか純粋に暇とか〉には、一日三冊ほど本を読んでいます。

本屋に行くと脳がバグってしまい、値段も見ずに紙袋いっぱいの本を買って財布の中身を溶かしている私ですが、基本的に勉強だと思って本を読むことはあまりありません。

仕事の資料として知らないことを調べる時に本を開くことは、私にとって「読書」ではなく「調査」という感覚があります。
読書はあくまで自分のリラックスであったり、笑いたい、楽しい気持ちになりたい欲を満たすためにやっていることなので……。

基本的に読むのは、下記のジャンルです

・エッセイ
・社会学
・経済学
・哲学
・歴史
・化学
・短歌

小説、読まないんですよね。

高校時代はむしろ小説ばかり読んでいました。夏目漱石や島崎藤村、獅子文六や源氏鶏太が大好きで、今もそれだけは大好きなのですが、現代小説の文体はあまり自分の身体にフィットせず、あまり頭に入って来ないのです。

純粋に私の脳が学生の国語レベルで止まってしまっているのか、単純に好みの問題だと思います。ドラマ化されると「面白いなー」と思って観ていたりはするので……。

小説の時から変わっていないのは「地の文が美しい」か「圧倒的に読みやすい」本が好きということ。また、書いている人の性格がにじみ出ていたり、これはもう筆が乗って止まらなくなっちゃったんだな、と思うととてもニコニコできます。


noteとかを読んでいる時も、そういうところばかり気にしてるかも。

さて、本を読むときに考えていることですが、「おもろ文」を常に血眼で探しています。

読書ノートに書きだすのも、「パワーエピソードだな」とか「この構文、いいな」と思うものが大半です。あとは普通に「わかる」と思ったことをピックアップしています。

例として読書ノートから抜粋してみましょうかね……。


≪モヤる言葉、ヤバイ人≫ アルテイシアさん著


わが人生に一片の悔いなし!来世はチンアナゴでよし!

多様性社会とは「人の生き方を邪魔しない」「余計な口出しをしない」社会である。
良妻賢母になりたい人は、なればいい。それ以外の選択肢も自由に選べること。人それぞれの選択を否定も批判もされないこと。
我々はそんなごく当たり前のことを望んでいるが、ヘルジャパンではいとも簡単に打ち砕かれる。

トラウマを抱えていても心の傷は目に見えない。他人の地獄は外側からは分からない。
かといって「俺の見てきた地獄を三日三晩ノンストップで語ってやろうか」と迫るのは重いし、落ち武者コーデで過ごすのも重い&暑い。
世の中には傷を抱えながら生きている人がいっぱいいて、傷ついた経験を誰にも話せない人や、あえて笑い話っぽく話す人もいる。人それぞれ事情や過去があるのだから、私は「強い」と安易に言わないようにしている。


≪野良猫を尊敬した日≫ 穂村弘さん著


ならないのだ。水曜日が休みに。いつまで待っても。気配もない。
どうしてだ。私は焦った。何故ならない。分からない。私は選挙のたびに思った。
水曜日を休みにすると公約すれば、それだけで絶対勝利できるのに。
何故、誰も云わないのか。政治家は馬鹿なのか。

これから本をいくつ書いたら子どもを一人作って育てたのと同じ事になるんだろう。

≪ハジの多い人生≫ 岡田育さん著


ご承知の通り、お年頃の乙女というものはおしなべて感じやすく傷つきやすく、デカダンでデラシネで、メメントはモリモリ、タナトスもヴァニタスもカラメのマシマシである。

役所に提出された婚姻届けなど紙切れに過ぎない。その人と一番沢山一緒にご飯を食べた相手が、もしものとき誰より先に集中治療室に入るという制度にすればいいのに。



読書ノートを見返していたら、どんどん皆さんに読んでほしい文が溢れてきてついたくさん抜粋してしまいました。こんな感じで「うおおお、アツいぜ」と思ったところを、とにかくただ写経しています。

これが何月何日に読んだ本なのかとか、出版社だとか、そういうのは全くメモしていません。大事なのは書いている人とその内容だと思っているし、それをメモったところで未来の私は「意味のない情報」としてスルーするだろうなと思うから。

なので、読書ノートは開くたびに私をニヤニヤさせてくれる宝物だと思っています。ウケるうちはあまり価値観がアップデートされていないとも言えます。3年前の読書ノートとかを見ると「なんでここを抜粋したんだろう」となるときもあるので。

一冊読んだら絶対読書ノートを書くぞ、みたいにすると、読むのも書くのもおっくうになってしまうと思うので、基本的に読みながらメモりたいところに付箋を貼り、ノートを書くのは、仕事が嫌になってしまったけど手は動かしておきたいときですかね。

面倒くさりな私が何かを続けるためには、「ゆるさ」が必要不可欠なので、基本的には「気乗りしたらやる」というのを守っていきたいなと思っています。

さて、これらがどう創作につながっていくか、という件なのですが……。
基本的に原稿を書くときに読書ノートを見直すことはありません。元気になりたい日のために読書ノートがある。

ですが、読んだり書いたりするうちに、自分の価値観や思想に刷り込まれていって、書いている文章に滲むことはあると思います。

ちなみに、こういうnote書いている文体も、これまで読んできた本が大きく影響していると思います。大きくは星野源さんの『そして生活はつづく』の影響が大きい。こんなふうに文章って弾むように書いていいんだと、10代の私はひっくり返ったので。

なので、「読書を創作に役立てなくてはいけない」のではなく、「読書を通して、いつのまにか自分の血肉になっている」ほうが、気負いしなくていいのではないかと思います。

文章の構成とか、別に分析しなくていい。大切なのはページをめくっているときに「あー、もう読み終わっちゃう、もったいない」とか「面白過ぎていつのまにか読書が終わってた」みたいな、気持ちの揺れだと思います。
そういうのって、分析して作った真似事の文章よりも絶対パワーがあると思うので。

読書の影響が創作に現れるのが、何年後かは分かりません。人生の先輩である作者の方々がそれを身に着けたのだって相当な時間がかかったのだと思います。
だから、別に焦らず「すべての行動を創作に役立てるぞい!」みたいな気持ちは無理にもたなくてもいいんじゃないでしょうか。

普通に、オタクとして楽しもうぜ。

今回はここまで。おやすみなさい。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?