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皐月彩
2022年3月24日 15:56
ピギは、また農作業の毎日を過ごしていた。 新しい星に行けば、ナヒレがあれば、もう少し楽だったかもしれないね、とオドゥールは苦笑した。 でも、そうだろうか。真っ新な大地にただ立ち尽くすより、未来が見えない状況より、ずっと自分たちが耕した畑で、これまでと同じように、また種をまいて生きる。ピギはその毎日が、あの三か月を超えて余計に尊いと思った。 ナヒレで作ったおもちゃや衣服がなくなって、子
2022年3月22日 11:38
どこ。自分は、何を探しているのか、もうわからない。自分がどこから来たのか、よくわからない。 さみしくて抱きかかえる者たちはみんな、自分を見て泣き叫び、逃げ惑い、抱きしめれば消えてしまう。彼らは、どこに行ったのか。抱きしめても抱きしめても、どこかに吸い込まれるような感覚が消えない。 たどり着く場所には、いつも、同じ目があった。自分を見る、嫌悪の目が。そして、彼らの手の中にはいつも、光り輝く
2022年3月21日 16:54
誰かが、泣いてる。出してくれって、誰かって。ピギは、あちこちから聞こえる声に向かって顔を向けた。真っ暗な空間で、ここがどこだか分からない。聞こえる声と同じように、一緒に泣きだしたくなる気持ちが、腹の底から付きあがってくる。「私もいる! 返事をして」 スーツで砲撃をしようとしたが、彼女の体に、すでにスーツはなかった。身にまとっているのは、ケニアで暮らしていたころの、いつもの衣服。 夢を
2022年3月19日 07:47
防御壁を破壊できると学習したローチは、次々とピギが避難させた人々を飲み込んでいった。花の都に、静寂が訪れる。侵攻するローチに対し、様々な結界をはったが、どれもこれもローチに飲み込まれて液状化していく。「くそっ……!」 ナヒレが、生命のバトンたるゆえん。それは、ローチの強さにあった。「トレフブロンは……絶対に負けない」 アニータが息を切らしながら、再び一つになったローチをにらんだ。
2022年3月18日 12:21
「感動的な別れでしたね」 宿の前に座るブリジットが、家族や恋人と別れて戦闘機に乗り込む干川達を見上げて言った。最後の調整をしていたグリーンは、ため息を吐く。「普通、そうやって茶化すかね」「意外ですね。あなたも同意見だと思ったんですが」「さすがに空気は読めるよ。こういう時のは。共感とは別だ」「気づかい、ですか」「そうだ」 検知できないローチがどこに来たかは、地球上で騒ぎに
2022年3月17日 13:56
寝静まった宿の前で、ブリジットは夕食を摂っていた。アニータの母を連れてきたときに、いつもありがとうともらったものだ。いつも、というほど彼女と関わった気はなかったが、美味しそうな湯気にブリジットは手を伸ばした。 ラザニアだ。アニータもよく、ナヒレで出してくれた。同じ味が、ブリジットの口の中に広がった。 肝心の彼女はラザニアを受け取らないまま、射撃練習に向かってしまった。グリーンにスーツを渡す
2022年3月3日 18:50
世界はいつも通りに日々を過ごしていた。百人が行方不明になったことでさえも、世界中に散らばってしまえば些末なものだと言うように。 窓に映るありさも、いつものように仕事をしていた。大手ゼネコンの会議室に座る彼女は、干川の失踪を悟らせないほど、凛としている。ありさは、前を向いて歩こうとしている。自分がいてもいなくても、ありさの日々は続いていくと、分かっている。 自分が目の前に現れ、彼女の手を取
2022年2月27日 11:56
「暴力をふるう可能性のある奴と、議論する気はない」 グリーンは会議をすると誘いに来たピギをそう言って追い返した。 なぜ、彼らは急に干川の味方になったのか、グリーンには理解できなかった。ブリジットまで、会議室で過ごし始めている。彼女は自分の過ごす部屋は自由だと言ってきたが、気にくわなかった。 今度はあんな女より扱いやすい人間を錬成してやる。グリーンは錬成すべき人間の特徴を並べたリストを作
2022年2月26日 07:27
アニータは自室で、絵を描いていた。 まだ見ぬ、地球に飛来する怪物。彼女の想像の中で、それは、黒々しくて、目がたくさんあって、足も、触手のように伸びて襲うような、まがまがしい物体。人間たちが、泣き叫んで安息の地を求めて駆け出している。 安息の地なんて、この地球上にあるのか? そんな不安と期待と、絶望が、すべて混ざった人間の顔は、どんなだろう。少なくとも、アニータには逃げる場所があった。
2022年2月25日 14:13
干川が受話器に手をかけて、十数分が経っていた。 ありさを放置して、何日経ったのだろう。連絡もせず放置され、彼女はすっかり干川に失望している。または、心配で心を崩している。一言声を聞かせて、自分は大丈夫だと言うだけでも、ピギの家族のように安心してくれるかもしれない。 だが、賢いありさのことだ。きっと干川が生きていると知れば、いろいろな手立てを使って彼を捜索しようとするだろうし、なぜ帰ってこな
2022年2月24日 17:51
部屋に、ピギから花が送られていた。 これが何を意味するかは分かる。賄賂とは言わないまでも、一同の中の心証を稼いでいるのだ。世界の終わり。金はもう要らない。ナヒレがある。すでに、必要物資にも事足りている。だからこその、心配り。 グリーンは実験機材にまみれた部屋の中で、彼にとっては無意味な花を、そのままにしていた。ゴミ箱なんて、回収する場所がなければ作る意味はない。無機質の中の、生物。 相
2022年2月21日 13:11
孤児院で暮らす児童数の正確な世界統計はない、とグリーンは言った。私設孤児院の児童数は国営の換算に入っておらず、実態はもっと多いだろうと言う。 孤児院に入っていないマンホールチルドレンなどの数を含めれば、百人の中に誰を連れていくべきかは判然としない。それでも、孤児院に住む児童が最も多い地域から子どもたちを連れてくるのがいいだろう、と調べ始めた。 少し前には東欧が最も割合の多い地域だったが、す
2022年2月19日 18:22
「狼みたい」 アニータは背後から聞こえる干川の唸り声に顔を向け、イスに思いきり体重を乗せた。先ほどまで生気を失ったように疲労していた顔が、自分よりももっとダメージを受けている人間の声を聴いてどこか生き返ったようだ。 ピギは、やめなさい、とアニータを叱るが、アニータは気にも留めない様子で「ピギもひどい顔してる」と言い、ナヒレに触れて化粧品を作り出した。「お化粧って普段する?」「……し
2022年2月18日 10:50
彼らは干川にないものを、それぞれ持っている。 きっと自分たちが選ばれたのは、その性質が異なり、地球人をより多様に残すことができるからなのだろう。なら、自分にできることは何なのだろう。 照明がついていなくても明るい奇妙な部屋の中で、干川はじっと、何もない天井を見上げていた。 アニータとピギの声が聞こえる。 何を話しているのかははっきりと聞こえなかったが、もめているわけではなさそうだ。