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【ナヒレ決議】第十四話 家族・処理・未来

 ピギは、また農作業の毎日を過ごしていた。

 新しい星に行けば、ナヒレがあれば、もう少し楽だったかもしれないね、とオドゥールは苦笑した。

 でも、そうだろうか。真っ新な大地にただ立ち尽くすより、未来が見えない状況より、ずっと自分たちが耕した畑で、これまでと同じように、また種をまいて生きる。ピギはその毎日が、あの三か月を超えて余計に尊いと思った。

 ナヒレで作ったおもちゃや衣服がなくなって、子どもたちはまたおもちゃを取り合う毎日を繰り返していた。そのたびピギは彼らを叱り、ないのなら、自分でおもちゃを作ってみればいいと教えた。

 長男のオグウェノは、あの事件以降、学校に行きたいと言い始めた。自分たちを世話してくれたブリジットのように、きれいな人と結婚したいらしい。ブリジットを子どもながらに口説いて、頭の悪い人間に興味はないと突き放されたようだ。彼にとって初めての失恋だったけれど、彼はめげなかった。強い子だとピギは思った。

 学校。通うだけで、かなりの金が要る。オグウェノが通うのなら、下の子たちだって通いたいと言い出すかもしれない。前までの生活をしていたら、きっとあきらめてもらうように夫婦で説得していた。でも、ピギはオドゥオールの心配を押し切って、頑張って稼ぎましょうと手を取った。
 お金も物資もないけれど、私たちには地球が残っている。一から作らなくてはいけないのではなく、もとからあるものを享受できる。それなら、存分に利用してやろうじゃないかと。

 オドゥオールは、それで貧乏がさらに加速するなら意味がないと言ったが、ピギはちっとも不安じゃなかった。学ばないことで手に入れられるものよりも、学んで手に入れられるものは、もっともっとたくさんある。
 今の自分たちの生活ではなく、未来の子どもたちの暮らしのために、今多少の苦労をすることは、間違ってない。

 干川のように、アニータのように、グリーンのように、自分の学びたいことを学んで、仕事を得て。それも、ここで農作業をするよりも、もっと多くの選択肢を勝ち取って。そんな未来を、作りたい。そんな未来を、繋いでいきたい。

 ピギは刺すように照りこむ太陽を見上げて、汗を拭った。この汗ひとつが、未来につながっている。そうだと思えば、辛くない。

 できれば干川のようにやさしく。できればアニータのように明るく。できればグリーンのようにかしこく。アニータは仲間の話を、寝る前に子どもたちに聞かせた。自分が守りたいものが、はっきりわかった三か月だった。その宝物があれば、ピギはもう、自分の手元に残るものはいらない、そう思えた。

「ピギ! 学校の案内が届いたぞ」

 オドゥオールが未だあまり納得していないような顔で、彼女に手を振った。郵便局員がバイクで去っていく。農場に手紙が届くのは、前にボランティアの人たちが来て以来だ。封書を開けず、そのままオグウェノに渡した。自分で開いて、自分で読んで、そして本当に行きたいかを決めさせたかった。

 学ぶことは、周りのことをすべてやってもらえては本気でできない。あの日々で、自分が学んでいなかったことの悔しさを、少しでも子どもたちに実感させる。意地悪なやり方だけど、それも時には必要だと、グリーンを見て分かったのだ。

 オグウェノは少し泣いていた。でも、ピギもよく理解できない言葉を、読み取ろうと必死だった。これでよかった、ピギは、オグウェノを強く抱きしめて、楽しんできなさいと笑いかけた。

 不純な動機だって、かまわないじゃないか。真っ新な彼の脳に、これから新しい文明が築かれていく。どんな場所でだって、世界は作り上げられる。ピギは、それを分かっていた。

 オグウェノが学校に通い始めて少しして、また手紙が届いた。文字の読めないピギに、オグウェノが分かる単語をつなげながら、彼女に内容を教えてくれた。

 アニータが、ピギたちの戦いをもとにした漫画を、恋人と一緒に刊行すると言う。周囲の人に読ませたところ、一番人気はピギだったと。こんなにやさしい人になら、人類の未来を任せてもいいと、書いてあった。
 添付されたコミックブックに、子どもたちは文字も読めないのに大喜びした。

 自分よりも少し美化されたように思える登場人物の姿は、少し照れくさい。それでも子供たちは、ママ、かっこいいと、心からの賛辞をくれた。

「あなたたちは、きっともっと、かっこよくなれるわ」

 ピギは愛する人々を抱きしめた。そして、本当に言葉の通りの未来が来ると、硬く、信じていた。

「俺はこんなに意地の悪い発言はしていない」

 グリーンはアニータとZOOMを繋げながら、送られてきたコミックのクレームを入れていた。残念だがWEBで既に内容は公開されている。話題も相当なものだと、コミックに疎いグリーンに、研究者仲間が笑って言った。

 グリーンは自分の研究と並行して、ナヒレを宇宙に戻すためのサポートを続けて、煮詰まっていた。そんな中でのコミックだ。アニータだけが確かに歩みを進めている事実は、耳痛い。

 あまりコミュニケーションを取ってこなかった連中までが、コミックを読んでグリーンに話しかけてきた。アニータの写実的な絵が、彼が主人公の一人であることを明確に印象付け、彼は一躍ヒーローになった。もちろん、不本意だ。

 研究室にはコミック信者らしい学生もやってきた。

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 物理学の「ぶ」の字も知らない人間が、彼へのあこがれだけで集まるのには少々違和感があった。現実問題、全然彼らは使えなかった。叱ってみせても、本当に効果があるのか分からないほど、彼らはグリーンの一言一言に喜んでいた。グリーンの頭はそのたびに痛む。

「教授。今教授がIT系の人たちと共同研究しているAIって、あのコミックに出てくるブリジットさんのことですよね?」

「全然違う。あんな奴がコンピューターを支配したら、それこそ人類は滅亡させられる」

「そうですか? 最後、笑ったところなんて、とっても人間らしくてきれいでしたけど」

 やっぱり、あのコミックは廃刊されるべきだ、とグリーンは思った。

 あの事件以降、ナヒレで作ったものはすべてこの世から消えた。彼がナヒレで生み出したブリジットも同じように、一同の目の前から消えた。最後に彼が見た彼女は、彼を送り出した笑顔で止まっている。
 彼女を探すことはしなかった。ナヒレでできたものが消えたと聞けば、彼女が消えたことなんて驚くべきことではない。そう思った。

 そして、グリーンは決断した。ナヒレを超える発明を、自分がしてみせると。物理学一本だったグリーンにとって、その決断は大きな壁となった。文明を作るがごとく、多くの知識が必要だった。皮肉にも、間に合わせの知識ではナヒレがない状態で新しい星で生活をすることなど不可能だったと思い知らされたのも事実だ。何もかも気にくわない。

 グリーンについて回る学生たちが、役にも立たないアイディアをどんどん提出してくるのも面倒だった。彼らに何が分かると言うのか、妄想主義者め。グリーンは研究に没頭した。

 たまにナヒレの力について尋ねては、暖簾に腕押しするような当たり障りのない回答ばかり返されて、いらだった。自分の研究は、これまでのようにすぐに実用化に向けて動き、彼を称賛してくれるようなものではなくなってしまった。成果ばかり見る上の人間は、変わってしまったグリーンに冷たかった。居心地が、悪い。
 でも、それでも、グリーンは研究を辞めなかった。自分を突き動かすものが何なのか、学生たちはその答えを彼に求めたが、彼は答えなかった。
 いや、答えられなかったのだ。こんなにも夢中になったのは、子どものころ、万物が物理学によってなされていると知った時以来だった。

 だがその発見は覆された。グリーンの知る原理を超えて、生きる生物がこの世に存在する。その驚きと、自分の無知への羞恥心だけが、彼の手を動かし続けていた。

「あんなコミックが紙切れになるくらい、もっと面白い発明をしてみせる」

『いいねえグリーン。それでこそファミリーだ』

 アニータは笑った。
 つまらない冗談だ。自分が最も、あの四人の中で優れていた。そんな自分が、変えられない未来なんてない。グリーンは、今日も研究を続けていた。

 干川が三か月間仕事を無断欠勤したことで、現場は相当な迷惑をこうむったことは、説明しなくても分かるだろう。それでも、大企業であったことが幸いして、業務は干川がいてもいなくても回るのだと分かった。

 なら、絶対必要でない自分が残る必要はどこにあるのか? 干川は数日間自問自答し、それでも、会社に戻ることになった。事件のことはもちろん世界中の話題であったが、それでも減俸処分は免れなかった。だが自分が必要でなくても、彼にはこれから続く生活がある。

 ありさと、結婚することになった。

 突然のことで、式の日取りを決めるところではなかったので、とりあえずは入籍だけ済ませていた。別々だった家を一つにして、少しだけ生活は減俸したとはいえ楽にはなっていた。
 給料が減り、新しく任されそうになった仕事は他の人に奪われ、新卒と同じような、役に立たないことを前提としたルーティンワークをこなしながら、干川はそれでも生き続けていた。

 プライドはズタズタだった。それでも、ありさが、死ぬよりはましよと笑い飛ばしてくれた。だから、干川は歩みを止めずにいられた。彼女を守ると決めたのは、間違いではなかった。干川は、彼女を前より一層、愛していた。

 そんな彼の状況を変えたのは、イギリスからの一通のメールだった。ナヒレを宇宙に戻すための事業確立を手伝ってほしい。自分のテリトリーとは全く違う仕事の依頼に、思わず国際電話までして尋ねた。

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「どうして僕が? 僕にできることなんてないよ」

「こんなバカみたいな依頼、お前以外に受ける奴はいない。だから頼んだ」

 すぐに金にはならなくても、自分は国から金を貰って研究をしている人間だ、心配するなとグリーンは淡々と説明した。

 建築部門だけを担当して、できることと言えば、その管理位のものだった。海外に行くとなれば、その頼りないノウハウも意味をなさなくなる。金の心配だけじゃない、潰されかけたプライドまでも、もう一度、危険にさらされるのだ。

 だが短気なグリーンは、その場での回答を求めてきた。
 自分には恋人もいると言うのに、彼はそんな私事なんて、気遣ってはくれない。前と変わらない、自分のことばかりの彼らしい要求だった。

「今やってる仕事なんて、新しい星に行ったらなくなってたものだろ。何を怖がることがある」

 言葉に詰まる干川に、グリーンの言葉のビンタが飛んできた。全てを捨てて、新しい場所に。掴みかけたものでさえも捨てて? 干川の脳裏に浮かんだのは、やっぱり、ありさの顔だった。
 彼女は仕事を捨てて、自分たちがやっと築いた生活も捨てて、一緒についてきてくれるだろうか?

「お前、何度同じこと考えるつもりだ」

 グリーンの言葉は、もっともだった。
 真っ新な、何もない大地に、ありさはついてきてくれると言った。それで、結果は分かっていた。

 干川は思わず笑った。そして選んだ。真っ新な星を。自分の未来を。

 実際、ありさはかなり怒った。それでも、呆れながら、彼女は干川の手を取った。二人の未来はまだ見えなかった。でも、それはどんな選択をしたって、いつだって、分からないものじゃないか。

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