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人はつながり合うために欠けている。

完璧な人間なんていないとよく言う割に、相対的に誰かと自分を比較して足りないと感じたり、自分なんてと責めて、もっと頑張らなきゃ、もっとお金も、地位も、名誉を手に入れて承認されれば満足できると勘違いして努力する。頑固になって、自分を追い詰めて糸が切れるまで張れば張るほど、自分らしさから遠のき、心はいつも渇望して、モアモア教の信者になってしまう。

今の現代社会は、外から植え付けられた情報に溢れている。この世界は危険で、周りは敵で、君はまだまだ足りてない。もっとこうした方がいい。こうすれば愛される。幸せになれる。そのために、これを買うべきだ。これも買いなさい。と脅され恐怖を刷り込み、アナタをコントロールして洗脳する。幸せは外にあって手に入れるものだと思い込まされる。

人間はなぜ完璧ではなく、欠けた不完全な存在として生まれてきたのか。
それは、人の間と書く生き物なだけに、欠けているからこそ繋がれるのだと思う。唯一無二のデコとボコがあり、デコで誰かの役に立ち、ボコがあるから誰かに助けてもらったり、誰かの得意を活かす機会になる。自分の強みを自認するのは容易いが、醜い弱みを認めてそのまんまを貫き通すのは勇気がいる。色んな失敗をしたり、弱みを消そうと無理したり、傷ついたり、どうして良いか分からなくなるほど生きることに悩んだりして、それでも弱さも自分らしさの一部で自分と共にあることを知る。そんな自分の弱さも受け入れて、認められる人こそ本当の強さを宿した自分にも他者にも優しい人間だと想う。

誰かに土足で自分のサンクチュアリに上がらせてはいけない。一人ひとり誰にも侵すことのできない聖域がある。人は相対的に誰かと比べて幸せになるのではなく、誰になんと言われようと自分が幸せに感じるならそれがしあわせなのだ。

周りから「幸せそう」と思われることが幸せではなく
自分は「いま幸せ」と心の底から感じられるものが
本当の幸せです
人との比較で感じる「幸せ」は優越感であり
人との比較で感じる「不幸せ」は劣等感です
誰になんと言われようと
自分が幸せならそれでいいのです

マノマノ🌾

欠けてることは悪くない。
生まれたそのまんまの姿で足るを知る。
人と人が繋がるために、
僕たちは欠けた不完全な完全体なのだと思う。

永遠にそのまんまで行こう。

人生テトリスはつづく

全身全霊で贈り人します‼︎