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風が吹く街、東京


3月初め。


わたしは東京のど真ん中に立っていた。



わたしにとって、初めてのひとり旅。

不安とわくわくが詰まったスーツケースをひきながら、人混みを縫うように歩く。




わたしのことを何一つ知らない街。

田舎者丸出しなことはわかっていても、目に焼き付けたくてあちこちを見回す。


東京に来たのにはいくつか理由がある。

その一つが、東京に住む親友に会うためだ。

気付けばもう8年の付き合いになる。

美味しいものを食べてくだらない話をしながら、ついきらきら輝いている親友が眩しくなる。お互いに人生のどん底にいた中学生時代を共に過ごし、傷つき傷つけながら必死にもがいて生きてきた。夢を叶えようとするあなたを妬んでしまったこともある。
でも、今は違う。わたしはわたしを生きられるようになった。


夢を叶えるために来た東京、楽しそうに近況を話すあなたの夢が、どうか叶いますように。

この日の東京は風が強かった


二つ目の目的地は、神保町。
本の街をひたすら歩く、歩く。

気になった本を手にとってみたり、お洒落な雑貨屋さんに入ってみたり。

レターセットを一つ買い、お目当ての喫茶店に入ってナポリタンを食べる。
クリームソーダが弾けて、私の心も弾む。ファンレターを書き上げて店を出た。外はまだ春の風が強く吹いている。

夏が待ち遠しくなる青


劇場の入り口でファンレターを預けて、自分の席を探す。神保町の劇場に、大阪時代追いかけていた芸人を見に来たのだ。

この日の公演は、お笑いをお客さんが評価して順位をつける公演。純粋にただ笑ってみていたいわたしにとっては少し心苦しい。お笑いを好きになれば好きになるほど、応援したい人が増えて、賞レースは見ていて辛くなる。だけれど、切磋琢磨して生まれるものがあることも、喜びと這い上がる悔しさがあることも、知っている。みんなみんな、一生懸命できらきらしていて、そこにおもしろさと憧れが詰まっているのだ。




その夜、渋谷を一人で歩いた。


実家にいるときは、暗くなる前に家に帰らないと叱られ、親の付き添いなしでライブや都会に行くことなんてもってのほかだと言われていた。母がわたしをどれほど大切に思っていたかはわかっている。しかし、中高時代、友達と遊びに行き、一人だけ早く抜けて急ぐ帰り道がどれほど寂しかったか、母は知らない。


大学生になって家を出て、夜のお笑いライブに行く時、ライブハウスに行く時、わたしはわたしの人生を生きているんだと実感する。真面目だったわたしの、一種の反抗期なのだと思う。難波でキャッチを振り払ってスキップで帰ったあの日は、ものすごく自由だった。


夜の渋谷はちょうどいい雑音が響き渡り、一人でいても寂しくなかった。

見上げても届かないほど大きなタワーレコードに行き、片っ端からCDを試聴し、大好きなバンドのサインを眺めたり、スクランブル交差点で行き交う人々を意味もなく眺めたり、眠らない街を歩いた。自由の風が確かに吹いていた。

あまりにも綺麗で、青信号を何度も逃した


わたしはいつも、こう言ったらどう思われるかな、この言い回しなら傷つけずに済むかな、
と不安が先行して、だんだん話すことが苦手になってきて、
「ごめんなさい」「すみません」の二言でたいていの会話を乗り切っている。

親友にさえ、気を遣わずにはいられない。誰とお出かけしても、帰ってくるなり一歩も動けなくなってしまう。心が、体以上に疲れてしまうのだ。


そんなわたしにとって、この旅は人生で一番、自由な時間だった。


美術に詳しくないくせに腕を組みながらアンリ・マティスを鑑賞したこと、代々木公園の早咲きの桜の下で益田ミリのエッセイを読んだこと、決めていたスケジュールを突然変更して、どこでも飲めるスターバックスを飲んだこと。
わたしは忘れない、忘れられない。

移動中ずっと読んでいた大好きなエッセイ



就活では、東京の進路を第一志望にすることに決めた。

今回東京に行った最大の目的は、ここで生きられるかどうかを見極めることだった。

綺麗なものだけではない街だと知っている。
そのダークな部分に生きる子どもを救うために、東京を目指すことに決めたのだ。




2年後、どこで春を迎えられるだろう。

またこの街で笑っていられますように。
それまでわたしは負けない、負けたくない。

きっと戻ってくるからね

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