#4【世界一悲しくて、世界一幸せ者】

それからの1ヶ月は、忙しかった。
 
 
当時おばあちゃんは、母の弟夫婦と同居していたのだが、
0歳児と4歳児を抱えながら
癌患者の面倒を見る、もしくは見てくれと
お嫁さんにいう訳にもいかず、
結局うちの家におばあちゃんが住むことになった。
 
 
それを提案したのは、父だった。
 
 
父は、もちろん、おばあちゃんとは
血の繋がりはない。
 
 
母親が提案し、家族を説得するのではなく
父親からその解決案を提案したのだ。
 
 
「どう考えても、うちんちが一番環境がいい。
子供も大きい、手がかからん、大きい病院も近い。
犬も飼っているからアニマルセラピーにもなるかもしれへん。
ちなつが潔癖だから、衛生面も問題ないし
5人で生活してるから、一人分の食い扶持が増えるぐらい
何の問題もない。うちやない理由が考えられない。」
 
 
いつ振り返っても
この提案と決断と漢気は、
 
 
父親ながら惚れる。
 
 

それからは病院の推薦状をもらったり、
祖母が過ごしやすいように手すりを取り付けたり
新しく祖母のために家具を買ったり
 
 
全てが父主導だった。
 
 
「お父さんは、器用やないし、
おばあちゃんからしたら他人やから
介護はせんほうがええと思う。
でも、こういうことは、お父さん得意やから
せやから、他のことは任せる。
ちなつは人の気持ちを考えて動くことが得意なんやから
ちなつ自身も後悔せんように、
おばあちゃんとの時間を過ごしなさい。」
 
 
お手洗いに手すりをつけるお手伝いをしていたときに
父に言われた言葉だ。
 
 
父親ながら、惚れる(2回目)。
 
 
私が、おばあちゃんっ子で
母の次にダメージを受けていることを
よくわかっているからこそ
こういう提案をしてくれたのかもしれないと
今になって思う。
 
 
心から愛する人が目の前で、弱っていく辛さ。
死ぬ間際に、どうしても問題は出てくるもので
それで喧嘩する両親や、祖母を近くでみた。
 
 
私は、このおばあちゃんとの生活が
この上なく悲しかった。
 
 
でも
 
 
大好きなおばあちゃんと一緒に住める。
8人いる孫の中で、一番濃い時間を過ごせる。
 
 
私は幸せ者だった。

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