日記 2024年7月1日(月)~7月7日(日)
7月1日(月)
月が替わって7月。2024年も折り返しです。
年始にやろうと思っていたことを一つもやっていません。
もはや反省することすらしません。そういうものです。開き直ります。
劇作家協会の戯曲賞の締め切り日。
先週のうちに提出してしまうつもりが結局締め切り日。
まったく準備ができていない。印刷するところから始める。
そして、こういうとき、ほぼ間違いなく、いや絶対に、不調を訴える機器、それがプリンター。
印刷ができずあれこれ調べるも不調。
いい加減アタマにきて「このバカプリンター!死ね!」といってひっぱたいてみたりする。うーん、昭和脳。
騙し騙し数時間かかって印刷終了。
言わんこっちゃない、だからもっと早くやっておけばいいのに。
その後もなんやかんやてんやわんやあったのですがそこは割愛します。
今回は1次通るといいなぁ。どうしても1次通りたいのでだいぶ書き直したんだけど。どうかなぁ。。
まぁ人が決めることだからな。考えてはみるけど正解は分からん。
7月2日(火)
帰還不能点2024稽古6日目
今回の公演は再々演になるわけですが、白馬さんは実は初めての役だったりします。
帰還不能点~戦争六篇版では、初演で浅井くんが演じた役を、今回はマーくん(村上誠基さん)が演じた役を引き受けています。
フツーに馴染んでいてフツーに芝居もできてるのでフツーにそのことを忘れてしまいます。
今日は中盤のシーン。白馬さんの役にとってかなり重要度の高い部分の稽古。とにかく果敢にアイディアをぶつけていく白馬スタイル。相手役の西尾くんもそのアイディアに相乗りし、抑えるどころかその上をいくテンションでぶつかってくる粟野さん。
ふぃーっ!カオス!
面白いところを残しつつ、雑音になりすぎる部分を削る作業。
演劇っておもろいなぁ(by緒方晋)
全然関係ありませんが白馬さんのうなじ写真を献上いたします。
妙に艶っぽいんです。うまく撮れなくて悔しい。。
7月3日(水)
新しい紙幣が流通し始めたそうです。
回ってくるのはいつごろでしょうかね。
福沢諭吉が一万円として登場してから40年。基本的に明治時代の人物がお札になっています。そのうち昭和の人が紙幣になることもあるかしら。
美空ひばりとか?長嶋茂雄とか?
少なくとも安倍晋三ではないでしょう。
まぁ、その頃にはもちろん生きてませんし、そもそもお札があるのかどうなのか。
何かのイベントで発行される記念紙幣みたいな感じになってるかもしれませんな。
そんなわけで、
7月4日(木)
帰還不能点2024稽古8日目。
稽古も終盤のシーンに差し掛かり、今日は話し合いがメインに。
今回少し方向性を変えている部分があるので、その変化を各々の役がどう受け取っていて、それによって何が変わるのか、変わらないのか。また、基本部分に立ち返っての確認などなど。
話したいことはいっぱいあるわけだけれど、なかなかそこに時間をガッツリ使えることはない。一応、完成型を持っている再演の芝居だからできることかもしれない。
結構、忘れていたり、雑になっていたり、考えを変えないといけない部分があることに気がついたことでとても演りやすくなった。
7月5日(金)
帰還不能点2024稽古9日目。
衣装合わせと稽古。
衣装は基本的には初演から変わっていないのだけれど、都度、若干のマイナーチェンジや直しが入る。
今回の目玉案件は「デカくなった東谷くん、衣装入るのか問題」だったのだけれど、そこまで揉めることなく解決したようで何より。
衣装をつけてズラリと並ぶと帰還不能点が帰ってきました。という感じになる。帰還不能なのに。
7月6日(土)
帰還不能点2024稽古10日目
稽古冒頭、演出より「暑いし皆さんお疲れのようなので明日は稽古休みにします」というお達し。
狂喜する人々。
細々と演劇を続けているが「暑いし疲れてるから」という理由で稽古が休みになったのは初めてだ。
「今日は頑張るぞ!」(「今日は」?)と気持ちも高まったところで冒頭からラストまで部分通しを繰り返し。
途中、激しい雷雨によってより劇的な芝居になったりならなかったり(笑)
例によって本日もよく遊びよく笑いよく学びな稽古場でした。
次回稽古からはいよいよ通し稽古!
7月7日(日)
稽古がオフになったおかげで朝子さん出演のアトリエセンターフォワード『風の上で眠る』を観にいくことができました。
矢内さんらしいユーモアと社会への視線が融合していて面白く観ました。
昭和後半生まれの僕は、現代の世の中の何とも言えないヌルリとした希薄さ空虚さに気味の悪さや恐ろしさを感じています。
今回の矢内さんにしても、ちょっと前に観たモダンスイマーズの蓬莱さんにしても、それらに対して「昭和的解決法」を提示していたように思います。
それはすごく単純なことで、大きな声で歌うとか叫ぶとか全力で走るといった、今の世の中では蔑まれたり敬遠されている方法です。そもそも決して万全の方策ではありません。でも、そういった行動は人間として押し殺してはいけない部分を表出させ自覚するのに適した方法だと思うんです。
今、そういうことってとても大切なんじゃないのかな?
実は、どうしても「昭和的解決」のシーンがやりたくて『繭の家』を書いたのです。まぁ、大人の事情であえなくカットとなりましたが。悔しくて泣きましたが。今でも悔しいですが。
そんなわけで、形としてその思いが表現されていた両作品に嫉妬と尊敬の念を抱きました。
選挙に行きました。
若い人たちはいったいどういう答えを求めているんだろう。
そのことについて考えています。
この先とても面白いことになりそうです。
それは決して人々にとって幸せな道ではないと思うけれど。