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旅人への推薦図書

私の周りには読書家が多い。特に外国で出会った人たちに多かった。
職場の同僚、旅先のホステルで知り合った人、飛行機で隣に座った人。過ごした時間の長さに差はあるものの、好きな本を薦める相手との間には信頼関係が存在していると私は考える。

この人とは好きな物を共有できるだろう

というある種の期待でもある。

今日は外国で出会った人の中でも特に、本と共に思い出す人たちについて書こうと思う。

▽シンガポールの同僚

私より1年早く入社していたE先輩とは、一緒に働いたのはおよそ半年ほどだった。当時私は20代前半、先輩はおそらく一回りほど年上だった。何をきっかけに仲良くなったのか覚えていないが、ある日からほぼ毎日一緒に食事をしたりお茶をしたりするようになった。

「私は実家には居場所がないから」

シンガポールを出たらどうするのか聞いた時、そんなことを言われた。日本にはいられないから、シンガポールの次もどこか外国に行くと思う、と。シンガポールに来る前はイギリスにいたそうだ。悲壮な話でも深刻な話でもなく、ただ「人生の物語」として話してくれた。当時の私の人生には物語がなかった。ただ黙って先輩の話を聞いていた。

それから、先輩は私に本を貸してくれるようになった。
特に印象に残っているのがこの2冊。

北朝鮮政府をめぐるスパイ小説。

小料理屋「つる家」を舞台にした時代料理小説。主人公の料理人 澪が健気で一途で愛おしい。

『プラチナ・ビーズ』だが、当時の私はスパイ小説というものを読んだことがなく、読み始めの感想は「なんだこの社会派小説は」だった。様々な思惑渦巻く北朝鮮政府中枢、翻弄される不遇の国民、果たしてスパイの目的は……!という気持ちのまま読み進めたが、読み終わってみると冒険小説でもあることに気が付いた。先輩がこの小説を好きな理由もなんとなく分かった。

『みをつくし料理帖』は今でこそドラマ化、映画化された人気作品だが、当時は5巻くらいまでしか出ていなかった。
先輩がシンガポールを去り、そして私も去り、お互い離れてしまった後でも時々先輩のことを思い出せたのはこれがまだ続いていたからかもしれない。帰国する度に新刊が出ていたので、買っては読み、先輩に感想のメールを送っていた。

そんな料理人の物語は10巻『天の梯』(2014年)で完結している。

ところが2年前に特別編として、登場人物たちのその後の物語が出版された。

著者の高田郁さんは「今後みをつくし料理帖は書かない」と仰っているので、これで本当に澪たちの物語は終わったのだ。

先輩はあれからインドへ渡り、恋人と共に物語の続きを生きている。
しばらく連絡をとっていないので近況は分からない。久しぶりにメールしてみようかな。

▽角煮の香港カップル

私はいつも中国から飛行機に乗る時、本を持って行く。もちろん時間をつぶすためでもあるが、もう1つ理由がある。


話しかけられないようにするためだ。


一度、隣に座ったおじさんからしつこく話しかけられたことがある。彼は最初私のことを中国人だと思ったらしく中国語で何やら話しかけてきた。多分南の地方の方言だったと思う。
中国語がそこまで理解できなかった私はカタコトの中国語で「もう一度言ってください」と返事した。

それを聞いて、おじさんは「中国人じゃないのか」「どこから来たのか」「中国には何をしに来ていたのか」等々、着陸時まで延々と話しかけてきたのだ。

それ以来私は日本語の本を持って乗ることにした。

ロビーでの待ち時間の間にすでに読み終わっていたとしても、機内で読み返す。
隣に座った中国人に対して「私は日本人です」アピールをするのだ。このアピールの甲斐あって、最近はあまり話しかけられなくなった。

その日も中国から日本に戻るところだった。

私の隣には若いカップルが座ってきた。
若い人が話しかけてくることは滅多にないが、念のために持っていた本を開いて読んでいるフリを始めた。

しばらくすると、何やらカップルがこそこそと話し始めた。何となくだが、ちらちらとこちらを見ている気もする。

そして案の定、話しかけられた。

すみません、席変わってもらえませんか?

綺麗な英語でそう言われた。

断る理由もなかったので荷物を持って席を移動する。
すると、それまで中国語で会話をしていた彼らが急に英語で会話し始めた。

何のアピールだろう。

盗み聞きはしたくなかったが何となく気になって会話に集中してしまう。

Kakuni, Ramen, Gyudon...... Ippudo? Kakuni? Kakuni!

どうやら日本での食事について話しているようだ。
妙に角煮を連呼している。一風堂で角煮?

……もしかして私へのアピールだろうか。

さっき移動する時にパスポートも持っていたので、それを見て私が日本人であると確信した彼らは何か話したいことでもあるのだろうか?だから英語で話し始めたのか?

意を決して彼らの方を見る。
彼らもこちらを見ていた。
おそるおそる「一風堂?」と聞くと、彼らは途端に笑顔になった。

そこで、彼らが香港人であること、日本へは婚前旅行のためであることなど教えてくれた。ラーメンが好きだから一風堂にまず行きたいけど、豚の角煮も食べてみたいのでどこで食べられるのか、というようなことを聞かれた。私は角煮がどこで食べられるのかはよく分からなかったので、いくつか和食のお店を教えた。

彼らは私が中国で仕事をしていると言うと「大変だね」と同情してくれた。
それから「どうして中国に行こうと思ったの?」と聞かれた。正直に答えられなかったのは言うまでもない。立派な志などなかったのだから。
それでも何とか理由を探した私は持っていた本を盾にした。

「私、怖い話が好きで、世界中の怖い話を集めたくて……」

その時持っていた本がこれ。

別に、それは嘘ではなかった。怖い話が好きなのは本当だし、世界中の怖い話を集めていたのも本当。ついでに中国の怖い話は残酷極まれりというえぐいものが多い。

彼らは

作家さんなんだね

素敵な勘違いをしてくれた。
慌てて「集めているだけで書いてはない」と言うと、それでも嬉しそうに、「実は僕たちも怖い話が好きでたくさん知ってる」と、香港の怖い話を教えてくれた。
いつか作家さんになったらこの話書いてね、と。

私はお礼に持っていた本をプレゼントした。
『異界ドキュメント 白昼の生贄』
漢字から本の内容だけでも察してくれただろうか。幽霊の怖い話だけではなく裏社会の怖い話も載っている、私のお気に入りの一冊だ。彼らは日本語を勉強していると言っていた。いつか読んでくれたらいいな。

そして、この出会いからしばらくして私は本当に怖い話を書くようになった。単著ではないが本も出版された。

彼らから聞いた香港の話も、いつか書きたい。
それがベストセラーになりますように、なんて身の丈に合わないような望みは持っていない。ただ、誰かがその本を旅行のお供に連れて行ってくれたら幸せなことだと思う。

(私が中国で働く理由を胸張って説明できなかった訳はだいたいこんなところ↓)

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