フルリモートでは思い出ができない(毎日を思い出せない人間の誕生)

以下は2022年9月頃に書いた文章だ。

コロナ禍に入ってから、私はずっとフルリモート。
通勤せず自宅で働いている。非常に快適だ。

一方で毎日がとても空虚なものに感じてしまう。
スカスカな毎日。

思い出とは記憶というカテゴリの一ジャンルだと考えている。
記憶の中でも、味わい深いもの。幸せな気持ちになったり、ノスタルジックになったり、ふふっと笑ってしまったり、あるいは胸が突き刺さされるような感覚を覚えたり、思い起こす度に何度でも味わえる記憶のことを、私は思い出だと理解している。

そんな思い出がフルリモートになって激減したのではないか。
出社していた時は会社の人と食事に行くことがあった。会社近くのラーメンを一緒に食べたことを覚えている。
「このラーメンを食べると、脂っこいからか、後日ニキビができてしまうんだ」
一緒に行った人が話してくれた些細な会話だ。ただ、それも今となっては、あの一瞬にしかない、もう戻ることのできない過去だ。

仕事が大変だった時、いつも目の前に座っていた一個上の先輩の姿を覚えている。脇に汗をかきながら(若干黄色くなっていたことすら覚えている)、時にイライラしながら、時にちょっと昔のJ-POPを口ずさみながら一緒に仕事をしていた。あの頃の私は一年目で何もわからなかったが、先輩に助けてもらいながら一日一日を乗り越えていた。

毎日はビッグイベントの連続ではない。しかしそれでも思い出はできる。
先に書いたようなニキビの話や脇汗といった、その時は「これはずっと記憶に残るだろう」とは思えない、とても些細なことがいつの間にか思い出になっている。

誰かと一緒に食事をすることだけでなく、その人の癖や匂い、顔つきや服装などを直接感じ取ること。五感を使うことが思い出につながっていく。

リモートワークになって、私は五感を使うことが大幅に減ったのだと思う。
もちろん、チャットや通話などで同じ仕事をする人達と交流することはある。
だが、それは五感を使っていないから思い出にならないのだろう。
そしてそんな思い出のない日々を過ごしているからこそ、私は毎日を思い出せない人間になり、結果スカスカだと感じるのではないか、と。

このご時世、むやみやたらに外に出るのは、せっかくフルリモートを提供してくれているのに申し訳ないし、また私自身もあえてコロナに感染したいと思わない。
ただ、たまには友人などを食事に誘って、五感で楽しむ時間を作っていくことが必要ではないだろうか。

2022年9月現在もコロナについては難しい状況ではあるけれど、少しずつ思い出を作って毎日を濃くしていこう。

今になってこの文章を見直すと7ヶ月くらいで状況が変わったように思える。
マスクを着用しなくても良い場面が増えた。

そのような状況で過去を振り返っているので感覚が当時とは異なるのかもしれないが、果たしてフルリモートで本当に思い出ができないのだろうか、と疑ってしまう。
去年は自分なりに趣味の資格に挑戦したり、新しいことを始めたりと、確かに他者との思い出はないものの、自分についての思い出はしっかりと存在している。
フルリモートの影響は少なからずあるだろうが、結局は自分で行動するかどうかなのだろうと思った。

コロナ禍が始まって、なんでもかんでもコロナのせいにしすぎている。コロナは何も言わないし、コロナのせいにしても誰にも怒られないから。
たまには自分のせいにしよう。

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