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【小説】 超能力ノート (4)


 吉野は後悔の念に苛まれていた。テレパシーを使えるのに、中条教授の殺意を見抜くことができなかったからである。たしかに、あの日は何かが変だった。何かもやもやしていて、研究所に教授が現れた時は、灰色の海でも見ているような心地になった。寒々しく、茫洋としていて、むなしい感触だ。もしかしたら、ドミネーションにかけられた状態だとテレパシーが通用しないのかもしれない、と吉野は後になって考えた。

 捜査陣は超能力者の関与について懐疑的だったが、300冊のノートを奪った者がいると仮定し、捜査を進めた。

 教授がドミネーションにかけられていたとして、犯人と接した場所はどこなのか。行動範囲や生活サイクルが決まっている教授にとって、本が出版されてから2ヶ月の間に起きたイレギュラーな出来事が一つある。サイン会のイベントだ。捜査陣は、犯行の前日、東京都内の大型書店でサイン会が行われていたことに目をつけ、店内の映像をチェックした。しかし、不審な動きを見せた者はいなかった。

 吉野の反応は違った。北所沢署に呼ばれ、「誰か知っている人は映っていないか」と1時間半に及ぶ映像を見せられた彼女は、サイン会の行列から距離を置いて立っている黒いシャツの男の存在に気付いた。映像は鮮明ではないが、30代後半から40代の男で、吉野は会ったことがない。どうやら教授の方をじっと見ているようだ。その目が大きく見開かれているのを吉野は感じ取り、悪寒が止まらなくなった。

「この人、怪しくないですか?」と吉野は指をさした。

 刑事たちは首を捻った。イベント中、黒いシャツの男は教授に接触したわけではない。ただ見ていただけである。催眠術をかけるような素振りもない。これだけで怪しいと言い出したら、何人もの客が容疑者になってしまう。

「この人がドミネーションを使ったのではないでしょうか」
「何ですか、それは」
「人心略取です。先生の本にも書いてありますが、催眠術のような手続きもなく、人を操ってしまう非常に危険な能力です」
「はあ、超能力ですか」
 その場にいた刑事たちは肩を落とした。

 教授は誰かに強制されたわけではない。超能力などというワケのわからないオカルトに熱中しすぎて発狂し、凶行に及んだ。捜査陣はそう考えようとしていた。吉野はそれらのことを刑事たちの心から読み取った。

「……警察の人たちは信じていませんでした。でも、あの黒いシャツの男が犯人だと思います。300冊のノートも多分その男が持っています。ドミネーションを使って先生を操り、入手したんです」
 吉野は話を終えると、コーヒーを一口啜った。
 森川は体を揺らすように頷いた。
「そうだとしても、探し出す方法がないね」
「あります」
 吉野は静かに言った。
「犯人は7月8日の午後3時にわたしの所に来ます」

 7月8日は明日である。
 森川は眉をひそめた。
「連絡があったの?」
 吉野は首を振った。
「昨日の夜、夢を見たんです。あの男は明日必ず来ます。そして私にノートの暗号を解読しろと命じてきます」

「予知夢……」森川は唖然とした。
 吉野は当然だろうと言わんばかりの顔をした。
「犯人は、おそらくノートが暗号で書かれていることを想定していなかったのだと思います。だから解読方法を知っている研究員を死なせてしまった。私や森川さんが生き残ることも想定しなかった。全員死んでいいと考えていたのです。ノートを開いた時は焦ったでしょうね。暗号がわからなければ、あれは単なる落書き帳の束ですから」

「暗号のことを半分だけ知っている吉野さんのことが、今となっては頼みの綱というわけか」
「半分でもゼロよりはマシですからね。明日、必ず来ます」
「自分の予知夢に自信があるんだね。その男が来た後、どうなるかは見えてないの?」
「来たところで、目が覚めてしまいました」
「まあ、でも、来るなら来るでむしろラッキーじゃない? 吉野さん、テレパスなんだし」
 森川は気の抜けた口調で言った。

 『日本の超能力者』には、ドミネーションすなわち人心略取はテレパシーを使う人間には効かないという検証結果が記されていた。10年前の実験で、両者の脳波のリズムが全く合わず、人心略取が効力を失ったというのである。いくら強く命令されても、テレパスの側からはコンピュータのプログラムでも見せられているような冷めた気分になるだけで、心身を支配されることはないのだという。

「言い方は悪いけど、吉野さんがおとりになって、警察が犯人を捕まえる。それがベストだよ」

 吉野は不服なのか、何の反応も示さなかった。

 森川は構わず続けた。
「明日、犯人が来るってことを警察には言ったの?」
「いえ」
「なんで?」
「予知夢を見たと言って、警察が真に受けますか?」
「犯人から連絡が来たとか、適当に話を作ればいいんだよ」

 とにかく警察に言うのが筋だ、と森川が言おうとしたところで、吉野は口を開いた。
「最初は、警察の力を借りたいと思いました。でも、相手はその気になれば警察を操ることができます。私のことを差し出せと犯人に命令されたら、警察は言われた通りにするでしょう。味方の人数を増やすことは、むしろリスクを高めるんです」

 森川は黙り込んだ。

「ノートのことも考えました」
 吉野は早口に言った。
「もし、あの300冊のノートを取り戻せたとして、それを警察の手に渡していいものでしょうか」
「心情的にはいやだね。でも、暗号で書かれているなら、俺たちのことがバレることはないでしょ」
「甘いです」吉野は首を振った。
「甘い?」
「警察側にはサイコメトリーを使える人がいます。以前、中条先生がそんなことを言ってました。警視庁かどこかに数人いるみたいです。サイコメトリーって知ってますよね?」
「知ってるよ。こういうカップとか、物体に触ることによって、その持ち主の思念を読み取る力でしょ」
 森川は空になったコーヒーカップを爪で弾いた。

 吉野は頷いた。
「ノートの文字にふれてサイコメトリーを使えば、暗号の解読方法が分からなくても、書かれている内容を読み取ることができます。そうなったら超能力者の情報が、警察に知られることになる。それでいいのでしょうか? これまで研究所が警察に情報を渡すことはありませんでした。少なくとも先生は、研究所というのはあくまでも特殊な能力を持って苦しんでいる人のための独立機関であって、政府や警察に奉仕する組織ではない、と言っていました。だから、警察の人たちに暗号を解かれるのは先生の本意ではないんです」

「警察にノートを渡したくないのは俺も同じだよ。でも、いくらなんでもサイコメトリーで暗号を読み取るのは無理でしょ。そんなことが可能なら、先生のパソコンにさわるだけで色々なことが読み取れるんじゃないの?」
「パソコンのデータから読み取るのは無理です。パソコンの画面にふれても何も分かりません。でも、ノートならできるんです。ちゃんと時間をかければ、ある程度までは可能です。私、先生のノートの文字にさわったことがあるんですけど、内容が少しだけ読み取れました」
 吉野がそう言い切ると、森川は目を見開いた。
「えっ、どういうこと? サイコメトリーも使えるの?」

 『日本の超能力者』には、テレパシーとサイコメトリーと未来予知の複合能力者は3名と記されていた。どうやら、そのうちの1人は吉野明日子だったようだ。

「そんなに驚かないでください」吉野は気まずそうに言った。
「いや、驚いたよ」
「私からすれば、サイコキネシスの方が凄いと思います」
「そんなことはない。3つも能力を抱えるなんて、大変なことだよ」
 森川は同情するような口調で言った。

 サイコキネシスだけでもコントロールするのは容易ではなかった。この痩せ細った女性は、3つの力をどうやって制御していたのだろう。
「まあ……たしかに子供の頃は辛かったですね。何度も病気になりました。でも、今はたまにひどい頭痛がするくらいで、あとは問題ありません。こんなに痩せて、顔色も悪くて、嘘でしょって言われるかもしれないけど、昔よりは健康なんですよ」
 吉野はそう言うと寂しそうに笑った。

 生まれは山口県。小学校に入学してまもなく、幽霊みたいな顔をしていて気持ち悪いと言われ、いじめられた。アスパラという渾名をつけられたこともある。サイコメトリーを使えるようになったのは七歳の時。母親は人前で披露しないように、と釘を刺した。その後、テレパシー、未来予知の順に覚醒した。

 9歳の時、埼玉県に引っ越し、初めて研究所を訪れた。それ以来、中条教授のことを師と慕い、教授がいる大学に進学してゼミの生徒となり、その推薦で入所した。研究所の中では新人だが、教授との付き合いは長かった。むろん、だからといって何でもかんでも話していたわけではない。教授は森川の素性を隠していた。しかし、吉野は教授の心を読み取り、だいぶ前から森川のことを自分の同類として認識していた。

 吉野の簡単な身の上話が終わった。
「ともかく」と吉野は語気を強めた。「私が言いたいのは、ノートをどうにかしなければならないということ。そのためには犯人と会わなければなりません」
「警察に言わず、2人で?」
「そうです」
 と言うと、吉野は身を乗り出した。
「私たちが今の状態にあるのはただの偶然じゃなく、運命じゃないかと感じているんです。私は普通の人よりも体が弱いのに、なぜか生き残りました。健康だったほかの人たちは亡くなったのに、自分は生きている。森川さんも生き残っている。私たちは二人とも超能力を持っています。私の力だけではドミネーションに対抗するのは難しいけど、2人ならどうにかなるんです」

「つまり、犯人を倒すために俺たちは生き残ったと?」
「それが使命だと思っています」と吉野は真っ直ぐに言った。

 使命。重い言葉だ。
 いざという時は、君がいる。そう言った時の中条先生の顔を思い出し、森川の胸は熱くなった。

 これまでも生き残った理由について考えることはあったし、犯人を捕まえるために自分の能力を使って何かすべきではないかと焦る気持ちもあった。一方で、そのために動き出したら、元の生活に後戻りできなくなるのではないかと恐れてもいた。

 でも、たとえ後戻りできなくなったとしても、と森川は思った。自分の力を正義のために使わなくてはならない。それがお世話になった中条先生への恩返しにもなるだろう。
「わかったよ。使命を果たそう」

(続く)

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