地震の度に 思い出す映画
2024年 元旦からの地震
揺れてるな… これでかいかも
思い出すのは 阪神大震災
布団の中で テレビをつけた 揺れてる中 NHKを
慌てて見に来た父に驚かれた。
東日本の時は17階で 出張中できた社員の行動に
反省した。
すぐ扉を開けた状態にして 避難経路を確保してくれた
幸い大阪でたいした事はなっかったが
震災を経験してない 横浜から出張してきたその人が
すぐそんな行動に出たのを見てかっこいいと思った。
そんな経験をしたあとで
私は スピリチュアル系のことを学びはじめるのだが
映画を見て おいおい…orz
と思った映画が すずめの戸締りだった。
ここでは違う感じに書いてるが…
元旦の地震で思い出した
地震というものにおいてのこの作品の考え方はやばい…。と思ったあの感覚
そして 直後から 影響を受けたのか
今までの活動を評価されたと思ったのか
要石のような結界を 全国にと動いたスピリチュアル系の人もいてあぶねーなと思った事も…。
この記事の いまごろの いいねで書き残す事にした。
少し震度が大きい地震が来ると
封印 結界 について考える
まあそういう概念が ある前提にしてだが
それは 封印したものの能力で 永年的ではなく
有限的な使用期間が変わり
守るものの有無でも 違うのは
私たちが使う電化製品と変わらないということ。
いや… 靴の方がわかりやすいかもしれない
数年履いていない靴は 一回の外出で 崩壊する
あれのようなもんである
自分が動きを抑えられたらどうするだろう?
逃げようと暴れないだろうか?
隙が見えたら そこを狙い逃げようとするのではないか?
地震も同じようなものなのだと思う。
結界のようなもので 押さえ込まれているとしたら
の話ではあるけれど。
我慢して我慢しての大病
ちょいちょい 小さな病気をしつつメンテナンスしていく
どっちの方が被害は少ないのか
そう考えたとき ちょいちょい休憩入れながらのほうが
長い目で見たときにいい事は
みんなが知っていることなんじゃないだろうか?
慣れてしまって油断する事も危険でもあるけれど
大きなエネルギーになる前に
少しづつ解放できる方法 それがあれば
大震災みたいなことにならないんじゃないかと
そういう視点が薄れていくような気がして
あの映画は好きになれないのだ。
賛辞ばかりが目につくのだもの
私のあまのじゃく気質が ざわつくのだ
あんまり テレビとかでやってほしくない。
問題先送りでおおごとにしてしまう感覚が広がるのが
拭えないから・・・。
こういう思考って浸透させていくのは、それまでにどれだけ そういう思考に近いものを 見せてきたかってことでもある。
良かれと思って 良い世界にするために
そんなふうに思って 通くっているかもしれないが
それは 逆の役目をすることも多いのだ
まあ私もこれに触れることで 悪に加担している
一味かもしれないけれど・・・・
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