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メキシコ滞在記①"仕事を突然10日間休んでメキシコに来た話"

美しかった。
英語が一切通じない、小さなメキシコの空港が。
私を迎え入れてくれる、友人の暖かい笑顔と開かれた両手が。
美しかった。
数十メートルに1店舗しかない、メキシコの街並みが。
道路の途中で放置された、山になった二つの土の塊が。
深夜も人が絶えない、小さなタコスの露店が。
キスを交わし合う幼いカップルと、小さな犬が。
美しかった。
私が今、メキシコにいる、という事象が。
ここまで私を導いてくれた、人生の作用が。

「凄い」「面白い」「ワクワクする」とは違う。「美しい」。
出てきた言葉は、それだった。

グラミー賞受賞アーティストであるJason Mrazは、美しさをこう表現した。
"What a beautiful mess this is  It's like picking up a trash in dresses."
―美しさって混沌としているんだ。まるでドレス姿でゴミを拾っているみたいにね。

混沌とした情勢にも、人生にも、どこか調和がとれている。
私は気づいていた。未踏の地に足を踏み入れた時の、恐怖感と高揚感。だけどその感覚は、学生の時の純粋なワクワク感とは異質なものであることに。今は、人生の選択者としての責任と自己肯定感の方が強く出る。

25歳の私は、今、メキシコのAguas Calientsという都市に、友人の結婚式への出席のために滞在している。

コロナ禍のせいか、世界情勢のせいか、すっかり出無精になっていた。

そんな堅牢な私の籠城を破る意味で、もう1年も前に友人の結婚式に呼ばれてからというもの、半分意地になって行くことを決めていたメキシコ。国民的な休暇推奨期間でもないが、まるまる7日間有給を取り、10日間の滞在。仕事は一切しないつもりだ。

何度もnoteに書いてきたように、私は社会人としての人生を少し窮屈に感じすぎていた。

メキシコに到着してから数日間、少しずつ日記なるものを書いて行くつもりだ。時系列は気にしないで貰いたい。未知の世界に飛び込んでいく私を俯瞰視する自省録としても残して行きたい。


出発からメキシコに到着するまで


成田空港を出た時。

Dallas行きの飛行機で久しぶりに大量の外国人に驚く。米国人がほとんどだが、アジア系や南米系、ヨーロッパ系も多くいる。

成田空港から、ダラスで乗り継ぎをした時。Dallas Fort Worth AirportでDunkin DonutsのPumpkin spice tea latteを啜りながら、スマホ片手にいっぱいになった搭乗口の座席からあぶれて、壁にもたれかかりながら日記を書き始めた。このTea,甘すぎるかと思ったけど、結局どこの国もSweatened drinkは甘さの標準は同じだった。スタバにも似たような味あったよな。
店員へのTipも忘れずに渡す。Dunkin DonutsといえばTiny BitsやDonutsだが、5ドルで10piecesから。一人でそんなに食べ切れるはずがないが、皆迷わず買っていく。

あたりを見渡すと、誰一人マスクはしていない。私が日本人であることの証明。私が日本人であることは、メガネとマスクで顔を隠していても分かるとは皮肉だ。アウェーな感覚が面白くて、思わず自撮りをした。

ここDallas Fort Worthの広さは少し普通ではない。搭乗口のあるゲートBだけでも、言わずと知れたPanda Express、Subway、スタバやマック、バーがずらりと並ぶ。Hot wingsのお店には、アメリカ人しかいなかった。

少し回りを観察するだけでも、私の凝り固まった頭が解けていく。

"Numero Ocho, por favor"の案内を受け、メキシコ行きの飛行機へ搭乗。
小さな飛行機に乗り込んで、2時間の移動だ。
隣には、見知らぬ男性が座り、英語で話しかけてくる。
その男性は、名前が美しかった。

彼は若いうちに米国へ一人で移住し、そこからビジネスを立ち上げ、今は二人の美しい娘さんがいる。名前も、写真も見せてくれた。今は、Quiceniero(メキシコの文化で、15歳を迎えた時に行うパーティー)で再開した彼女さんに会いに故郷へ戻るのだそうだ。
私は、すかさずスペイン語を勉強しているのだと伝え、文法書を見せる。
日本語の解説分の表記に興味を持ったのか、自分の名前の日本語の書き方を教えてほしいと言ってくれたので、カタカナ、平仮名、漢字でそれぞれ書いた彼の名前を紙に残して、それを渡した。
スペイン語と英語を話す彼には、三つの表記を操る日本人が、もうそれだけで賢く見えるらしい。私のことを褒めるので、こそばゆい気持ちだった。

私は最後に、結婚式のスピーチの文章を教えてくれないか、友人にサプライズをするつもりだ、と言ったら、美しい歌詞のようなスピーチの文章を、一緒に考ててくれた。今、私はそれを手元に、何度も音読の練習をしている。

人は私を「コミュニケーション能力が異常に高い」という。
そうなのかもしれない。そのせいで、隣に座っただけの初対面の男性に、私について語ったり、スペイン語を教わるなんて、危険なことをしてしまっているのかもしれない。
だけど、それが私なのだ。人がいれば、興味を持ってしまう。話したくなってしまう。相手を知って、自分のことを知ってもらいたい、と思ってしまう。一緒に笑って、楽しい時間を過ごしたい、と思ってしまう。
その点では、英語が不自由なく使えることには、本当に感謝している。
その男性は、私がSmartだと言った。そう言えるのかもしれない、だけど私は、純粋に興味ある所へ身を運んできただけなのだ。
その結果、見知らぬ男性と打ち解け、メキシコに何人も友人が出来て、
ここにこうやって招いて貰っているのだから、これは私の25年間の人生の一つの到着点なのだろう。

**

たったの11日間かもしれない。
それでも、敢えて私がメキシコに招かれ、ここにこうしていることに、これからの人生の意味が広がっていく気がしてならない。





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