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誰もが弾ける「あの」思い出のピアノの曲がメキシコで○○の歌だった話

「あなただけのレアな体験」。
そのタイトルを見た瞬間、何かが脳裏をよぎり、私はもう日本にはいなかった。私は、メキシコにいた。
いや、正確に言えば、私の記憶が、だが。

今から3か月ほど前のことである。
私は友人の結婚式に出席するためにメキシコに滞在していた。
詳しい内容は、下記の滞在日記を参考にしてほしい。

英語こそ話せるものの、スペイン語はまだ初心者であった私はメキシコ人の話し言葉が一切理解できず、かなり惨めな思いをしていた。
友人の、現地の友人達に紹介してもらえるのは嬉しいのだが、なにせ、久しぶりに「何も伝えられない」状態が生じていたものだから、悔しくて仕方なかった。
おまけに友人の9歳の娘さんまで紹介してもらって、日本人の私に興味深々で色々と質問をしてくれたのだが、私は"Si"(うん), "En serio?"(マジで), "No"(いいや) しか言えない始末。

そんな私は意気消沈しながら、その晩、泊まらせてもらう寝室を案内してもらった。階段を上がり、扉を開けた瞬間、"CASIO"の横文字と白い鍵盤が目に飛び込んでくる。私は一気に嬉しくなり、期待に胸を膨らませた。
「あれ、ピアノ弾くの?」と拙いスペイン語で聞いてみる。
「たまに練習する」とのこと。
幼い頃からピアノが得意だった私は、今までのしょんぼりとした気持ちが一気に吹き飛び、「ちょっと弾いてみたい」と友人達にお願いをした。
「良いよ」と友人。
私はやっと、「自分が言いたいこと、知っていることが表現できる」、と喜び勇んで、ピアノを抱えて階下へと降りて行った。

そこで、私達を待っていた友人の娘さんが、「あ!ピアノだ!」と目を輝かせて、鍵盤を触り始めた。
片手で、色々なゲームの曲やアニメソングを惹いて見せる。
なかなかに上手だ。センスの塊を感じる。
「凄いねえ」、と私の口も心なしか達者になり、使ったことのないスペイン語が口からすらっと出てきた。私の口から笑みもこぼれる。自分の発する言語が伝わったことが、何よりも嬉しかった。
だが次の瞬間。
娘さんが何やら早口で私に話しかけてきた。

"X&%$!………………", "tocar(弾く)"、"X&%$!………………""Me da miedo(怖い)"………………そ、それしか分からない………………。

ごめん、言っていることが分からないや………………。

あれ、私結局理解できないじゃん。何だよ、いい気分になっちゃって。
私はまた、一気にどん底に突き落とされた気分になっていた。

だが、私には、まだ「音楽」という言語があるじゃないか。
私は自分の気持ちを奮い立たせ、娘さんの隣で、少しメロディーを弾いてみた。始めは、「ラ・ラ・ランド」より "Another Day of Sun"。それから、ジブリの「魔女の宅急便」や「千と千尋の神隠し」から何曲か。最後に、友人の旦那が好きだという、「アメリ」のオルガン曲を耳コピで弾いてみせた。
弾き終わって、顔を上げてみると、皆感嘆の表情。

ああ、良かった。ちょっと嬉しいかも。
やっと、少し自分を表現できたかな、そう思っていた。

だけど、なんだか…日本らしい曲、ないかな?
せっかく、こんなに良くしてもらって。みんなを、笑顔にしたい。
そう思った私は、敢えて奇をてらって、「誰もが知っているあの曲」を弾いてみることにした。
本当にたまたま、思いついたのである。

それは、「ピアノを弾いたことがない人でも弾ける」と名高い、あの曲。
これは、その5小節である。

ヒント:「指をクロスさせて弾きます」

そう。「猫ふんじゃった」である。
楽譜を読むのが苦手だった方、ごめんなさい。

この曲を、何を思い立ったか、私は「日本人なら」という意識で、弾いてみせた。10数年ぶりに、敢えて弾くこの曲。体で覚えているといっても、やっぱり、なかなかつまずいてしまった。
「これは日本人なら誰でも知ってる曲なんだ」と、英語で言ってから、私は弾き始めていた。

それから、5秒くらいした後のこと。
向かいの友人の旦那が、"Ehhhhhh!?"と目を丸くして、そう言った。
私はびっくりして、顔を上げる。「どうしたの?」と聞く私。

"That is a song that we heard at the ice cream shop when we were small !"
(それ、小さいときにアイスクリーム屋さんで聴いた曲だよ!)

「え?」
私は彼の言葉が信じられず、思わず聞き返した。
だけどその隣の友人も、うんうん、と頷いている。
まさか。
私達の小さい時に誰もが「弾ける」って、笑顔になっていた曲が、メキシコでも子供の頃の「思い出のあの曲」だったなんて!
私は何だか泣きそうになって、今までの気苦労も全て吹っ飛んで、友人達と、しばらくピアノの時間と、音楽についての談笑を楽しんだ。
メキシコの友人達は皆、思い出に浸っているような、ほんわかとした表情を浮かべていた。あの時の光景は、はっきりと、覚えている。

「猫ふんじゃった」の作曲者は不詳で、原曲も出典が定かではない。
(ただ、世界各国で親しまれてきた曲ではあるらしい。)
その曲が、メキシコでも、流れ、多くの人々の耳に届き、記憶に残っていた。それがアイスクリーム屋じゃなくても、映画館だって、スーパーだっていい。とにかく、私達の子供の頃の、大切な記憶。それが、ほとんど地球の裏側のメキシコでも、共通していた。そのことが、私を何よりも嬉しくさせた。仕事を10日間も休んで滞在したメキシコ、そこで私の思い出が、子供のころの思い出と重なって、さらに何層にも積み重なった。

言葉なんて最悪通じなくても大丈夫だ。
音楽で、私たちは共感し、理解し合う。


音楽と笑顔。
これだけは、本当に世界共通だと、私は胸張ってそう言える。
高橋優が、「福笑い」でそう証明しているように。
私は、メキシコの滞在中、沢山のメキシコ音楽に触れた。
帰国した今でも、すっかりラテンミュージックのファンになってしまい、毎日通勤中に聞いて思わず口ずさんでしまうこともある。
一人部屋で、ステップを踏んでしまうこともある。
これだけ、音楽が好きな理由。歌を口ずさむ理由。覚える理由。
そして、あの時ピアノを弾いた理由。

それは全て、私達の記憶に大切にしまってあるあの「小さかった頃」に、厭々ながらも、ピアノを練習していたからなんだな、と、学生になって英語を習得した際も、スペイン語を苦労しながら習得していく今になっても、ずっと変わらず有難くしみじみと思うのである。

そう、「猫ふんじゃった」は立派な音楽で、
音楽は、世界共通の言語だから。


最後に、あの時の、写真を貼っておきます。
皆、ダンスのステップを練習している写真。
ほらね。ここに、私達をつなげた、ピアノがあるでしょう?

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