見出し画像

よくよく欲を見て視れば

愛の御目覺めエッセイ
【We are the BIG LOVE TIDE☀️❤️🌕】



月は闇夜に上がるもの。

昼間の月は見えにくい。


月は太陽に照らされてこそ
光れるもの。


月は場や立ち位置や状況により
満ち欠けのできる
不安定なもの。

月食が在るように
必ずしも規則的に満ち欠けをする
のでは無い
いわば、感情的なもの。


月は水を引き付けるように
大きな影響を与えるもの。


私の本名には
【朗】という字が在ります。

《良い月》と書きます。

私は45年間の半生を
『ああ、良い月だったなぁ』
と思いたいのですね☺️


蠍座の影響もあったと思うのですが、
かなり闇に突っ込んだ半生でした。

その半生の最中はもちろんですが、
これから生きる人生の途中でも
過去を振り返って
悔やみたく無いのです。

【氣付き】とは
私の解釈では
メインは闇に氣付く事です。

その【氣付き】には
《闇を悔やむ》
というところまでを行って
はじめて【氣付き】となると思っております。


《闇を見止め(認め)てその闇を悔やむ【氣付き】》

しっかり悔やむ事で
かつての闇に染まらなくなるのです。

そして
光に敏感なアンテナを張るようになります📡✨


闇というのは
光のツインレイに他なりません。

光を意識するならば
絶対に必要な存在です。

そして
自身を光とするなら、
真逆の性質の闇とは
まさに自身のツインレイなのです。

闇も光も
大きな最終目標は同じなのです。




それは➖愛の聖長➖です。


その➖愛の聖長➖に至るのに
欠かせないものとして
闇と光は在るのです。


どちらか片方だけでは
聖長は起こらないのです。



月のエネルギー
太陽のエネルギー



つまり
闇に由來する
『バカにされないように』
頑張る。

から

太陽
つまり
光に由來する
『幸せになる為に』
顔晴る☀️


生きるエネルギーが違うのです。

同じ行いと努力でも
エネルギーの動機と質が真逆なのですね☺️



闇を見止める(認める)【氣付き】

そして

【氣付いた】闇を
光へと転じるのが【學び】です。



私の闇とは

大きく言うなら

欲求の否定と拒絶でした。


欲求とは
私にしか分からない感覺です。

私がお腹が空いているのかどうかは
他人樣には憶測しかできない。

空腹は私にしか分からない感覺です。

つまり

私の食欲という欲求は
私にしか知り得ないものとなります。


このような欲求を
否定し拒絶するとは
私自身を否定し拒絶するという事なのです😣


私はこの闇を45年間抱えて來たのですね😰



その大きな闇には【氣付き】ました。

この大きな闇の【氣付き】を
光へと変えていくのが
今からの【學び】としての人生になるのです。


私の抑圧(封印)されて來た欲求とは

・美味しく栄養の在る食べ物を食べたい
・眠りたい時好きなだけ眠りたい
・勤め人はしたくない
 →家や旅先で自由に働きたい
・躊躇なくSEXしたい
・スタイルが良くなりたい
・個性的な髪型をしたい
・人と仲の良いコミュニケーションをとりたい
・欲しいものを値段で制限せずに購入したい
・流行りやハイブランドに興味津々
・話題や人氣の行列に並びたい
・ディズニーランドに毎日行きたい
・海外に行きたい
・伊勢神宮と出雲大社と高天原に行きたい
・鹿と暮らしたい
・この世的な成功をしたい
・樂に生きたい

このような人間的欲求が目白押しなのですね😆✨

これらの欲求を叶えられていない“今の今まで“を
私は
【闇】で在る
と見止め(認め)てしまうのです。

換言すれば

今の今までとは
私にとっては
➖不幸で在る➖
と見止める(認める)のですよ😇


としますと
私がするべき【學び】とは
これらの欲求(欲望)を満たす事になります。

欲求(欲望)を
叶える。
満たす。

シンプルにそれだけで
私は➖幸せ➖になるのです。

それすらも今の私は
私に素直に正直に
見止める(認める)のです。


➖愛➖
に制限は無いのです。

➖愛➖
に条件は無いのです。


➖愛すれば良いだけ➖です。

ただ丸ごと➖愛すれば良いだけ➖です。


物質的価値観の欲求(欲望)は
叶える事はおろか
持つ事すら
私は自身にも他者にも赦していなかったのです。


それにより
私は
私の欲求(欲望)を
叶え、満たしている他者に
嫉妬していました。

45年の嫉妬は
激しい怒りとなって
大きな闇の渦を創造し
世界の中心で回していたのです🌀

他者の世界をも巻き込んでです😱


お釈迦さまは
自分の欲求(欲望)に忠実に従った人だと思います。


そこに王子としての御勤めが在っても
王國を継ぐ事をしませんでした。

➖幸せへの道➖を歩んだ人です。


そこに愛する妻がいても
旅立ちを選択しました。

➖幸せへの道➖を選んだ人です。


そこに年端の少ない自分の子供がいても
自分の眞実を探る欲求(欲望)を優先しました。

➖幸せ(欲求・欲望)への道➖を
ストイックに目覺した(目指した)人です。


お釈迦さまは
欲を捨ててなどしていないのです。

むしろ
エゴイスティックな程に
“身の回りの常識“を顧みず
自身の欲求(欲望)を貫いた人です。


後の世に言う
煩悩という欲とはまた違います。

しかし
お釈迦さま自身に宿る眞の欲求(欲望)を
彼は諦めなかった人です。


次期國王となる人で
既に王子としての御役目が在り、
それを全うするのは
いわゆる【常識】でした。

おそらく
当時の誰もが持っていた【常識】だったと思います。


彼は
己のスピリットの声に従ったのです。


周囲の誰もが信じる【常識】は
彼自身にもマインドの声として
聞こえていたはず。

その声は
彼の耳を頭を心を
一時も休める事は無かったと思います。


彼は
スピリットの声と
マインドの声の
双方の言葉と主張を聞き分けた。


そして
➖幸せになる➖
と決断をして
断行した人なのです。


お釈迦さまとは

➖幸せになりたい➖という【欲求(欲望)】

に忠実に則った人なのです。


彼は
既に物質的幸せに満たされていたのです。

・美味しい栄養の在るものを毎食
・家族団欒が在る
・お金に不自由しない
・SEXしたい時にできる
・会社に行かなくて良い
・着たい服を着れる
・豪華な家に住んでいる
・眠りたければ眠れる
・妻も子供も持っている
・教養を深める勉強ができる

これら物質的幸せは
彼の場合生まれた時から自動的に得られたものです。

つまり
これらの物質的幸せ
とは
【物質的欲求(欲望)として叶え満たしたものでは無い】のですよ🤗


彼が持った欲求(欲望)で在る
眞理の探究
に物質を全て捨て突き進んだ人なのです。


一國の存亡も
家族の行く末も、
思い馳せながらも
自身の欲求(欲望)を最優先した
➖眞のリアリスト➖
なのです。

眞のリアリストは
欲求(欲望)に忠実に
その後の人生を生きて行きました。



この事から
スピリチュアルな方に
リアリストな方が多い理由も分かります。

・お金が欲しい
 と思えばお金を稼ごうとする。

・食べたい物が遠方に在れば
 飛行機で現地に行く。

・氣持ち良く眠りたければ
 マッサージを頼んでしてもらって眠る

自身の欲求(欲望)に忠実なだけなのです🤗


他者に良い顔したいなんて思っていないのです。

ただシンプルに
➖自分を幸せにしたいだけ➖

その欲求(欲望)を現実に叶えようとする
➖リアリスト➖
という在り方が
周りからは輝いて見え嫉妬されたり非難されているだけの話なのです。


出家した当時のお釈迦さまなんて
國民や王室内の人達など
周囲から何をどれだけ言われたか😊

殺されても決しておかしく無いような
想像を絶する非難の雨嵐だったと思うのです。


それでもお釈迦さまは
自分の欲求(欲望)を叶え、
自分を満たす事、
自分が➖幸せになる事➖を
貫いた人なのですね🤗


彼はたまたま先に物質的に満足していたから
それらを捨てただけです。

欲求(欲望)は捨てるどころか
最期まで大切に持っていた人なのです。

その欲求(欲望)を持ち続けたから
最後の最期まで
彼は眞理を追求したのです😇✨




私は自身で創り上げてきた大きな【闇】を
【光へと反転させたい】のですね。


私を幸せにするのは
闇を光へと変える
自己実現になります。


闇もまた私自身です。
光もまた私自身です。

闇と光はツインレイ。

ツインレイは
統合すると幸せになります。


そして

➖周囲をも幸せの渦に巻き込むもの➖



私は大きな闇を既に手にしています。

大きな光の片割れが存在するという事。

つまり

私の今とは

➖大きな幸せ➖という宝の地図を
手にしている

という事なのです。



自分で申しますが
私の読み解きはとても鋭いです😅


天照大御神樣も御役目を越えてSEXをしていると断言しますし、
お釈迦さまもリアリスト兼エゴイストだと断言します。



➖何が正しいのか➖


マインドで世界を見ずに
スピリット(魂)で世界を視るのです。


この世界はもはや惑星では在りません🌏✨

この世界は既にミラーボール🪩✨として
地上の樂園に
アダムとイヴを迎え入れているのです💃🪩🕺




Produced by
【地上の樂園クリエイター】
    ➖祭統 白宇➖
➖Shirow Saitow➖

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?