「法人」という虚構~阿法学徒流法律講座~

1 我流による遠回りの「法人」に関する講義をしてみたい


 世の中には「法人」でありふれている。株式会社をはじめとした営利法人から学校法人、宗教法人から一般社団法人、一般財団法人、公益社団法人に公益財団法人、特別行政法人等々色々聞いたことはあるかもしれない。

 では、そもそも法人とは何なのかと言われるとどれだけの人が答えられるだろうか。法人に関する説明は民法あるいは会社法の基本書を読めば、あるいは「法人」とインターネットの検索情報をかければすぐに大雑把な概要を把握することは出来るだろう。

 しかし、私は従来のそうした説明だけで満足してはいなかったのである。というのも、法学部やロースクールの学生、法律系の資格試験の受験生や企業の法務部に勤めている人達向けには先程の書物に記載されている説明で必要十分かもしれないが、それ以外の業界にいる人たちにはまだ物足りないのではないかと思ったのである。具体的には、法律とは無縁そうな理系の学生でも「法人」というものを皮膚感覚で理解できるようになる説明の仕方がないものかと思案もとい妄想を繰り返していたのである。

 そこで、我流の「法人」に関する説明の仕方というものを考案してみたのである。一般的な法人の説明と比べると圧倒的に遠回しな説明になるので基本的な需要は見込めないが、(特に実務寄りの)法律知識から遠くの分野に知的好奇心の重きを置いている人にも可能な限りのアプローチを試みた。阿呆な法学徒、略して阿法学徒の阿呆な試みにしばしお付き合いいただければ幸いである。

2 人類の三大革命の一つ~「認知革命」~


 ところで、皆さんはユヴァル・ノア・ハラリの『サピエンス全史』を知っている、あるいは読んだことがあるだろうか。イスラエルの歴史学者であり哲学者でもあるユヴァル・ノア・ハラリ氏が上梓した世界的ベストセラーの上下巻本である。大まかにこの本の内容に触れると、人類は大きく分けて三度の「革命」を経験してきたというのだ。すなわち、認知革命、農業革命、科学革命を経て今日の文明社会を享受しているというのである。そして、「法人」という概念を理解するためには人類が認知革命を経験したことが重要な意義を有していると私は考えている。

 では、認知革命とは何か。それは、約7万年前から3万年前にかけて見られた新しい思考と意思疎通の方法の登場のことをいう。具体的には、人類は同じ時期に舟やランプ、弓矢、針を発明し、芸術と呼んで差し支えない品々を作成し、宗教や公益、社会的階層化の最初の明白な証拠を残してきた。こうした「革命」をなし得たのには人間特有の言語能力が関係している。もちろん、人間以外の動物や昆虫でも食物のありかや敵の居場所を伝え合うような意思疎通の方法論を有している。しかし、人間はその言語能力によって事実だけではない「虚構」についても伝達し価値観を共有することに成功しているのである。要するに、伝説や神話、神々、宗教は認知革命に伴って初めて現れたのである。そして、虚構によって人類は物事を想像するだけでなく集団でまとまることが可能となった。こうして人々のまとまりは「村」や「国」と呼ばれるようになったのである。

 今回の私の投稿においては、この認知革命が数字(数学)の世界で現れたのが虚数であり、法律の世界で現れたのが法人であると捉えている。

3 数字における虚構~「虚数」の発明~


 人類は数を数える道具として「数字」を発明した。紀元前100年までに整数、分数、有理数、無理数(√2、πなど)、素数(2,3,5,7などの1とそれ以外の数では割り切れない数字。またはプッチ神父がこなよく愛している孤独な数字)といったものが発明されているそうだ。そして、西暦1600年代に入って有理数と無理数をまとめて「実数」と扱うことにした。人間が現実世界で古典物理的ルールの下生活する上では実数まで数字を扱えればそれでいいのかもしれない。

 しかし、人類が認知革命により獲得した虚構を生み出す力は数字を扱う上でも発揮された。すなわち、実数に対する「虚数」=2乗すると-1になるという、実数の世界だけではあり得ない数(i)を生み出したのである。因みに、虚数自体は西暦10年代には発明されたらしいのだが、1700年代に入るまで「役に立たない数」として歴史の表舞台に立つことはなかったのである。

 現実世界で一般的な生活を営む上では虚数を実感することはないかもしれないが、虚数は電流を表す際や空中での振り子の振動の記述など様々なことに応用されている。また、実数と虚数を合わせた複素数(3+2iなど)が西暦1800年代に発明されたことで液体力学、量子力学、電子工学をはじめ特殊・一般相対性理論の計算が出来るようになったのである。

 こうして、人類は虚数という虚構を発明することによって豊かな文明社会を享受することに、そして宇宙の真理に少しずつでも近づくことに成功しているのである。

4 法律上の虚構=「法人」の発明


 さて、これでようやく本題に入れるわけだが、法律という分野における虚構が、あるいは法律という分野における虚数的な存在こそが「法人」ということになるのである。一般的に我々のような生身の人間のことを法律上は「自然人」というのだが、自然人以外の権利義務の主体になり得る法律上の虚構の法人格のことを「法人」というのである。

 法律上の権利能力については、私法の一般法である民法に規定が置かれている。まず、原理・原則としての自然人の権利能力について民法3条1項で以下のように規定されている。

「私権の享有は、出生に始まる」

 短いフレーズであるが、自然人は生まれてから死ぬまで権利義務の主体となることが出来ますよ、ということを端的に表現しているのである。因みに、自然人の権利能力の終了は相続が開始される原因である「死亡」が終了事由と解釈されている(民法882条参照)。

 そして、法人の権利能力については民法34条に規定されている。具体的には、以下のようになっている。

「法人は、法令の規定に従い、定款その他の基本約款で定められた目的の範囲内において、権利を有し、義務を負う」

 法人が現実に契約をはじめ経済活動をするためには登記手続もしなければならない(民法36条参照)ことが自然人と異なる部分ではあるが、登記をすることで自然人と同様に法律行為が出来るようになるわけである。因みに、会社法3条は「会社は、法人とする」と規定しており、先の民法34条と併せて読むことで会社の権利能力を端的に認めているのである。因みに、ここでの「会社」とは株式会社だけでなく持分会社(合名会社、合資会社、合同会社)も含まれている。

 では、なぜ法人という虚構がわざわざ発明されたのだろうか。端的に言ってしまえば法人という発明が便利であるから、逆に言えば自然人だけで法律上の権利義務関係を捉えようとすると非常に面倒臭いからである。それだけ言われても納得しかねるであろうから、ここから先は具体例を交えて説明を試みることにする。

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 ここで、とある学校が一つ存在しているとしよう。ただし、その学校が存在する世界には法人という概念が存在せず自然人だけで法律上の権利義務関係が規定されているものと仮定する。ここでの例え話として学校でなくても会社でもいいのだが、年齢に関係なく誰にでも馴染みのありそうなものが学校だと思ったので学校で話を進める。

 その学校は歴史が古く校舎が耐用年数に近づき始めたので事故が起こる前に新築の校舎に建て替える工事計画が出たとする。そうした際に、誰を契約の主体として校舎の建築契約を結ぶべきなのだろうか。校長先生の名義だけで十分なのだろうか、それとも教頭先生や理事長先生も連名を行う必要があるのか、はたまた所属している教職員全員を契約の主体にするべきなのだろうか。あるいは、その学校のPTA役員やその学校が存在する市町村の教育委員会も契約の主体にならなければならないのだろうか。そもそも、その学校に在籍している児童・生徒は契約の主体とはなり得ないのだろうか。仮に、その学校に在籍している児童・生徒やその保護者からなるPTA役員、教職員一同が連名で校舎の建築契約を結んだとしよう。しかし、工事には長い時間がかかり短くても1,2年を要することになるとする。そうすると、その1,2年の間に児童・生徒は卒業や入学で入れ替わり構成員が変化するとなると、再び契約書を作り直さなければいけなくなってしまうのであろうか。

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 また別の事例として、新しい教育サービスを提供するためにパソコン室に備え付けてあった古くなったパソコンを新しいパソコンに総入れ替えし、児童・生徒全員分のタブレットを支給することになった場合、誰が契約の主体になるのだろうか。先程の校舎建て替え事例のように校長先生や教頭先生だけで足りるのだろうか。あるいは、実際にパソコンやタブレットを使用するのは児童・生徒なのだからその学校に在籍している児童・生徒全員がその学校の構成員として契約の主体になるということも考えられる。しかし、実際に在籍している児童・生徒の名前を契約書に書き連ねることは果たして現実的なのだろうか。地方の山奥にある田舎の学校など全校生徒併せて10数名というとても小規模な学校であれば在籍している児童・生徒の名前を書き連ねることも現実には可能なのかもしれない。しかし、現実的な学校というのは少なくとも100名前後の児童・生徒は在籍しているはずで(それも一学年だけでこれだけの人数がいることも珍しくはない)、この100名前後の児童・生徒を契約の主体とするのは現実的ではないはずだ。

 まして、パソコンを大量に使う企業、官公庁の場合では所属している人間全てを把握してそれら自然人だけを契約の主体にしようというのはあまりに非合理的すぎる。

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 これらの事例を見れば分かってもらえるかもしれないが、一定規模以上の自然人の集団が契約の主体となる場合、誰が集団の構成員となるべきなのか契約の内容によって変わりうるのは調査や確認の手間が増えるし、何より契約書を作成するだけでも単純に手間が増えるだけで煩雑である。

 そこで、「法人」という虚構の出番が登場するわけである。先程の校舎の建て替えにせよ学校の備品の納入にせよ、学校側の契約の主体を「学校法人○×学校」とでもすれば、集団の構成員が誰かと思い悩む必要もなくなるし契約書に記載する権利義務の主体の名称もだいぶ省略できることになる。もっとも、法人というのは虚構の存在であるから現実にはこの法人を「代表」して物理的に事務手続を行う者(学校法人であれば校長なり理事長なり)が必要になってくるわけである。

5 法人をより専門的に学びたい人向けの書籍紹介


『会社法 第4版』田中亘著、東京大学出版会
→「法人」というよりは「会社法」の分厚い専門書である。冒頭で株式会社の基本構造を民法の組合契約と比較して説明されているので、会社法という仕組みを通して法人という制度の利便性が伝わるはずである。後述するが、組合契約を効率的に理解するならば先に「持分会社」という会社の仕組みを学んだ方が良い。会社法の詳細な解説やコラムも充実しているので、分厚さに圧倒されることなくチャレンジしてみて欲しい一冊である。

『司法書士試験 リアリスティック①民法Ⅰ[総則]』松本雅典著、辰巳法律研究所
→以下、司法書士受験生向けの書籍となるが、法律を勉強したことがない純粋法律未修者でも読みやすい文章表現や図解などが豊富でオススメのシリーズである。この投稿では深く言及しないが、「権利能力なき社団」という概念についてもこの本では言及されているので、法人との対比で学修されるとなお良いと思われる。
『司法書士試験 リアリスティック③民法Ⅲ[債権・親族・相続]』松本雅典著、辰巳法律研究所
→松本先生の民法の中では一番分厚い本である。法人や会社との関係においては「組合」だけでも一読してもらえるといいかもしれない。ただ、組合は会社法(・商業登記法)で学修する「持分会社」を先に学んだ方が理解としては効率的なので以下の会社法のテキストを先に一読することをお勧めする。
『司法書士試験 リアリスティック⑥会社法・商法・商業登記法Ⅰ』松本雅典著、辰巳法律研究所
→株式会社の最低限の仕組みを学びたいならばこれ一冊でも十分に理解が深まる。もちろん、法律学未修者にも分かりやすい説明や図表付き。ただ、通常の会社法のテキストと異なり司法書士受験生向けのテキストなので、商業登記に関する知識が詳しすぎるくらい掲載されているので、上手く読み飛ばす工夫も必要になると思われる。
『司法書士試験 リアリスティック⑦会社法・商法・商業登記法Ⅱ』松本雅典著、辰巳法律研究所
→司法書士試験・司法試験合わせても会社法上の厄介な規定がほぼ全て網羅されている1冊である。今回の投稿の内容に関係する第4編「持分会社」を一読した上で先の『司法書士試験 リアリスティック③民法Ⅲ[債権・親族・相続]』の組合契約の部分だけでも最低限読んでいただけたなら法人に関する理解は十分ではないかと思われる。
『司法書士山本浩司のautoma system1民法Ⅰ』山本浩司著、早稲田経営出版
→上述の松本雅典先生と人気を二分する司法書士講師の書いた参考書シリーズである。こちらのシリーズも法律初学者に優しい表現で書かれているのでとっつきやすい。法人は後半について少し触れられており、発展として共同所有の諸形態に驚くかもしれない。法律学というのは色んな分野の根っこが繋がっているので、一つの分野を理解しただけではその分野を十分にマスターしたとは言い切れないのが法律学の難しさであり奥深さ・面白さなのである。山本浩司先生のautoma systemが気に入ったのであればそのまま民法や会社法のテキストシリーズを読み進めるといいだろう。

6 おわりに


 今回の投稿がどこまで読者の方に届いているのかハッキリとは分からない。法人という制度の利便性を説明するのに些か遠回しの説明をしすぎたかもしれないという疑念は拭いきれない。しかし、それでも自分オリジナルの教科書を作ってみたいという衝動が止められなかったのである。ただ法律学の中に「法人」という仕組みを押さえ込むのではなく、大げさに「人類史」という大きな枠組みの中で法人というものを説明したいと思ったのである。挙げ句の果てには「法人」との類推で数学界における「虚数」という概念まで持ち出すという暴挙にまで出た。私がここまでしたのは、少なくとも人類史の枠組みの中まで拡張して法人というものの説明を試みた書籍は読んだことはなかったからだ。なので、この世にそうした書物が存在しないなら自分で作ってみようと思って今回の投稿を作成しようと思い至ったのである。学問の枠を超えて物事の本質は以外にも繋がっているということが少しでも伝わってくれれば幸いである。
 

参考文献
『サピエンス全史 上』ユヴァル・ノア・ハラリ著:柴田裕之訳、河出文庫
『ゼロからつくる化学文明 タイムトラベラーのためのサバイバルガイド』ライアン・ノース著:吉田三知世訳、早川書房

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