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「メタボラ」自由に生きるとは

メタボラ

を読みました。(桐野夏生 作 文春文庫)
相当な厚さの文庫本でしたが、ものすごく面白い!
かなり一気読みに近い感じであっという間でした。

登場人物は記憶喪失の「僕」が、なぜか沖縄のジャングルで逃げているところで、「施設」から脱走している最中の宮古島出身の昭光(ジェイク)と出会い、彼から「ギンジ」という名前を与えられます。

そこから、コンビニのアルバイトをしているミカに間借り?させてもらいそこでタオルをちゃみったり(盗んだり)、石屋で働いたりしながら「人生ゲーム」のように「0」の状態から少しずつ持ち物や経験を増やしていきます。
そこで出会うのはいわゆる「社会の枠組み」から外れた生き方をしている人々。
ギンジが働くことになるゲストハウスのオーナー釜田の言葉が興味深いです。
旅をして生きる生き方について「旅の最初の頃は、生きている実感がある、と昂奮するけど、いろんな国のドミトリーやゲストハウスに入り浸っているうちに慣れて、実感も昂奮もなくなる。だから、次に行く。でも、そのうち、新しい場所なんて、どこにもないことに気付くんだ。そして、疲れていく」
何にも縛られない生き方には憧れるけど、実はそんなに楽しくないのだとしたら・・・
本当に今の生き方は自分が心から望んでいることなのか、と自問自答することはあります。
当たり前のように自分は「自由」を望んでいると信じて疑わなかったけれど、本当にそうか?などと考えさせられました。

一番衝撃だったのはギンジが記憶を取り戻した中で、過去に「住み込みの工場で働いていた」というところです。
以前、求人募集の案内を読んでいた時に、私もそういう工場の求人を見たことがあります。
住む場所は保証されていて、誰にでもできる簡単な仕事でそれなりのお給料がもらえる、という謳い文句でした。
しかし、実態は(私が広告を見た場所はどうか知りませんが)あらゆる搾取にまみれた場所で「現代の奴隷」のように働かされるという・・・
そこの描写が本当にリアルで、工場の冷たさや過酷な労働、寮の殺伐とした雰囲気が胸に迫ってきて辛くなりました。
それでも、そこで出会う人々によって救われたりすることも。
この人がいるからもう少しここでふんばろう、と思える人がいるのは強いことだなあ。
結局、どんな過酷な環境でも出会う人が大切なんよね。

ギンジにとっては、名前をくれた昭光(ジェイク)との出会いが一番の救いになったんだけれども。
ジェイクは天真爛漫で憎めない、訛りのきつい(そこがまた魅力的なのよ)少年だけれど、彼の性格の軽さゆえにあまりにも過酷な運命をたどります。
この本を読む人は彼のことはみんな好きになるんじゃないかなあ。なんでこんなことになるのかなあ。
そして、紛れもなく「純愛」の物語であることに最後は気づくんだけれども。
現代の「愛」はここまで残酷なのか。

「貧しさ」や「枠組みから外れる」ことは「本人の努力不足」と言われて久しい世の中ですが・・・こんなに頑張って生きているのにそれでも努力が足りない、と非難されるのだろうか。
何ともやりきれないモヤモヤが残りながらも、また何度も読みたくなってしまう、そんな本です。

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