【小説のようなもの】美しい薬
ーなぜ、私だったのだろう。
ー助かるなら、生きる価値のある人であれば良かったのではないか。
ああ、今日も耳鳴りがする。
きっと、また、イタリアさんが過去の罪障と向かい合っているのだろう。
ルーベンスの絵でも検索しようかな。
私の名前は、秋本冴。職業は教員。職場は中学校だったり、高校だったり。中高の免許を持っているとこういうことが起こる。給料は、変わらないけどね。
担当教科は美術。私が今、この仕事をしているなんて、今でも時々信じられない。人間が嫌いで、人前が嫌いなこの私が教員なんて、完全に見えざる力が働いている。それが、イタリアさんだ。イタリアさんは、前世の私である。500年前、私はイタリアの修道院でシスターをしていたらしい。妹を魔女狩りで亡くし、自身も魔女狩りに遭ったのだが、何故か火炙りを免れたという。失意と後悔、絶望の中、家族と永遠のお別れをして、修道院に入り、妙に高い位置にまで昇格して、70代で惜しまれながらこの世を去った。この話を聞いている私には秋本冴の自我があるので、区別をするために、前世の私を「イタリアさん」と呼んでいる。
小学校のころ、社会の図版で宗教画を見つけた時、普通なら綺麗とか、上手とか、ふーんとか。日本と違うとか、普通がわからないので今適当に並べたが、こういうサラッとした印象で終わるのではないかと思う。しかし、 私の脳内は違った。
ーああ、懐かしい
イタリアさんはシスターだったので、宗教画を懐かしく感じたみたいだ。
特に絵に詳しいわけではないみたいだが、職業柄、目にする機会が多かっただろう。イタリアさんは、私に言った。
ーずっと、こういう絵を描いてみたかったんですよ
イタリアさんは、宗教画に魅了されていたらしく、描きたいという思いを持っていたようである。しかし、あの時代は女が絵を描く何て想像もできない男性社会。思いは思いのまま、イタリアさんは生涯を終えた。
そしてその夢は、ーーー次に繰り越されたのだった。
敬虔なカトリック教徒のイタリアさんにとっては、15世紀ルネッサンス期の絵画は異端の神々が多く描かれていたが、イタリアさんはどんな絵も美しいから好きらしい。目から鱗だった。美は全てを超越するんだなと思ったものである。イタリアさんのためではないが、美術予備校に通った。宗教画も描画方法を覚えられるかもしれないと思って。でも、先生に言われた。
「今の時代にルネサンスの絵の描き方を覚えてもしょうがないからね」
イタリアさんはわかりやすくがっかりしていたが、同時に理解もしていた。
イタリアさんのためではないが、美大に進学した。イタリアさんのためではないが、テンペラやフレスコなどの古典技法の授業だけは、真面目に休まず授業を受けた。
残念ながら、この人生で私が宗教画を描くことはないだろう。
その代わりに、美しい絵を描いていきたいと思う。
そして、イタリアさんの好きな絵が大量に集められている西洋美術史の世界を専門的に学んで、イタリアさんと生徒に還元して行こうと思う。
イタリアさんは、妹を失い、家族と生き別れ、生き残った絶望中で
美しい絵画が、救いになったのかもしれない。
絵を見ている時だけは、全てを忘れることはできるから。