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江戸藩邸を辿る〜島津家(薩摩藩)編〜

「島津の退き口」は、数ある戦国時代の逸話で最も好きな話の1つ

幕末の子孫たちの活躍も言わずもがな

昔々から強く逞しい島津家

今回は、抱屋敷(大井)→下屋敷(高輪)→中屋敷(日比谷)→上屋敷(三田)を辿っていきます

抱屋敷(品川区東大井6丁目)

大井駅から徒歩約10分

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現在は跡地は"関ヶ原公園"の名称に

島津斉彬の父、斉興がここで隠居生活を送っていたそう

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『抱屋敷』とは、大名が民間の所有する土地を購入し、建築した屋敷
一方、幕府から与えられた土地に建築した屋敷は『拝領屋敷』と云われていました

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下屋敷(港区高輪3-13)

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抱屋敷から国道15号線を北へ
3.6km先にあるグランドプリンス高輪内が跡地です

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当時は品川駅あたりから東は海で、荷揚げ場としても機能していたみたいです
近辺に久留米藩他、西国の大名たちの下屋敷跡もたくさんありました

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中屋敷(千代田区内幸町1丁目)

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下屋敷から北へ高輪大木戸跡を通過して5km

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現在跡地は何もありませんでした

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が、ここには今回最大の謎があって
『島津藩の中屋敷は江戸城から上屋敷より近い』んです

大名屋敷は江戸城を起点に上→中→下と配置が基本ですが、
なぜか島津藩は中→上→下の配置に

上屋敷(港区芝3丁目)

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中屋敷から東京タワーを右手側に南へ2.4km 戻り、NEC本社横に屋敷跡の石柱碑を発見

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上屋敷跡の敷地内には遊歩道「芝さつまの道」として整備されていて、屋敷の間取り図を掲示も

【まとめ】
抱屋敷→下屋敷→中屋敷⇄上屋敷まで約11km

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『島津藩の上屋敷は江戸城から中屋敷の方が近い』問題は、幕府が見逃したのか島津家が怖かったのか理由は謎でけっきょくわからずじまい

ちなみに上屋敷跡近くには蔵屋敷跡もありましたが、至るところが工事中で近寄れず残念無念

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