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江戸藩邸を辿る〜毛利家(萩藩)編〜

永井路子著『山霧』がきっかけで毛利元就が好きな武将になりました

幕末、その子孫と家臣たちが住む江戸藩邸とはどんな感じだったんでしょうか

今回は、下屋敷(檜公園)→中屋敷(六本木ヒルズ)→上屋敷(日比谷公園)を辿っていきます

下屋敷跡(港区赤坂9丁目)

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乃木坂駅から徒歩約10分
現在は、檜町公園になってます

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近くには東京ミッドタウンが

萩藩というより通称の長州藩の方がしっくりきますね

関ヶ原の戦い直後は公称39万石でしたが幕末期には、実高は100万石超え説もあったとか

倒幕の背景にはやはり藩の資金力もあったのか

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中屋敷(港区六本木6丁目10-1)

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下屋敷から約1km南にあり、現在はテレ朝前にある毛利庭園になっています

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中屋敷としてあった情報もあったのですが、実際は長州藩毛利家の分家だった毛利綱元の麻布上屋敷の跡地説が有力

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細川家と同じくここも赤穂浪士終焉の地で、10名を預かったそうです

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上屋敷(千代田区日比谷公園)

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現在、跡地は日比谷公園

毛利庭園から約3kmのところでした

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この前紹介した上杉、黒田上屋敷があり、この辺りは、外様大名の屋敷一帯だったようです

キングダムみたいな合従軍を組まれて謀反を起こされる心配なかったのか気になる

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【まとめ】
下屋敷→中屋敷→上屋敷まで約4kmで1時間弱

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江戸屋敷を調べていくと
お家断絶とか、引っ越しとか、藩同士で売買とかの影響で大名でも割とわからなくなることが今回よくわかりました

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たしかに江戸時代の250年間、そのまま大名屋敷があることの方が今の時代で考えると信じ難いことですね

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