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欲望に従ったらデザイナーになっていた。この仕事を選んだわけ

こんにちは!ローカルデザイナー@京都・南山城村の奥西しろです。

今日はデザイナーになった経緯・・・
 #この仕事を選んだわけ を綴りつつ

行動することの大切さを
お伝えできたらと思います^^

幼少期から絵が得意だった

物心がついた頃、
幼稚園の時から
絵を描くことが得意でした。

私の母は絵ではなく
裁縫が得意な人ですが

祖母は絵を描くのが好きだったそうで
何か影響しているのかもしれません。

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(↑今では4歳の娘も絵が大好きで一緒に描いています)

漫画家を目指した小学生時代

小学生になり
2年生の頃には
漫画家になりたい!

と思うようになりました。

当時、好きだった
ドラゴンボールの影響ですw

小学3年生に
「子どもチャレンジ」を始めた時は
ポイントを貯めてもらえる
「目指せ!漫画家セット」が目当て。

本格的な漫画用のつけペンを手に入れ、
原稿用紙を買い、
スクリーントーンを集めたり
漫画家一直線でした笑

その頃はドラゴンボールの
パロディ漫画に少女漫画、
小学校高学年でハマった
プロ野球のギャグ漫画
なんかも描いていました笑

中学生で新選組にハマる

中学生になっても
漫画家の夢は継続!

何回か出版社に
漫画を送ったこともあります。


(結果は落選です。
 そりゃ人生経験の少ない
 お子様の描いた物語ですから汗)

もともと歴史が好きだった私は
中三の頃、新選組にハマりました。

結果、思ったのが
新選組の漫画を描きたい!!

司馬遼太郎さんの小説や
新選組の本を読み漁り、

沖田総司や土方歳三を
イメージしたイラストや
遊女などを
毎日描いていました。

新選組→剣道でしょ!

高校は公立の進学校に入ったものの

「漫画家デビューして高校を中退する!」
ことを夢見ていました笑。

人と違うことをするのが
昔から好きだったのです;

部活は剣道部に即決!

新選組の漫画を描くためには
剣道を知っておいた方がいいと
思ったという単純すぎる理由。笑

(ちなみに中学は水泳部。
 剣道は未経験でした。)

ですが!

なんと

部活が楽しすぎて、
いつしか漫画から遠ざかって
しまったのです!!!

10年近く思い描いていた
漫画家という道は
いつしか薄れていくことに・・・

燃えよ

絵を描く仕事=美術大学

でも、将来の仕事を考えた時に
「絵を描く仕事」
というのは常に脳裏にありました。

そのため
絵を描く=デザイン科???

と、デザインのことは
何となくしか知らないまま
美大のデザイン科を
志望することに。

好きなアーティスト・B’zと
将来、仕事ができるかも!

なんて
淡い期待も抱いていましたw

美大に入るも挫折

高校2年生の夏から
美大の予備校へ通い始め、

いくつか受けた美術大学の内、
滑り止めだった大学へ入ることが決定。

ですがここからが
私の暗黒時代の始まりだったのです。

自分よりもすごい人がたくさんいる中で

「なぜ自分がデザインをするのか」

意味を見出せなくなっていたのです。

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学校には馴染めず、楽しくない。

アルバイトの方がやりがいを
感じてしまった大学1年の冬。

親に
「大学を辞めたい」
と伝えますが、

「卒業しなさい」と言われ
渋々大学に通う日々が続きました。

(今思うと贅沢な話ですが)

尊敬するデザイナーさんとの出会い

そんな鬱鬱とした美大生活。

20歳の時、大学帰りにいつも通り、
横浜駅で立ち読みをしていて

憧れの存在と出会うことになります!

梅 原 真 さ ん

高知県で地域に根差した
パッケージやデザインを作っている方です。

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(なんとその後お会いする機会もありました!2015年ごろ撮影)

今でこそ梅原さんはローカル界では
超有名なデザイナーさんですが

当時は地方創生という言葉もなく
田舎でデザインの仕事をする、というのは
とても珍しかったのです。

私は以前から
都市開発でどんどん変わりゆく
街に疑問を持っていました。

地元の駅前には高層マンションが建ち
風景は一変。

思い出の景色が少しずつ
なくなっていく街・・・

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(↑地元・横浜市上大岡駅前)

街の理不尽さが悲しく、
街づくりや地方・田舎に
興味がありました。

特に大学生時代はよく
東京の下町を歩き
暮らしの垣間見れる街並みを
楽しんでいたものです。

そんな時に出会った
地方でのデザインの仕事。

私がやりたいのはこれかもしれない!!

そんな希望が見えた瞬間でした。

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今でもこの梅原さんと出会った
雑誌は私の宝物です。

縁もゆかりもない熊本へ!

結果、大学4年の夏、
当時の国交省がやっていた
地域づくりインターン
という

地方と大学生を繋ぐ
プロジェクトに応募しました。

美大では地域に入る機会がないためです。

日程の都合もあり、
私が行くことになったのは
熊本県八代郡氷川町。

氷川町に合併前の宮原町は
住民主体の街づくりを
以前から取り組んでいた町でした。

そこで日本各地で街づくりを
学んでいる大学生や
地元の方、役場の方と交流は
とても新鮮で楽しい経験でした。

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そしてインターン後も
熊本へ通い続け、

地域の高齢化するみかん農家さんを
元気づけるお歳暮プロジェクトに
デザイナーとして参加することに。

自分が人の役に立てるんだ、
世の中に埋もれた価値をデザインで伝えたい!

自分の道を固めたターニングポイントでした。

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興味や欲望に従い、行動することで道が開ける

長くなるので割愛しますが
こうしてデザインの道に進み、
2014年には独立。
続きはHPからどうぞ!

今では「ひと・もの・地域」の
デザイン、ブランディングに
携わっています。

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(↑仲間もたくさん出来ました♪)

最初の動機は不純でも行動するきっかけには十分です。

「あっちかな」「こっちかも」と
最初は誰でも迷うもの。

好きや興味から始めて

突き詰めたり、続けたり
行動することで、
答えは自ずと見つかります。

それは今も変わりません。

(↑独立後も紆余曲折してきましたからw)

もし今、あなたが
何かに悩んでいたら
まずは欲望のままに
動いてみることをおすすめします。

#この仕事を選んだわけ

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