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波音につぶやく

僕は海が好きだ。
海と山、どっちが好きですか?みたいな二択問題がよくあるけど、優柔不断な自分でも、これについては迷わず「海」と答えられる。

海が好きというのを、もっと細かく言うのであれば、僕は海を眺めるのが好きだ。だから、山から眺める海も好き。結局、海も山も好きなのかもしれない。


僕は海と山に囲まれた田舎町で育った。
家から歩いて5分もせずに小さな港に辿り着く。テトラポッドや堤防は、子どもの頃の遊び場だった。堤防の先には灯台があったりして、ちょっとした冒険気分を味わったりもしていた。

高校生になった僕は、テトラポッドに近付くこともなくなった。
ただ、自転車での通学路は海岸沿いの道だったので、毎日毎日、海を眺めながら学校に通っていた。
といっても、朝なんかは時間の余裕もなかったから、眺めるというよりは横を通り過ぎているだけだった気もする。

高校3年の時だったと思う。
受験とかでちょっと気持ちが落ち込むというか、辛かった時期。
帰りがけにふと、海を見たくなった。
何も考えずに海を。

そう思い、さっと自転車を方向転換させて、
いつもの通学路から脇の細い道に入った。
もっと海に近付けるように。

自転車を降りて押しながら歩く。
いつもと違う道には木々が生い茂っていて、日中でも少し暗かった。
草や葉や虫がいて、昔の冒険気分をまた味わうことができた。

通学路からあまり離れすぎず、でも人からあまり見えないような場所を見つけて、自転車を停めた。
目の前に海が広がっている。
「水平線」を初めて意識した瞬間。

堤防に腰掛けた。
周りには誰もいない。

しばらく海を眺めていた。

海は広いな大きいな
月がのぼるし日は沈む

自然と口ずさむ。
この歌詞を作った人は、たぶん海を見たまんまの感動を表現したのかな、なんて考えた。

遠くには、貨物船が見える。
足元では、波が何度も何度も優しく打ち付ける。

じっと動かない僕の周りで、世界は確実に動いている。
日が暮れて、少しずつ暗くなってきた。

「なんで、こんなことしよんのやろう…」

思わずつぶやいた。
小さな呟きは、波音に掻き消されたかのようだった。

「なんで、こんなに辛いんやろう…」

またつぶやく。
ザザーン、ザザーンと、聞こえてくる波音に、海が応えてくれたようにも思えた。

当時から、そして今でも悩みを打ち明けるのが苦手な僕は、独り言のようにつぶやくことでさえ抵抗があった。誰にも聞かれていないのに。思いをぶちまけたり、叫んだりできたらスッキリしそうなシチュエーションなのに、それをしなかった。できなかった。

その代わりに、好きな歌を口ずさんでみた。
高校生の頃、ポップンミュージックというゲームにはまっていて、サウンドトラックを毎日聴いていた。歌詞カードも読み込んでいたから、ほとんどの曲を暗記していた。
ポップンミュージックの歌を数曲歌いながら、その間も波音を感じていた。

どれくらい経ったのかは覚えていない。
でも明らかに夕方を通り越して夜になっていたから、家に帰って親に少し心配された気がする。
僕はその心配をよそに、僕だけのお気に入りの場所を見つけられて嬉しい気持ちだった。

それから何度か、帰り道に立ち寄った。
「また来ました。」
海はいつでも変わらずに、波音で迎えてくれる。
打ち寄せては返し、白く泡になってシュワシュワーと消えていく。

回数を重ねるごとに、滞在時間は短くなっていった。
海を眺めていると、自分の悩みがちっぽけに思えてきて。
それに、いつまでもここに居ちゃいけないよ、と言われているような気がして。


あれから約18年が経った。
そういえば、最近は海に行っていない。
でも、高校3年の、あの頃の海のことはいまだに忘れられない。

海は、僕のことを覚えてくれてるだろうか。
波音で、また応えてくれるだろうか。

#わたしと海

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