見出し画像

私が家事分担を諦めた理由

みなさんこんにちは。
白目みさえと申します。

普段はこちらで色々やってますので、よろしければご覧ください。

今日は私の中でちょっと落とし所が見つかったのでそれについてツラツラと残しておこうと思います。

こんなことを言いながら3年後には全然別のこと言うてるかもしれんけど(笑)

どなたかの何かの参考になれば。

「私が家事分担を諦めた理由」

※今回「家事」という表記の中にニュアンス的に「育児」も含まれていることがありますが、そこは雰囲気で読んでいただければ幸いです。

結婚当初の私の考え

私の実家は両親共働きでしたが、家事はほとんど母がやっていました。
ときどーーーーき父が洗濯や皿洗いをしているのを見たことはありましたが、子どもの目に見てもそれは「お手伝い」で。
家事に関しては子どもだった私でも全然できてしまうレベルのことしかしていませんでした。

父は仕事をしてくれて、家計を支えてくれている…

それはわかるのですが「母もそうでしょ?」ですからね。

両親はよく似たジャンルの仕事をしていて、母が父の給料を大きく下回っているとは考えにくい。仕事時間も似たようなもののはず。

それなのに母は毎日同じくらいの時間に買い物袋を下げて帰ってきて、夕飯の支度をし、気まぐれに私がお風呂の用意をしていただけで飛び上がって喜んでくれ、遅くなる時は必ず「この日は遅いから」と教えてくれたり、連絡があったり、夕飯を用意して「これを食べて」とメッセージを置いたりしてくれていました。

一方で父は帰宅時間もバラバラでいつ帰ってくるかわからない状況で、夕飯が必要かどうかの連絡もしてこない。当然家事もしない。

これで母が専業主婦だったのなら。
「お父さんがお金を稼ぐ担当なのよ」と言われれば。
そこまで気にならなかったのかもしれません。
でも母もめちゃくちゃ働いていたので、どう見ても不平等な状況なのです。

もちろん私だって子どもだったのでお金は稼いでいません。
家事だってそれこそ手伝い程度しかしていない…

そこはわかっているので実際に父に何か言ったことはありませんでしたが、何度か母に「離婚しないの?」と聞いたことはあります。

母は決して父のことを馬鹿にしたようなことは言いませんでしたが(愚痴は言ってたけど)私から見ると母ばかりが苦労をしているように見えました。
仕事と少しの家事しかしない父を見て、私はだんだん父を尊敬できなくなっていったのです。

夫婦間のことですから、私たちの目に見えないところで、父が母の支えになっていたのかもしれません。そこはわからない。

…なってますかね?(聞くな)

また父が私の進学費用をはじめ金銭的に支えてくれたことには感謝しています。自分以外の人のためにお金を使うというのは、なかなかできることではありません。

でも同じくらいの金額、もしくはそれ以上の金額を母は私たちに使ってくれていたのです。
つまりその点で父母は同等なわけで。
結果として仕事だけの父と、仕事と家事をしていた母を見て、「両親に育ててもらった」というよりも「母に育ててもらった」という感覚が育っていました。

両親揃っていてお金にも困ってなくてどうこうみたいな話ではなくて。
あくまでも私がこの家庭で育った子どもの頃の心の感覚なので、どうか引っ掛かるところはご容赦ください。

前置きが長くなりましたが…。
だから私は結婚した当初にはこう思っていました。

子どもに同じ思いをして欲しくない

さらに付け加えるのなら、「旦那にうちの父のようになって欲しくない」という思いもありました。

娘側の気持ちが理解できる分、共働き夫婦を続ける以上家事をしっかり分担して、「母に育ててもらった」ではなく「両親に育ててもらった」という実感を持って欲しいと思っていました。

これは結婚してからも何回か旦那に伝えています。

娘には「パパもママも同じように家のことも仕事もしてくれている」「ママばっかりがやってるんじゃない」と思って欲しいと。
娘がそう思えることで、娘もきっと「自分のパパみたいな人と結婚したい」と思ってくれるのではないかと。

そして私自身も大好きな旦那が娘からそんな風に尊敬されないのは嫌だったのです。

娘だけでなく旦那を守りたい気持ちもありました。

何度か伝えるたびに旦那も同意してくれていたし、家事参加しようとしてくれていたので、私もそこは「同じ気持ち」だと思って安心していたのです。

ところがどっこい上手くいかない

でも実際に家事を分担しようといくら工夫をしても、私の思うような生活にはなりませんでした。

子どもの出産直後は私が育休中だったこともあり、家事のほとんどは私がやっていました。
もちろん旦那も手伝ってくれましたが、全ての家事を100とするとせいぜい20〜30くらい。

これまでの数年間で、私が100やっている日はありましたが、決して0になった日はありません。
病気になってもどれだけ忙しくても必ず家の何かを私がやっている。
それは今日に至るまでずっとですし、これからもそうでしょう。
「家のことは全て誰かに任せて何かに集中できる1日」はありませんでした。
学会に泊まりがけで出かけた日ですら、その間旦那や子どもが困らないように買い出しを済ませておいたり、必要なものを準備したり、「こうしてね」と旦那に説明したり指示したり。
美容院に行く日、友だちと遊びに行く日などに旦那に子どもを任せることもありましたが、その日の夕方や次の日は入れ替わりで旦那がどこかに遊びに行きました。

私の家事負担が0になる日というのは存在しなかったのです。

でも旦那からすれば0な日が存在しています。
仕事でクタクタになって帰ってきて「しんどいから寝るわ」という呪文を唱えたらもう何もせんでいい。
子どもの世話も家事もすべて放棄して寝ることができます。
また休日出勤になっても私や子どものお昼ご飯の心配をすることはありません。
自分がいないから困るだろうと何かを準備することはないのです。

私の中の最低は「10〜20くらい(多分次女出産して入院していたときがこのくらい…次女の世話だけしていたので)」ですが、旦那にとっての最低は「0」です。
だからなにか1つでもやった時点で「やった」と実感されます。
それが20、30と増えていけばもう「めちゃくちゃやっている」のです。
私から見れば50くらいでやっと分担ができているなあと感じていたとしても、旦那にとっては0から50に増えているので重労働です。
私の家事負担が30になる日があったとするならば。
旦那から見れば「嫁は家事を放棄して自分ばかりやっている」と感じられるでしょう。

実際に私が書籍化で多忙を極めていた時には、私の家事負担が20くらいになった時期がありました。
それも事前にお願いをして、どうしてもこの期間たくさん家事を任せなければならないと伝え、了承してもらったのです。
それでも私にとっては「0」にはなっていません。
子どものことは最低限やっていましたし、旦那が早く帰ってくることはほぼなかったので、お風呂に入れたり寝かせたりと仕事オンリーではありませんでした。
でも自分が80やっていた時期なんてざらにありましたから。
100じゃないんだし大丈夫だろうと思っていました。

でも旦那にとってはこれまでの人生で一番家事負担が増えたわけですから。
私から見れば「80/100」ですが、旦那にとっては「80/80」つまりMAXなわけです。
仕事をして帰ってきて家のことを全てやらされる
休日も嫁は仕事に没頭していて全て丸投げされる
そんな風に感じられていたと思います。

休日ご飯は作っていましたし、子どものことは最低限やっていたし、買い物もしてたんですけど…。
そして仕事めっちゃしていましたし。
さらに義母の助けも結構あったので。
実際には100の内、20私、30義母、50旦那くらいだったのでは?と思っていますが…。

ただ旦那の実感としてはMAXなので、目に見えてイライラしていました。

でも私は直近で言えば数年前に、旦那がある資格の試験勉強に集中している間約2ヶ月、90くらいの家事担当はしていましたから、1ヶ月80(私から見たら50)くらいなんなの?と思っていました。
私からすれば「そのくらい」ですが、旦那にとっては「もう限界」なので当然会話は噛み合いません。
私からすれば「前の貸し返してよ」くらいの感じですが、旦那にとっては「今」しんどいので、話になりません。

なんとか峠を乗り越えて無事書籍を出版し、それからも家事分担をあれこれ工夫してみました。

私がチャレンジした家事分担

①夜に食器洗いや洗濯を任せる
▶︎旦那が早く帰ってきて家事育児を手伝うことができないので、子どもが寝たあとにすべてを任せるスタイル。結果フライパンがつけ置かれたままだったり、排水溝が詰まったままゴポゴポ言っていたり、次の日に朝ごはんを作ろうとしてもキッチンやテーブルが片付いていないことの方が多いので、朝ごはんが作れない事態に。また洗濯物はどんどん溜まり、畳まれないまま放置、畳んだけれどしまわないままリビングに放置、などが連発。

②朝の準備をすべて任せる
▶︎夜21時頃に帰ってきて家事をすると寝るのが遅くなってしまうというクレームがあったので、夜はなにもしなくていいので朝のことをすべて任せるスタイルに変更。ゴミ捨てや朝食のしたく、片付け、洗濯物を干すなど、やることが多すぎて、チョロチョロしている次女を義母宅に向かわせる習慣がついた結果、次女が「おばあちゃんちの方が保育園より楽しい」と気づき登園拒否をし始める。送迎も旦那担当だったが、私に変わることで次女は「母にはいくらワガママ言っても無駄だ」と悟り大人しく登園するように。

③日曜日だけ全部やってくれ
▶︎拒否「無理、俺の負担が多すぎる」


実は私がお願いしている分は全然「半分」に到達していません。

私は50:50にしたいのに。
30もまともにやってくれない。
ちゃんと「分担」したいのに。
どうしたもんかと思って日々悪戦苦闘していたところ、長女からこんなことを言われました。


「どうしてパパは仕事だけなのに、ママは仕事も家事も全部してるの?」


目の前が真っ暗になりました。(ここは白目むきましたやろ)

私が両親のようになりたくなくて、旦那を父のようにしたくなくて、そして娘に私と同じ思いをさせたくなくて努力していた姿を見ていたはずの長女が、結局私と同じ感想を持ったのです。

私の中でこれまでやってきたこと、努力してきたことがすべて無駄に終わったような気がしました。

娘の一言から気づいたこと

でも娘に言われて私はあることに気づいたのです。

「パパって全然家事しないよね」「なんかママばっかり大変そう」
そんな印象を娘に持って欲しくなかったのは一体誰でしょうか。


私です。


旦那は別にそんなこと望んでいないんです。
そりゃあもうなにも努力しなくたって娘に尊敬されるならどうぞしてくれ!って思ってるでしょうけど、旦那は娘に「家事をちゃんと分担する人」「お金だけじゃなくて、ちゃんと私を育ててくれた人」と思われることを別に心から望んでいるわけではありません。

もし旦那がそう望んでいるのだとしたならば。

そう思ってもらえるように旦那が努力すればいいんです。

私が旦那のために、別に絶対欲しいわけじゃないけどあったらいいなと思う程度の望みのためにお膳立てする必要はないなと…ふと思ったのです。

私がやっていたのはただのお節介だったと気づきました。

私にとっての苦痛はなんだ

とりあえずそのお膳立ては必要ないと気づいてから、私はまた改めて家事の分担について考えてみました。

私はずっと50:50を目指してずっと努力していたけれど、その必要はなくなりましたから。

私にとって一番嫌なことはなんだろうと考えたところ「家事そのもの」ではありませんでした。

家事が片付いていく、終えていくという作業自体は別に嫌いではありません。自分でする分にはなにも問題ないのです。(しんどいけど)

私が一番家事をする上で負担に感じていること。

それは自分のペースでできないことでした。

たとえばお風呂に入ったら、旦那のためにお湯を置いておきます。
でも旦那は入りたいときは入るけど、気分でなければ入りません。
私が次の日お風呂にお湯を張ろうとすると、前日の残り湯がそのまま(浴室は湿気でムンムン)ということも多々ありました。
また入ったとしても抜いてそのまま忘れていることもあります。浴槽にこびりついて取れない髪の毛、ゴミ、そして水垢。
何度注意してもこれは繰り返されました。

なぜなのか。単純に旦那は「お風呂掃除をしていないとお湯がすぐに張れない」という体験をしていないからです。
自分の行動の結果が自分に返ってきていないのですから当然実感はないでしょう。

旦那がサボれば私がやることになる。
私がサボっても私がやることになる。

帰ってきてすぐにお風呂のスイッチを入れられたらどれだけ楽だろう
ごはんを作ろうとしたときにキッチンが片付いていたらどれだけ楽だろう
洗濯物が溜まっていかなければどれだけスッキリするだろう
旦那の帰宅時間を気にする必要ななくなったらどれだけ自由だろう

ずっとずっとそんな思いはありましたが、なんだかそれを放棄してしまうとそれこそ「妻失格」のような気がしていて。

どうしても踏ん切りはつきませんでした。

でもある日の喧嘩をきっかけに私の中で何かが吹っ切れたのです。

俺めっちゃやってるやん

経緯は忘れましたけど多分わたしがなんかイチャモンつけたんでしょうね。
それくらいやってよとかなんとか。
私も仕事してて忙しいねんからとか。

旦那は「俺もめっちゃやってる」というセリフと共に、自分がやっていることを羅列しはじめました。

たしかに旦那にとってはやってたんだと思います。
でも私は基準が100ですけど、旦那は0が基準ですから。
私にとってはどれだけ並べられても「やったんそんだけやろ?」としか思えないのです。
「排水溝のゴミ毎日捨ててる?」
「ゴミ捨てたあと袋セットしてくれてる?」
「使った食器ちゃんと下げてる?」
「お茶飲み終わったら冷蔵庫入れてる?」
そんな疑問が次々に湧いてきます。
「羅列できる程度の家事をやったくらいで偉そうに言わないで」
とすら思ってしまうのです。
そもそも加点方式で話をしている旦那と、減点方式で話をしている私とでは話が噛み合わない。

そんな喧嘩をする中で私はこんなことにも気づきました。

私が全部やっていた過去が全然労われない

正直旦那に家事を任せてみたらこんな言葉が返ってくると思っていました。

「あの時はありがとう」
「助かった」
「やってみてわかったけど、君はこんなにやってくれていたんだね」

全然返ってこない。

それもそのはず。
旦那にとっては常に今がMAXなんです。
私から見たらやっと30を当たり前にやってくれるようになったと思っていましたが、旦那にとっては毎日100だった日々を知らないので、30を毎日やるだけでも大変なんですね。
しかも今までやってこなくても良かったものをやらなければならないのです。
私で言うところの「旦那のお風呂の後始末」を常にやっている感覚。

家事を任せれば任せるほど旦那はイライラ毎日不機嫌になっていく。

旦那に家事をしてもらえばもらうほど、どちらも不快になるだけだということがわかりました。


そしてもうひとつ気づいたことがありました。

私にとって出産後の一番大変な時期は100ではおさまりません。
なんせ自分の体が万全ではないので−50くらいのハンデがある。
その状態で100こなしていたわけですから。

それに比べると
今ってめっちゃ楽なんですよ。

なぜなら子どもが自分のことは自分でやってくれるようになったから。
100ある内の10くらいは自分たちでやってくれている。

もしこの先旦那が家のことを1人でやらなければいけない日が来たとしても。
旦那が100担うことはありません。
子どもたちの方ができることが増えているから、きっとどれだけMAXでも80くらいの大変さで終わるでしょう。

私はどこかでずっと、旦那に労って欲しかったんだと思います。
こんな大変なことよくやってたなと。
でも私が-50のコンディションで100の家事をやっていた苦しさを旦那が味合う日はもう永遠にやってきません。


私が気づいたことまとめ

・娘に「パパは家事に協力的」と思わせるために私が努力する必要はない。
・私が一番苦痛なのは「自分のペースでできないこと」
・旦那に家事をやってもらえばもらうほどどちらも不機嫌になる
・旦那に家事をやってもらっても私の苦労を労われることはない
・旦那にとって苦痛なのは、娘に尊敬されないことではなく「家事」


その結果私は…


旦那と家事を分担することを諦めました

私はこれをきっかけに旦那と家事を公平に分担することを諦めました。
もう少し具体的に言うと、「私のペースで全部やるから、それに合わせろ」というルールに変えたのです。

また詳しいタイムスケジュールはブログにも描きますが大体こんな感じになりました。

○基本的に旦那の分の夕飯は作らない
▶︎必要な時は「欲しい」と夕方6時までに連絡する。連絡さえあれば必ず作る。また外食も私のタイミングでする。私と娘で食べにいく。旦那の都合はいちいち確認しない。
▶︎私と子ども3人で食べ、食べ終わったら食洗機で洗ってキッチンは片付ける。もし旦那の分が用意されていた場合は必ず自分で食器を洗う。守れなければしばらく夕飯は用意しない。

○基本的にお風呂は残さない
▶︎「お風呂残しておいて」と連絡があれば残す。ただしその場合掃除必須。掃除ができていなければしばらくお風呂は残さない。
▶︎私と子ども3人が入ったらそのまま抜いてお風呂を掃除する。

○決まった係だけやってください
・ゴミ出し(まとめるのも)
・猫の世話
・朝長女を集合場所まで送っていく

○自分が子どもに「したい」と思うことをやる
公園に連れていく、ゲームで遊ぶなど


食事やお風呂に関しては「連絡さえあれば合わせるし、ちゃんと後処理をやってくれればいい」と伝えていますが、これまで連絡があったのは数回。

私は「ひどい嫁になったかもしれない」って思っていましたけど、旦那にとっては「連絡しろ」と強制する方が酷い嫁だったのかもしれません。

娘が「パパ家のこと何もしない」と思うことも、私にとってはとても旦那がショックなんじゃないかと考えていましたけど、旦那にとっては「別にそんなんどうでもいい」だったのかもしれません。


世間的に見たらご飯も作らない、お風呂も残さないなんて、「いい嫁」ではないでしょうけど、旦那にとってはやりたくない家事をやらずに済み、連絡を強制されず、娘と遊び、割り当てられた係をしているだけでいいという状況の方が楽なようです。

なぜかそのスタイルに変えてから、旦那は自分で朝ごはんを作ったり、子どもの集金を気にしたりと、自分の「やりたい家事」を見つけていくようにもなりました。

私の方も自分のペースでなんでもできるので、実はあまり負担は感じていません。(全部片付けたのに朝起きてめっちゃ散らかってたら怒りますけど)

私はここ数年「どうやって旦那に家事をさせるか」ばかり考えていましたが、「どうやったら私が一番楽か」を考えるべきだったんだなと思いました。

「家事」と一括りにしていますが、その背景にある思いはそれぞれ違います。「家事分担」が今思い通りになっていないことの「何が」嫌なのかを考えてみると良いかもしれません。

私の場合は「自分のペースが乱されること」でしたけど。

人によっては「洗濯だけでも変わって欲しい」「きっちり分量を分担したい」「時間で分けたい」など色んな「嫌」があると思います。

世間では「分担すべき」という風潮があり、「分担」=「平等」と考えがちですが、自分の思う「理想の分担」とは何かをしっかり考え、相手の思う「理想の分担」とは何かも話し合った上で決めた形が、その夫婦の「分担」なんだと思います。

我が家の場合。
今のバランスがちょうどいいのかもしれないと思いました。
ぶっちゃけ私が倒れたら旦那はめっちゃ困るのかもしれないとも思いましたけれど。

知らん。

もしもの1日よりも目の前の365日を快適に過ごす方が私にとっては大事です。


そんな結論に至った結果。

私は旦那と家事を分担することは諦めたのです。


長々と書きましたが、どこかで誰かが言っていそうなことばかりです。
あなたの家庭には何も当てはまらないかもしれない。
でももしこれを読んで何か思うことがある人がいたとしたら、「真似はせん方がいいよ」とお伝えしたいと思います。
(なんで書いたんや)

もしもなにか参考になったことがあれば。

コメントなどいただければ白目をむいて喜びます。

お役に立てましたらこちらよりサポートいただければ、白目をむいて喜びます♡