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SAW

もう100回以上見ているSAW、また見ました。

1作目なのでグロ度は低めでしょうか。ゴードン先生が足を切るシーンは相変わらず痛いので薄目で見てしまいます(´-ω-`)

アダムもゴードン先生も大した悪人ではありません。命を粗末にしているようなことも無いですし、どうして選ばれたんでしょうね?奥さんを裏切っていたゴードン先生はまだしも、アダムは特に謎です。

メインのゲームはいつもタイムリミットまでの時間が長く、サブのゲームは本当に短い。1作目に関しては、生きるためにカミソリワイヤーを抜けろというサブのゲームは2時間も猶予がありました。アマンダ初登場のゲームは時間は短くても達成条件が緩く感じます。アマンダ自身は痛い思いしてませんし。そういえば逆トラバサミの初登場も1作目だったんですね。活躍するのはまだ先ですが。

アマンダが大好きなんですが、私だったらどう思うだろうって考えます。生きたいがために無我夢中で痛みに耐えて、更生されたと感じるだろうか。ジグソウに救われたって思うだろうか。ジグソウに感謝しているという人はアマンダの他に何人か出てきますが、これはもうその極限状態を経験しないと理解出来ないんでしょう。

ゴードン先生も大好きです。浮気してるし、奥さんと娘より仕事優先という感じもしますけど…やっぱり監禁されて彼女たちの命に危険がある状況だと知れば必死になりますよね。助けに行けない無力さを痛感したのは電話の向こうから銃声と泣き声が聞こえた時。家族が自分に助けを求めてるのに何も出来なくて、気が狂いそうになって叫んで、ついに足を切る決断をするんですね。

アダムにそれが出来なかったのは、ノコギリを壊してしまったこともあるでしょうけど、やっぱり家族の存在が大きい気がします。

タップとシンもいいコンビでしたね。もしかしたらこの2人がジグソウを捕まえていたかもしれない。被験者1人を犠牲にしてジグソウを捕まえていれば、この先犠牲者が増えることは無かったけど…そんなことは出来なかったんでしょう。

ゴードン先生とアダムの間に絆のようなものが出来たように感じたのは私だけでしょうか。喧嘩したり疑ったり協力したり、ゴードン先生はアダムを毒殺しなかったし、ゼップに撃たれそうになったゴードン先生をアダムは助けました。心配するな、助けを呼んでくると約束するゴードン先生と1人にしないで欲しくてやっと互いに触れられたアダムは必死に置いていかないでくれと縋ります。失血で顔が真っ青のゴードン先生も可哀想だし、あんた所に1人で取り残されるアダムも可哀想です。しかもアダムはゲームを仕組んだジグソウがすぐ近くに居たのも知ってしまっていて、足枷の鍵はもう無いというのも知らされてしまっています。ジグソウを撃つことも出来ず、明かりを消されゲームオーバーの言葉と共に扉が閉ざされて絶望感でいっぱいだったでしょう。

しかし疑問なのは、アダムのゲームは脱出が目的です。早々に鍵を失いましたが、足を砕いたりして足枷を外せていれば逃げ出せたのでしょうか?

それにゴードン先生は時間までにアダムを殺していません。足を切って脱出しただけです。それに奥さんや娘も殺されていません。ルールを重んじるジグソウのゲームとしてはどうなんだ?とモヤモヤが残りますね。片足を犠牲にして脱出できたので、生きる意志の強さを大切にするという意味でジグソウはゴードン先生を見逃したんでしょうか。最終的にその選択は正解だったと思いますが、それは時が来たら語ることにします。

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