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天職って流動的じゃない?

天職って言葉あるけど,たとえ天職と思える職に出会っても,それが一生天職でありつづけるかというとそんなことないよね。あたりまえのことだけど。

ああ,あのとき,あの仕事してる時期,天職だったのかもしれない,ってあとで思うんじゃない?

最初は憧れてなんとかその職につけて,精一杯背伸びして,いろいろ考えて毎日準備して仕事するの。それがだんだん慣れてきて,ドキドキとかじゃなく,落ち着いて,でもじわじわ楽しく,ときどきボーッとしながらその仕事やっていくわけ。恋愛みたい。

私はいま眠い。今年も紀要を書きます!って言ったけど,なかなか取りかかれなくて,いま,締切前日の夜。

材料はいろいろ集めてるけど,まだ,論文は,かたちにもなんにもなってない。ただ,入り口だけ「こんなのが出来そうですよ」って書き割りで,なかにまわってみたら材料が積み上がってるだけの,完全に着工が遅れた工事現場よ。

でも私,書くことを仕事にしたいと思ってるの。なんでこんな口調で書いてるのかも分からないけど,まあこういう気分なのよ。仕方ないでしょ。

麦茶とレッドブルを飲みながら,今日はとことん書いて明日提出できるようにする。

ところで,私にとっていつか「あれが天職だったな」と思える職業は,やっぱり,誰かのこんがらがった悩みに,定期的に時間をかけて一緒にとっくみあう「カウンセリング」という仕事だと思うわ。

その理由は,全然,私が良い人だからじゃなくて,ただ,私には「おもしろがり」「知りたがり」の才能が人より多くあるからだと思うわ。

私は人のこんがらがったかたまりを「どうなってるのかしらね?」「こうかもしれないわね?」「どう?」って探っていくのが根っからすきなのよ。あとは,大人の中の「子ども」がありありと見えるっていう特殊能力も持ってると思うわ。

今日はそんなところ・・・余計なことばかり沢山書きたくなるのは,紀要がまだ書けてないからだと思うわ。この勢いで,いまから,こんどこそ書いてしまうわね。これも自立への道のりなのよ。


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