「いのちの車窓」から見た眼鏡越しの世界の話
ここ数日、眼鏡をかけて生活を送っている。
久しぶりに目にぷっくりと腫れ物ができてしまい、コンタクトレンズの使用を止められたからだ。普段寝る時以外はほぼコンタクトレンズをつけて生活をしているため、眼鏡に異常に慣れていない。時折レンズから見切れたぼやけた世界が見えるたび、なんだか今の自分は潜水艦の中にいるような感覚になる。今、私が見ている世界は非現実的で、大きなガラス越しから世界を見ているような感覚に陥る。
ふと、こんな感覚について星野源さんの著書、「いのちの車窓から」にも書かれていたことを思い出した。
「(前略)だいたい何が起きていても、何となく窓の内側に自分がいる気がする。内側から外側を眺め、ただ見ている感覚。『パシフィック・リム」のロボットのように頭部のコックピットにもう一人自分がいて、自分を操ったり、勝手に動く自分の手足や股間を見たりしているよそ者の自分。」
星野さんは脳梗塞で開頭手術もされているため、より自分というロボットを小さい自分が操縦しているような気がすると、文章の続きには記されていた。
ロボットか…自分はこの152センチの体を操縦するパイロット。他のロボットより小柄だし、体も心も柔軟性は乏しいけれど食べることは大好きなロボット。うん。パイロットになって大きなガラス越しから世界を見ているのも悪くないのかもしれない。
そう思えると、眼鏡生活も悪くないのでは?と思えるようになった。
星野さんが書かれたその章の最後は、こんな言葉で締めくくられている。
『人生は旅だというが、確かにそんな気もする。自分の体を機関車に喩えるなら、この車窓は存外面白い。』
しばらくの間は、この車窓を楽しむことにしようじゃないか。