寂しさについて

今朝、Twitterや出会い系アプリのプロフから「彼氏募集」を消しました。といっても、彼氏ができたわけではありません。「あえて募集しなくてもいいかな」と感じたのが理由です。

なんでかなと考えたのですが、「最近は色々成果が出てきたからかな?」が自分の中での答えです。苦節1年半でついに転職も決まり、骨折の回復もおおむね順調、筋力も思った以上のペースで回復しています。2年間勉強を続けているロシア語も最近は簡単な短文なら理解できるようになってきました。ボランティア活動も結構楽しんでいて、他にも読書や情報系の動画視聴とか、それなりにやることはあります。だから、「寂しいから誰かそばにいてほしい」という感情が薄れているのかもしれません。

以前の自分はまさにこの記事↑そのままでしたが、「寂しい構ってちゃん」をやっと抜け出せたのかな、と自分でも感じます。

世の中には単身なことに焦って婚活に必死な人もいますが、それより自分の生活を充実・向上させることに注力すればいいと思います。そうやって色々余裕ができて「人」としての魅力が上がれば、おのずと良い人が惹かれて集まってくるかもしれませんし、自分もそんな状態を目指したいです。

もちろん、この先また気持ちが変わるかもしれません。または誰かに一目惚れするかもしれません。でも、「そのときはそのときかな」ぐらいの自然体で構えていればいいと思っています。

自分でも色々必死にもがいている面は自覚していますが、こう見えて意外と成り行き任せな面もあります。「どうにもならないことはどうにもならない。くよくよ悩んでもしょうがない。今できることを精一杯やるしかない。」という感じでしょうか。

「犬も歩けば棒に当たる」は良い意味でも悪い意味でも使われるようですが、それは正しいと思います。ある意味今回の内定も、できる環境でできることをやっていたら手に入れたものなので。「わらしべ長者」に近いかもしれません(もちろん今は「長者」ではありませんがww)。

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