命日 ですが…😑

今日は母親が亡くなってちょうど1年です。
何度か書いていますが、この1年は相続税も発生しない程度なのに「争族」と化し、1年たった今も終わりません。反吐が出るような長男・三男とのやり取りのせいか、この1年は異常なほど長く感じました。

1年前の夜に「脈が弱くなって点滴ができなくなっているから集まってほしい」と病院から実家へ電話が行き、その直後に母親は吐血して心肺停止だったとにこと。頑固で病院が大嫌いで、30年以上一度も通院も健康診断もせず、乳がんが肝臓、骨、そして大腸にも転移しボロボロ。引きこもりで行動力ゼロだった実家の三男が救急車を呼ぶと言うほど容体が悪化してもそれを拒否し、タクシーに無理やり乗せて病院へ着いたら既に余命数日との宣告。

亡くなる数日前の最期の面会前に医師から見せられた母親の診察結果は強烈でした。肝臓数値は全て3桁、腎臓数値もめちゃくちゃ(クレアチニンが6超え)、糖尿病、肝不全、腎不全、そして肝臓全体ががん組織で埋め尽くされ、全く機能が残っていないとの医師の説明。そして車椅子で運ばれてきた母親は黄疸で肌が濁った黄色。

そして1年前の夜、病室で見た母親は酸素マスク越しの顔がむくみ、もはや第一印象は「これ誰?」でした(!)。そして心拍数が「0」のまま、部屋中にけたたましく鳴り響くアラーム。唖然としながらも、それから1年後の今に至るまで、悲しみも喪失感も全くありません(むしろそんな状況自体が悲しくなるほどです)。

実家を出たのは2006年の夏ですが、時期を追うごとに実家へ足が向かわなくなっていきました。大学自体に筋トレを始めて以降、顔が丸く、体重が重く、髪が短く、服装が派手に変わっていく筆者を母親は気に入らず、散々暴言を浴びせ、自分の好みを押し付けてくることに激しい嫌悪感を感じていました。

ここの10年以上は祖父母の葬式や法事以外に一切実家に帰らず、また家族と顔を合わせても笑った記憶が一切ありませんでした。毎回長男がマウント全開にべらべらと喋りまくるのが不愉快極まりなく、そして黙ったままの筆者に母親が「〇〇(筆者の名前)、笑って」と言ってくるのが余計に嫌でした。

確か10年前(?)に父方の叔父か祖母が亡くなり、やむなく父方の実家へ顔を出したときのこと、他の親戚のテーブルは談笑が聞こえるのに筆者の家族のテーブルだけ笑顔も皆無、しかも長男がキレ気味に威張り散らし、険悪な雰囲気でした。毎回「なんでこの家だけ?」と思わざるを得ませんでした。

母親の葬儀が無宗教で、かつお寺との関係も叔母に引き渡して解消したことで、母親自身のも含めて法事がないこと、そのおかげで実家と顔を合わせなくていいのがせめてもの救いです。ただ、この異常な状況が早く終わってほしいと願いつつ、自分の力の及ばないところで決まってしまうのがストレスで仕方ありません😑。


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