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【2000字小説】【童話】『凛のとっておきの浴衣』

 どうみても、こっちのゆかたのほうが、かわいい。 
 凛はさっきから難しい顔で浴衣を見比べていた。右にあるのは白をベースとした浴衣。朱や黄の金魚が涼しげに泳ぎ、紺色の線を残して白い水の中をゆらりと漂っている。
 左にあるのが、ピンクをベースとした浴衣。白や赤、黄色やオレンジの撫子や石楠花が咲き乱れ、銀色の粒が散って花を輝かせている。花の隙間にはこっそり猫が描かれ、左右の襟と袖口には白いレースがたっぷりだ。
「ぜったい、おねえちゃんのゆかたのほうがかわいい」
 凛は頬をふくらませた。そもそも、金魚の浴衣は去年お姉ちゃんが着ていた。お下がりだ。このピンクでふりふりで、お花と猫の浴衣は、昨日、ママがお姉ちゃんのために買ったもの。
 ママは、お姉ちゃんが犬の散歩から戻ったら浴衣を着ましょう、といって、浴衣、下駄、帯などを一式だすと、すぐにお化粧をしに和室から出ていってしまった。さっきはあまりの浴衣の可愛さの差の大きさに驚き、黙っていたが、今、凛はふつふつと湧きあがる悲しみと怒りを感じていた。姉妹で浴衣の可愛さにこれほど差があって良いものだろうか、いや、ない。
 いつも、ななさいのりんは、じゅっさいのおねえちゃんのおさがりなんだ。いつも、いちばんかわいいのは、おねえちゃんのなんだ。
 凛は下唇をかんだが、耐えきれず「ふえーん」と大声で泣き出した。
「あらまあ、なによ! どうしてそんなに泣くことがあって⁉ 一体あたしたちのどこが問題だっていうの⁉」
 突然、怒った声が聞こえた。はっとして見渡すが、相変わらず和室には凛一人だ。
「だれ」
「まあ、あなたったら泣き虫な上にどんくさいのね! そんな子に泣かれるなんて心外にもほどがあるわ」
 凛は下をむいた。声は、浴衣のほうから響いているのだ。浴衣に目をこらすと、朱や黄の金魚がゆらり、ゆらり。
「ひ……きゃっ」
 その瞬間、冷たい湿り気をおびた突風が和室の中に吹き荒れた。思わず凛が目を閉じ、次におそるおそる目を開けると、空中を何匹もの朱と黄の金魚がゆうゆうと泳いでいた。
「こんなに美しいあたしたちが彩る浴衣の、どこに文句があるっていうの⁉」
 金魚は凛の顔の目の前で目を三角にしてツンツン声で叫んだ。凛は首をぷるぷると横にふり、小さな声で言い訳をする。
「ち、ちがうの。おはながあれば、もっとかわいいっておもっただけで」
「お花?」
 凛がお姉ちゃんのピンクの浴衣を指す。金魚はくるくると泳いでいたが、やがて「いいわ」と飛び跳ねた。
「あたしたちもお花の中を泳いでみたい。あなた、描きなさい。ただし必ず素敵に仕上げるのよ」
 朱と黄の金魚たちは一箇所に集まりぱっと散った。金魚たちがどいたそこには、七色に光る筆があった。凛はその筆を取って白地の浴衣にすっと線を引いてみた。描き出したらとまらない。あっという間に想像通りのピンクの朝顔が描けた。
 すごおい!
 凛は夢中で絵を描いた。凛はお花屋さんになるのが夢だから、お花ならたくさん知ってるのだ。百合に撫子、睡蓮に菫。凛の手は止まらない。魔法の筆だから、なんでも上手に描けてしまう。あっというまに、白地がベースの浴衣は色とりどりの花で埋まった。
「なかなかいいわね。特に睡蓮の花がすてき」
「しあげに、いちばんかわいいのをかくね」
 凛が勇んで大きく腕を動かした。
「一番可愛いもの? なにかし……ひっね、ねこー⁉」
 凛が描いたものは白猫だった。描き終わったとたん、白猫は浴衣から金魚めがけて飛び出した。
「にゃーん!」
 白猫は電球からタンスの上と飛び乗り、下駄や机を踏んづけ、壁を走り回る。朱と黄の金魚たちは障子にぶつかりながら空中を右往左往して泳ぎ、逃げ回る。大騒動だ。
 凛は空中を見上げながらくるくると首をまわした。
 ど、どうしよう。りんのせいだ。きんぎょさんとねこさんが。
「たっだいまー!」「わん!」
 外から、お姉ちゃんと犬の声がした。帰ってきたのだ。ぴたり、と金魚と猫が固まったかと思うと、またあの、ちょっぴりしめった冷たい突風が吹き荒れた。
「わぁっ」
 風がやみ、凛が目をあけると、金魚たちは浴衣の中をおとなしく泳いでいた。
「さあ、お姉ちゃん帰ってきたから、凛、あなたから着付けするわよ〜」
 ママがやってきて、浴衣を広げる。
 あっ。
 凛は目を見張った。浴衣には金魚のほかに、いくつも睡蓮が咲き誇っていた。それに、下駄の赤地の鼻緒に、あの白猫の足跡、肉球がある。
「あら? この浴衣、睡蓮なんてあったかしら……」
「あ、ママ、帯も! この帯、前は猫なんていなかった気がする」
 お姉ちゃんとママが首をかしげている。黄色い帯には、頭を低く下げて獲物を狙う白猫がいた。
「ふ、うふふ! かわいいゆかた! ママ、はやくきせて!」
 首をひねるママを急かして、凛は世界に一つだけしかない、大好きな金魚の浴衣に袖を通した。

……END

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