見出し画像

赤い夕焼け

一列に並んで

2021年6月17日 Monsta xの単独生放送。

あいにくショヌは不在だったが、さすがはモネク。5人だろうが6人だろうが百人力のパフォーマンスを魅せてくれる。もちろん7人でも。

ミニゲームやクイズを楽しむ中、カラオケコーナーの時間になった。それぞれが好きなように体を揺らし、時にアイコンタクトを取って彼らのリズムをみせてくれる。そのリズムは今まで共に活動してきたからこそ自然に生まれる「阿吽の呼吸」であり、そしてよくカラオケに行くと話す彼らの日頃の「おなじみ」を感じさせてくれた。その光景にファンも一緒になって盛り上がり、大きな歓声をチャットにぶつける。

カラオケも終盤。カメラのことなんか気にせず楽しむ5人がある曲のイントロで一列に並んだ。BIGBANGの「赤い夕焼け」だ。

何を隠そうMonsta xはBIGBANGが好きだ。お世辞なんて可愛いものではない。デビューしたての頃、ある歌謡祭で他のアーティストが退場していく中、ステージの隅で客に背を向け大トリのBIGBANGを眩しそうに眺めていた青年たちが彼らだ。きっと派手なステージに大きな歓声、トップのオーラをダイレクトに浴びながら「いつか自分たちも」と心にアツい目標を抱いていただろう。

私たちがオタクであるように、彼らもひとりのオタクであった。

そんな青年だった彼らは5年の時を経て、あの時の目標と同じように誰かの目標となる立場にいる。最近では「Monsta xのようなグループになりたい」「ロールモデルはMonsta xの○○先輩」と言う新人アイドルや練習生もいるほどだ。ドゥンバキという言葉が流行るほど、K‐POPの真髄である「力強さ」「武骨さ」「隆々しさ」をあそこまでリズムを崩さず提供してくれるグループは後にも先にもいない。もちろんそうじゃない意見もあるが、私からすれば彼らが大定番な王道である。そしてコンセプトだけが魅力ではない。山を越え谷を越えながら、いつだってファンにとって最善の選択をしてくれる。痛々しさすら覚えるほどファンを裏切れない、その厳つさとは正反対に位置する柔らかい真心が目を離せないコントラストとなっている。


そんな彼らが歌う「赤い夕焼け」はまさに燃える夕日のように眩しさと切なさが溢れていた。目標であった先輩方とはまた違う彼ら自身の「赤い夕焼け」がみえた。目標は目標のままで、その目標に彼ら自身の色を重ねているような。夕焼けだってそうだ。赤い夕焼けと言ってもその景色が一概に赤だけで構成されることはない。夕日の縁に漂う黄色があり、雲を染めるオレンジ、夜を誘う黒がある。すべては私の憶測だが、この重ねられた色というのが仮に上記の「阿吽の呼吸」であり「おなじみ」であるとするなら素敵なグループを応援できたもんだと心底思う。


「赤い夕焼け」は元々忘れられない人への未練をつづった歌だ。この手の歌はMonsta xにも存在する。しかしここまで私が特筆しているのは彼らとBIGBANGの関係や他のアーティストの作品を歌う新鮮さからである。

(以下日本語意訳一部)

君を愛している この世で君だけ

大きな声で叫んでも あの答えのない夕焼けだけが赤く燃える

会いたい 君の顔があの赤い夕焼けに似ていてもっと悲しくなる

過ぎ去った時間 一緒に過ごした思い出 忘れないで

目を閉じてそっと僕を呼んでくれるなら いつでも駆けつけるよ


まるで今のMonsta xとファンの関係のようだ。忌々しいウイルスに引きはがされて以来、もう長らく直に黄色い声援を届けていない。生活環境が変わり、アイドルオタクの楽しみである現場がないことで、新しい趣味を見つけたり忙しさから離れたりしたファンもいるだろう。綺麗ごとは抜きに人気商売をする彼らの、重すぎる愛が魅力である彼らの、切なく歌い上げる「赤い夕焼け」は、これまでのMonsta xとファンお互いの青春を思い出させるものだった。人によって推したタイミングも熱量も違う。しかしそのオタ活がどんなに刹那なものであっても、魅了されたその瞬間、彼らと私達を繋ぐ一本の線が生まれる。昨今の抗えない状況から私はその線の存在を忘れていた。長く細く、しかし切れることのない確かな線を。「赤い夕焼け」によってまた浮かび上がってきた線をたどったその時、私と彼らは赤い夕焼けを乗せる地平線のように


一列に並んだ気がした



この記事が参加している募集

#コンテンツ会議

30,798件

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?