正義か?悪か?
人は皆、それぞれの感性を持っていて、それぞれの価値観で物事を判断していますよね。
違う考えを持った私たちが共存しているこの社会では、大小多くの問題が起きています。
日本では義務教育を受けます。
読み書きをはじめとする『未来の社会で必要とされる能力を身につける』ための制度。
つい最近までは自分もそういうものだと思っていました。
でも、大人になるにつれてそうではなかったんだと感じるようになりました。
皆が社会で必要とされる能力があるとするならば、こんなにも多くの問題は起きないだろう、と。
でもそもそも解釈が間違っていたんです。
『社会で生きていくための教育』ではなく『社会で必要とされるための教育』なんですよね。
義務教育の歴史を調べてみると各国の色々な歴史が記されていますが、一番腑に落ちたのは産業革命後のイギリスの歴史でした。
自分が読んだ記事にはこんな事が記されていました。
ロバート・オーウェン。義務教育の父と呼ばれることになる人物。
彼は産業革命真っただ中のイギリスで工場経営をしていました。
その工場ではまだ年端もいかない子供たちが多数働いていました。
オーウェンは性善説的な考えから、人間はもともと善性を持っているが劣悪な環境や境遇から性格が変容していくと発言していました。
そのことから幼い子供たちが働く現実に心を痛めたオーウェンは彼らを働かせることをやめさせ自分の工場内に「性格形成院」というものをつくり、年代別にさまざまなものを学ばせた。
この考え方を普及させることに生涯全てを費やし尽力して、ついには彼の死後に「無償学校法」が制定され、義務教育に繋がるのであった。
つまり義務教育は産業革命の影響で始まったと言っても差し支えはないだろう。
というものです。
子供想いの良い話とも捉えられますが、どうでしょうか?
自分は『読み書きもできず、基本的な計算もできない子供』は使い物にならなかったんだろうな、と思いました。
言い方は悪いですが、産業革命により多くの人手が必要になったため、働き手となる奴隷を作り上げるための教育だったのではないかと思います。
今思えば自分が受けてきた授業もそうでした。
でも、今の日本ではそう上手くはいきませんよね。
教育はもちろんですが、性格形成には家庭環境が大きく影響するからです。
同じように授業を受けてきたクラスの中には活発な子もいれば、大人しい子もいて、その中からはメジャーリーガーが誕生し、犯罪者も生まれます。
育った環境によって大きな格差が生まれるんです。
それでも大半の子供たちは勉強をして就職をして会社に勤め働くようになるから、正しいと言っていいんですかね。
そんな、社会を成り立たせるためだけの教育だったんだと思うんです。
大切なことは学校では教えてもらえなかった気がします。
結局、生きていくためにどうすればいいのか、なにが正しいのかも分からないまま社会に放り出されてしまいます。
ただ働く能力だけを身に着けさせられて。
そんなことはないと思う方も、その通りだと共感する方もいると思います。人それぞれなので、どちらが正しいかなんて答えはないでしょう。
結局そこには生まれ育った環境の違いなどがあると思います。
喜怒哀楽、様々な感情が生まれる毎日の中で自分の根底には、
この『作り上げられた社会で、与えられた環境で』生きていかなければならない現実に納得がいかない気持ちがあまりにも強く確実に、芯の部分に存在していて、
これからどう生きていくのが最善なのかを模索しては放棄しての繰り返しの日々を過ごしているところです。
お金を稼ぐのは正義か?悪か?
という話をしたかったのですが、話が脱線しすぎてもう体力がありませんので。。。
また、次の機会です。
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