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後から振り返ることでしか、わからない。後悔先に立たず。

去年の夏から
アメブロで見つけた
とある人の講座を受けていた。

期間は半年。
今振り返れば、その大半は
とても苦しい時間だったなぁと思う。


簡単にまとめてしまうと、
その講座では
身体をととのえて、
思考でも感情でもなく
自分の感覚を信頼して採用しよう、
女性はそうやって繁栄していくのだよ、
みたいなことをやっていた。

たしかに
身体をととのえる方法は
自分の手でできるし
道具も使わないし、

わたしにとっては
瞑想みたいな役割もあって
とても落ち着くし
リラックスできるから、

『ニュートラル』に戻るための
儀式みたいな感じで
今も毎日やっている。

それはいい。
知れてよかった。


でも気付きが押し寄せて来たのは
その講座を受けているときよりも
講座が終わってからの方で、

講座が終わって
講師の人との関わりが
これからはないんだ、と思ったら
心底ホッとした。

「お世話になったしな」とか
「色々細かく見てもらったしな」って
頭をよぎるんだけど、

わたしはあの人のことを
信頼できないんだな。

という根本的なことに
気付いてしまったのだ。


わたしの見る目がなかったのか、
身体をととのえて
他の信頼できる人と関わるうちに
自分の気持ちを自覚して
自分の感覚がどんどん変わって
見えるようになってきたのか、
(たぶん両方)


講座の後半は
今思えば違和感と苦痛だらけで

講師の人からしたら
今まで多くの生徒さんたちを見て来て
わたしみたいなパターンの人が
多くいたんだと思うし
講師自身もそうだったのかもしれないけど

わたしの学ぶ姿勢が受け身過ぎるとか
頭を使ってばかりいるからだとか
傲慢だからとか
色々言われたなー。

めっちゃ従順だったわたしは
そうか、わたしはそうなんだ、と
講師の人に言われた言葉で
自分を縛って
自分を裁いて

結局
「自分の感覚」よりも
「講師の言葉」を
上に置いていたのだ。


そして
講座が終わって3ヶ月、
「自分の感覚」を信頼して
「自分の感覚」に誠実に在ろうと
日々コツコツやっている中で

あのとき
あの講師に言われたことは
【真実】ではなかったし

あのとき
本当ははっきり感じていた
違和感 や モヤモヤ や
傷ついたわたしがいた
ということのほうが
【真実】で

ずっとずっと
大切にしなきゃいけないものだったんだと
今になってしみじみ思う。


そうだよね、
心の奥底で
「この人は信頼できない」と気付いていたから
本音を言いたくなかったし
やり取りするのが億劫になっていったし
「早く講座が終わったらいいのに」って
思っていたんだよね。

でも悔しいから(笑)
途中でなんて投げ出すもんか‼︎ってやって
最後まで何とか付き合った。みたいな感じ。

もうそんな努力も我慢も要らないなー。
書けてよかった。スッキリ。


合う人もいると思う。たぶん。
わたしには合わなかった、というだけだし
そういう一連の気付きを含めて
あの講座を受けたんじゃないかな、と思うと
宇宙の采配ってすごいな、って思う。

講座を受けて、
合わなかったと気付いて、
自分の感覚を
もっと信頼できるようになった。
自分の感覚に
もっと誠実でいたいなと思った。

これもわたしの糧。
ありがたいな^ ^

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