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桃の節句から性別について考え始めた

元は、女の子のお祭りではなかったそうです。

ランドセルの色が、赤と黒の時代に小学生でした。
男の子が黒で、女の子が赤。
呪いのような、禍々しさすら感じていたのを、ひどく鮮明に覚えています。

単純に、当時は赤とかピンクが苦手だったこともあり、赤いランドセルを使うことに抵抗感を持っていました。

女の子だから赤なんだよ、と、説明されても納得できるはずがありません。

そもそも赤やピンクを苦手になったのは、女の子の色として押し付けられたことが原因なのかもしれない。
女の子=赤やピンクという理屈に反発してしている人間に、女の子だから赤なんだよ、と言ったらますます反発するのは当然のことです。

赤が女の子の色だというなら、戦隊モノのリーダーであることが多いレッドは、なんで女性じゃないのか?
と、今だからこそ、そんな矛盾にも気がつきます。

今では、赤やピンクも好きな色の一つです。

ひな祭りは女の子の祭りとしてお祝いされていますが、わたし自身は未婚とはいえ、年齢は子供いたら成人していてもおかしくない年齢です。

振り返ってみれば、ひな祭りを一つの行事として他人事のように捉えており、自分が女の子だから我が家にはお雛様があるという事実が、奇妙な感覚だったように思います。

あえて分類することは不要だと考える一方で、一言で伝えようとするとノンバイナリーが当てはまりそうだと感じています。
一方で、その言葉では不十分だな、とも感じています。

乱暴な言い方をすれば、性別が先行しており、恋愛対象の最低条件となっている状態が異性愛と、同性愛ということになります。
性別の認識はありながら、どちらも性愛の対象となるのが両性愛。

ノンバイナリーは、あくまで自己の性自認を表す言葉なので、性指向については別問題。
ここで、ノンバイナリーは自己の性別を男性女性どちらにも属さないと感じているため、異性愛、同性愛、両性愛という表現が不可能、と、いう問題が生じます。

個人的にしっくりくる言い方は、博愛主義者。
本来の意味合いとは、少しずれてしまいますから、あくまでもニュアンスです。

ノンバイナリーだとしても、男性が好き、女性が好きという方もいらっしゃると思います。
あくまでも、自分の性別に対する認識が男女どちらにも属さないと感じている状態がノンバイナリーとするなら、他人様にノンバイナリーを強要するものではありませんから、男性だと自認している人が好きだったり、女性だと認識している人が好きだったりもするでしょう。

この世に性別などという概念がそもそもなければいいのに、と、思っている人は、自分自身はノンバイナリーという分類になるらしいけれども、他の人にとっても性別を意識しない世界を願っている人、なんですよね。

わたしは、後者です。

さて、改めて考えてみるとどうでしょうか。
中には、自分は女が好きだ!女なら誰でもいい!という方もいらっしゃるかもしれませんし、その逆もまた然り。
これは、必ずしも、相手が異性だから、同性だから好きになるのか?
と、質問や疑問を投げかけられた時、あるいは自問した時に、初めて直面する問題です。

その人だから好きになった。
と、いうだけならば、あるいは性別は無関係と言えるかもしれない。

その人との間に子供をもうけて家庭を持ちたいと思った。
と、なるとどうでしょうか?
異性であることが前提条件と言えるのか否か。

異性間であっても、何らかの事情により子供が望めない場合があります。
同性間では、現状人間ですと生殖機能の問題で不可能ですが、養子を迎えるという選択肢はある。
国によっては、代理母出産をしてもらえることもある。

では、もしも仮に人間の持つ生殖機能が皆全て同等であったならば?

突き詰めていくほどに、性別は曖昧になっていきます。

それこそ、割と有名なクマノミの話に例えれば、性別とはすなわち生殖機能の差異に過ぎないということになります。

脳の構造やホルモンの違いは、機能の一部。
性格に影響する部分は確実にあり、少なからず男女の違いというものは存在しています。

生物学的な性別と、性自認が一致しないケースは、すでにだいぶ浸透しているトランスジェンダーですね。

生物学的に、性別の分類が困難な場合も稀にあるようです。

自分が何者であるのか。
と、いう悩みに繋がることだと想像します。

いずれにしても、1人の人間であるということが、唯一絶対の認識です。
それだけで十分だと考えていたい。

服装やメイクなどに対して可愛いものが好きだと"女性のような趣味"と考えるのは、女性向けとして展開された服装やメイクがあり、固定観念と化してしまっているから。
どうやら、ひな祭りもそれと同様の現象らしい。

ならば、お雛様が好きで、お雛様が欲しい男性がいるのは何ら不思議ではありません。
子供ながらに兜よりお雛様がいい!と、いう人に"男の子なんだから!"と、押さえつけるようなことは避けたいなぁ…
などと、想像しました。
逆も然りです。
お雛様より、兜の方がいい!という女性もいるでしょう。
わたし自身、弟の兜が羨ましかったなぁ。

たとえ親子であろうとも、自分は自分、他人は他人。
それでいいじゃないか。
と、思うのです。

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ご一読に感謝いたします。
ありがとうございます。

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