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IQと生きにくさと その2

本来ひとつの記事だったのだが、結局長くなりすぎた。改めて続き………の前にWikipediaのページを貼っておく

先の第一声にしても、学校の勉強があまりに遅くやる気が無くなる(これをアンダーアチーブメントと呼ぶ)のも、その他様々なことの理由が分かったのだから当然だ。とはいえこれを知ったのは30を過ぎてから。ここからできる事って………

そう、自分らしさの追及だ。人と違うところがあるのだから、それを活かさない手はない。幸い多角的に物事を捉えることができる。感情過多という弱点はあるものの、理性的な行動が取れるようにすれば、可能性はいくらでもある!


と、いいところを語ったが、この記事は生きにくさの話だ。感情過多と書いたがこれは特性であり、基本的には先天的特質だ。これを抑えることは難しい。特に人との関係ではつい感情優先となる。理性的に後で見ると「やっちまったー!」というところもよく分かる。自責の念に駆られることも多かった(今は後悔はしなくなったが)

感情性OEが強いとこれが激しい
私はモロに当てはまる
ただ最近は怒るのはそこまでではない(はず)
少なくとも長続きはしない
でもなくなりはしないんだよなぁ……


また大人に、しかも大分年齢を重ねるまで自分の正しさを信じてた。これほどくだらない発想はない。正しさは人の数だけあるからだ。どんなに自分が理解できなくても、である。これも周りから見て迷惑千万、自分も思いどおりにならないからストレスが溜まる。全く無意味な考え方だ

勉強についても同様だった。なんの意味がある?とつまらない勉強からはドロップアウトした。今考えればどれだけ必要なのかよくわかるのだが………(とはいえ勉強せずともある程度できてしまうのも難点だった)。義務教育だけでもマスターしてたら、現実にどれだけ応用できるのか分からないのだ。これも別記事として取り上げた


ともかく、だ。今知的障害グレーの方の問題などがある。本当に大変なことだ。私がやろうとしてる事と関連性も強いし、息子達にも関係があるので(これも改めて)、身近な問題でもある。確かに厳しいことでよくよく対応を考えなきゃいけない………のだが、実は上も同様なのだ。論文でもIQ125を超えると急激に生きにくくなる、と証明されている。ある意味ではこれもまた知的障害のひとつなのだ

だからアメリカなどではギフテッド教育は普通に行われている。特別に扱わないと才能を潰し、最悪自死を選びかねないからだ。せっかくの才能を放置しない……それが発想になる。対して日本はどうだろう?全くもってフォローはない。何故かと言えば「できる」からだ。勉強のみで考えれば落ちこぼれにはなりにくい。問題行動があるケースもなくはない(発達障害と併発することがある)が、ある程度は放置されるのみだ

アメリカでのギフテッド教育のひとコマ
最新機械をみせたりして、知的好奇心を満足させる
もちろん興味を示さない子もいるが、
その他のもので個別にカバーしている

そらまあみんな一緒!という育成をしている日本で、そんな教育ができるわけがない。なので家庭でカバーする他ないのだ。と言いつつも、私の幼少期にそんな存在のことは専門家以外知らず、対応方法など分かりはしない。そしてたまたま私は合わない環境に突然放り込まれた。それが原因で未だ苦闘中の(広義での)線維筋痛症になった

誰が悪いかという話じゃ…………あって、これは明確に父なのだが、ちょっと表に出せないいろいろがあるので触れない(こればかりは記事にしようがない)。まぁそれはそれとして、それでも真っ当(?)になれたのは母と祖母のおかげである

さあ、最後話を戻そう。生きにくさを感じるギフテッドは確実に多い。飛び抜ける、ということは逆もまた然り。下にもず抜けてる部分が確かに存在するわけだ。ただそれは誰しもが同じことだろう。悩みは人の数だけあり、それを完全に理解することは人にはできない事なのだから

だからこそ「知ろう」とすることがなにより大切だったりする。羨む気持ちもわかるが、どんなに願っても持ってるものは変えられない。配られたカードは交換不能だ。そして1人ではなにも出来ないのも誰しも同じ………

今回はギフテッドの生きにくさだったが、どんな人でも生きづらい世の中だ。なので今後もまた別の形の記事でいろいろな生きづらさを書いていこうと思う。知識は使ってこそ意味があるのだから………

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