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30代男女の脳内にそっとしまわれている、ロマンスについて。

90年代にいくつものメガヒットを飛ばしたCHAGE and ASKA。
その歴代売上3位にあたるのは、1995年に発表された「めぐり逢い」という曲である。
累計で125.2万枚を売り上げたというのだから、このnoteを覗いてくれている方の中にも、あー、CD持ってたなぁ…という方がいたりするのだろうか。

チャゲアスにしては珍しく、この曲はシンプルなコード進行と、夕焼けの懐かしさを感じさせるボトルネックギターの響きが印象的だ。
美しさにただぽわーんとするしかない曲なのだが、しかし歌詞の方はまたもやR30な仕上がりなのだから恐ろしい。
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既婚の女友達と話していると「本当に好きなタイプは、今の相手とは別の人」などといった不穏なトピックが、たまに顔を出すことがある。
実は元カレが一番好きだった、とか、正反対のタイプの方が本当は好き、とか。

こんな妄言が噴き出すのは、やっぱり三十路に突入してからであろう。
20代はそんなことを言ってるより、真のロマンスを手に入れることに忙しい。

色々経験し、いくつかの恋に破れ、その結果としてたどり着いたのが今のパートナー。
完全に納得して結婚しているはずだ。
それでもなぜ人は脳内に、ありうるはずのないロマンスを担保しておくのか?
本当の私はあちらの方にある、と思い込んでしまうのか?
娘とテレビでルパン三世を見ながら石川五右衛門にどうしようもなくときめく私は、そんなことをふと考えるのである。


ASKAという作家が核心的な何かを隠すとき、その詞には美しい言葉という鎖が、何重にもかけられている。
聴く者の想像力を掻き立てるため、いつも行間をスカッと落としてくれるASKAの詞であるが、彼が本気を出すと言葉の行間は”スカッ”どころか、ズッポリ深く抜け落ちてしまう。
そして聴く者はいつまでも言葉の迷路にはまり込むことになる。
10代で「めぐり逢い」に出会った私は、30代の今になるまでこの曲にかけられた謎を解くことができなかった。

だが「人は脳内にロマンスを担保する」という事実に気づいたことから、「めぐり逢い」の鎖が緩み始めるのを感じた。


迷曲の謎が解けるかもと、推理小説を最後から読むような気持ちで、この曲にまつわるあれこれを調べてみた。
するとASKAが2010年に発表した『君の知らない君の歌』という、一人の女性との恋の曲を集めたアルバムにも、この「めぐり逢い」が収まっていることを知った。

このアルバムの中で、男は、とある女性と恋をする。
そして別れたのち、幾つになっても彼女との日々を思い出してしまう。
「めぐり逢い」はこのアルバムの中で、別れた後の「回顧期」に位置する楽曲であった。

ということは、この曲で歌われるのは「一番好きだった人と結婚できなかった(と思い込んでる)男の心情」なのではないか。
これが、私の行き着いた答えである。

えっ、「めぐり逢い」のどこが?と思う方がいるなら、騙されたと思って一度そういう視点で歌詞を味わってみて欲しい。
新しい形のロマンスが、不思議と出現するはずである。

この願い 誰かこの願い
いつまでも 鍵が掛からない
いいさ この出逢い こんなめぐり逢い
今度ばかりは 傷も扉をくぐった

差し出す指に君は指でかえした

恋で泣かした人と 恋で泣かされた人
同じ罪を 振り分けても
いいね いいね


この手離さない (ふたりは)
星の地図はない (迷わない)
言葉じゃもう 引き返せない

そして最後に (この瞳を)
許されるなら (終わるなら)
想い出すなら 最後に君がいい

すべてに はぐれても ふたりひとつ

乗り遅れたバスを 見送る人を見よう
ふたりここで 揺られながら


どんなに暖めても
孵化りそこないの勇気がある
形にならない美しさは
夢から覚めれば切なくて

乗り遅れたバスを (恋を)
見送る人を見よう (渡ろう)
ふたりここで (めぐり逢いに)
揺られながら (ふたりここで)

恋で泣かした人と 恋で泣かされた人
同じ罪を 振り分けても
いいね いいね いいね


この願い 誰か この願い
いいさ この出逢い
こんなめぐり逢い…

この願い 誰か この願い
いいさ この出逢い
こんなめぐり逢い…


終わった恋がいつまでも自分の中で蒸し返されてしょうがない。
それならば、きっとこれは運命の恋だったのだと思い描こう…
そんな男の孤独な決心が、歌の冒頭で提示される。

空想の中で男は、昔のあの子に手を伸ばしてみる。
すると二人は現実からふわりと浮き上がり、まるで映画「La La Land」のラストシーンのように、過去の辛かったことも幸せ色に塗り替えていく
まさに、

恋で泣かした人と 恋で泣かされた人
同じ罪を 振り分けても
いいね いいね

である。そして、

乗り遅れたバスを 見送る人を見よう
ふたりここで 揺られながら

という難解な歌詞も、この「めぐり逢い」が1957年の同名の映画からインスピレーションを受けて作られたと思えば、あの有名な映画「卒業」のバスに揺られるラストシーンに重ねても、そう深読みではないだろう。

現実の結末から彼女を勇敢に奪い去り、バスに乗り込む男と女。
これから二人は新しい未来を切り拓いていくのだ。

しかし曲は、ここから劇的な転調に入る。

どんなに暖めても
孵化(かえ)りそこないの勇気がある
形にならない美しさは
夢から覚めれば切なくて

ふと男は、リアルな自分が背負っているものに気づく。

男が彼女とまた恋をはじめる勇気、それはどんなに暖めても決して孵化することのない卵のよう。
これまで手に入れた日常をかなぐり捨ててまで、過去の恋に戻ることはやっぱりできないのだ。
悲しいほどにビターな、現実の味わいである。

指の先からこぼれてしまった運命の恋。
男は、その恋をそっと胸の内ポケットにしまいこみ、傍目からは変わらぬ日常を続ける。
そして時折、いつかこの人生が終わる時に思い出すのは君のことだろう、と思ってみたりするのである。

うわ…ここまでくるとちょっとゾッとしてしまう。
こんな男と結ばれてしまった妻の心情を描く「めぐり逢い」があったなら、ぜひとも読み比べてみたいものである。
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それにしても。
脳内で別の恋愛を思い描くことがもし罪となってしまうならば、ヒトがその生まれながらに持つ自由はなくなってしまうだろうな、と思う。
人はいつまでも、ロマンスを求める。
だから一夫一妻制が定められているこの世に、水商売のお店はいつまでもなくならない。
対価を払えば、手軽にロマンスが手に入るからだ。

だが、心の深い結びつきを求める人たちにとっては、金銭で手に入れる疑似ロマンスは何の足しにもならない。
だから、過去の恋の相手、そして過去に恋していた自分自身を時に思い出しては、これが本当の恋だったのかもしれない…と合法的な逸脱を楽しむのであろう。

安定という架空の庭をせっせと手入れしている自分が時に不安になるから、人は脳内にロマンスを、危険な自分を担保しておくのだ。
そんな微妙な、R30ゴコロ。
それを描いた曲が125万枚も売れてしまった平成一ケタの世がおおらかだったのか、それともASKAの作詞技巧のなせる技なのか…
やっぱりいくら考えようと、真相は闇の中、である。



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