見出し画像

《点光源 #8》 韓国とCHAGE and ASKA、私の人生を作るもの。

Romiさんという女性が、今回の主役だ。

彼女と私がSNS上で出会ったのは、今年の春のことだった。出会ってすぐにいくつかの共通点を知り、互いに嬉しくなった。

共に年齢が近く、小さな子供を育てていること。
思春期にCHAGE and ASKAの音楽にどっぷりとハマり、最近もよく聴いていること。

さらに、彼女が最近、働きながらもセカンドキャリアとして韓国書籍の翻訳家を目指し始めていると知った時には、俄然興味と尊敬の念が生まれた。

今年、翻訳家への登竜門である賞に応募されたという原稿(なんと3本も!)を読ませて頂いたのだが、育児休暇中だったとはいえ、子育てしながら昼夜コツコツと大量の原稿を書き上げるガッツには敬服するばかり。

さらに彼女はこのnote内にもアカウントを持っていて、チャゲアスと韓国情報をミックスさせた、大変に質の高い記事を公開されている。

記念すべき1本目、私が読み出してすぐ笑いのツボにはまったのはこちらの記事。

彼女のとてつもない才能とリサーチ力にあっけにとられたのは、こちらの記事。

そして、彼女の現場リポート力に、実は内部に精通したスタッフなんじゃないかと疑わしくなってきたのがこちらの記事。

本当にすばらしい能力とエネルギーをお持ちなことは、一読ですぐにわかる。
だが、それにも増して彼女のチャーミングなところは、大好きなチャゲアスと韓国とを掛け合わせ、記事を心から楽しみながら書けるところなのだ。
だから私は、Romiさんの文章が好きだ。

接しているとこちらも楽しくなり、いつでもエネルギーのおすそ分けをしてくれるRomiさん。
ASKAの音楽を愛する人たちへのインタビュー連載《点光源》、8つ目の光として、お話を伺ってみた。


●学び×楽しい=ハイクオリティなnote記事

ーーRomiさんの記事は、本当に質が高いんですよ。読み応えがあるし、何よりしっかりリサーチされてるので、初めて知ることばかりで内容が濃い。こんなことを書ける方がファンにいるんだとびっくりしています。

ありがとうございます。質が高いだなんて(笑)。韓国には10年近く住んでいたこともあり、チャゲアスのファンの方にもっと韓国のことを知ってもらいたいなという気持ちで書いてますが、さすがに育休が明けた後は続けるのは厳しいですね(笑)。

ーー確かにこのクオリティで書くのは厳しいでしょう! 「On Your Mark」の記事なんて、韓国で日本の文化が解放されていくプロセスをまとめるだけでなく、「On Your Markカフェ」というお店に問い合わせたリアル情報まで盛り込んであり、おおーっ!となりました。

カフェの方とは、インスタのDMでやり取りしたんですが気軽に答えて頂けましたよ。リサーチでいえば他にもまとめておきたいものがあって、チャゲアスの『LOVE SONG』のカバーが韓国では混迷を極めてる、という話(笑)。ちょっとまだ調べ切れていないのですが、どうやら同じタイトル同じメロディで歌詞が異なるものをちらほら発見しまして…。現地のレコード会社に問い合わせたら、何かわかるかなと。

ーーその事実、オフィシャルでは把握されてるんでしょうか(笑)。アーティスト側にも役立つ記事になりそうですね。

それともう一つ、個人的なことですが今年40歳の大台に乗りまして、勝手に自分のバースデー記念記事を企画してたんです(笑)。『'00年のチャゲアス韓国ライブを韓国社会はどう受け止めていたか』という内容のリサーチ記事を書こうと。でも仕事に復帰したら全く書く暇がなくなってしまってて、今もなお温め続けております。

ーーそれは読みたい! '00年にようやく日本人アーティストの大規模ライブが解禁された韓国で、日本国内と遜色ないライブを初めて実現させたのがチャゲアスだったんですよね。そういう社会的事情に精通していて、20年前の温度感をちゃんと調べられる人となると、もう確実にRomiさん一人に絞られてしまうんですよ…。いつか実現させて下さい。

いやぁ、また産休取るとかしないと書ける気がしません(笑)。

笑顔でかわすRomiさんだったが、大手メディアだけでなく個人でも能力さえあれば発信できる時代において、彼女のような専門性を持った書き手が貴重であることは間違いない。
ぜひともnoteライターとしての復活を望んでしまうのだ。


●'00年代、韓国カルチャーの成長を肌で感じて

Romiさんへのインタビューでまず伺いたかったのが、韓国の話だった。
韓国語で書かれた小説を、細かなニュアンスも含め丸々と日本語に訳せる能力を、どのように身につけられてきたのだろうか。

ーー韓国に初めに渡ったのはいつだったんですか?

'00年代初め、日本の大学で言語学を学んでいた時が最初です。在籍中にまず1年、交換留学しました。

ーー今は当たり前になりましたが、当時アジアに興味ある学生って少なかったですよね。私も中国の地域研究が専攻だったので、あの頃のアウェイ感はよくわかります(笑)。周りに話の合う人がいないんですよね。

そうなんですよ。なんで韓国? 留学って言ったら英語圏でしょ、という感じで。
私が韓国に完全にハマったのは映画『シュリ』がきっかけだったんです。当時、日本でも話題になっていたはずなんですけどね。あの映画がきっかけで、「こんなに似てるのに、こんなに違う国が隣にあったんだ」と初めて気付いて、それからどんどん韓国という国に興味がわいてきて。


ーー私も『シュリ』を観た時には驚きました。現代の韓国について、知るきっかけって当時はほとんど無かったですからね。

大学生の頃から「韓国の現代文化を研究したい」と韓国を研究されてる色んな先輩たちに相談したんですが、「現代文化って何?」って言われたんですよね。今思うと私の伝え方も間違ってて、正しくは「大衆文化」であり、さらに言うと「韓国のコンテンツ産業」だったのかもしれないです。
いずれにしても、その当時に「韓国を研究する」っていうと、韓国語という「言語の研究」か、高麗、新羅、百済とかの「韓国の歴史研究」だったりするので、まぁ、そんなのをバリバリやってる先輩方からしたら「何のこと?」ってなりますよね(笑)。


ーーなるほどなぁ。研究対象としての韓国がレア過ぎて、コンテンツ産業の研究なんてまだそのベースすら出来てなかったと。

周囲からすればまだ、私のひとり韓流ブームという感じだったんですよね。1年後に留学から帰ってきたら日本の方が様変わりしていて、「ヨン様ブーム」になってて笑えました(笑)。出発前は誰も興味を持ってくれなかったのに、1年経ったら韓国語をしゃべれるということで急にチヤホヤされたりして(笑)。


ーーあの頃の変化のスピードはすごかった! でも韓国語ができるって、すごいことだと思います。

いや、日本人の韓国留学って、1年の留学で生活には困らないレベルまで話せるようになっちゃうんですよ。この二つの言語とも「膠着語」といって、文法を無視して単語だけ並べてもなんとなく通じる、非常によく似た言語なんですね。逆もしかりで、韓国の方でも日本語がすごく上手な方も多いじゃないですか。
私はあの当時は、もっともっと勉強することがあるんじゃないかと思って、よりしっかり韓国語を学びたいと、現地の大学院に進むことを決めたんです。


Romiさんが再び韓国に渡ったのは'00年代半ば。
'97年のIMF危機から10年も経たぬ間に、韓国では映画やドラマに続いてK-POPが急成長し、海外市場に送り出される準備を始めていた。

映像コンテンツに始まって音楽、そして最近では小説などの文学。これらは韓国政府も肝いりで進める産業なんですよね。
韓国は日本と同じく国土が狭いし、資源に乏しくて、その上人口も少ない。内需規模の小さい国としては、コンテンツの輸出っていうのは外貨獲得の大事な手段なんですよね。しかも韓国人って本当に商売上手だし、アピール上手。そういった諸々の条件が重なって、今のような韓国コンテンツブームを引き起こしていると思ってますよ。


ーーRomiさんはやっぱり、当時から特にカルチャーに強く惹かれるものがありました?

そうですね、元々アジア映画が大好きで。中学生の時に香港映画ブームがあって、そこでアジア映画に完全にハマったんですよ。

ーー'90年代後半、ウォン・カーウァイと金城武のタッグは最強でしたね!

そう! 金城武! 大好きでしたね。
でも思い返してみれば、アジアに興味を持ったのはチャゲアスがきっかけだったんですよ。私が中1の時に、彼らのアジアツアーがあって。香港、台湾、シンガポールの3都市でしたが、その辺りからアジアの国に対する興味が俄然出始めたんです。

ーー最初のアジアツアーが'94年、「YAH YAH YAH」で大ヒットを飛ばした翌年でしたね。

香港は、チャゲアスだけでなく映画も好きだし、あのゴチャッとした街の感じも大好きで、「'97年に返還される前に連れて行って欲しい」と親に頼み込んで、中学生の春休みに旅行させてもらったほどなんです。
まあ返還は建前で、本当はチャゲアスのポスターでお二人が立っていた信号機がどこなのかを探しに行く旅だったんですけどね(笑)。


ーーご両親、ただの信号機を探し回る娘に困惑したでしょうね(笑)。
あのアジアツアーはニュースになり、密着ドキュメンタリーもあったほどでしたから、ちょうど多感な時期にアジアを好きになるきっかけだったんですね。

元々小さな頃から通訳ってかっこいいな、こんな仕事をしてみたいなという夢はあったんですよ。でも最初は英語しか頭になかった。それがアジアへの興味に移り変わり、香港などの中国圏、そしてさらに韓国へと向かっていったのは、あの時のチャゲアスとの出会いがあったからです。本当に、音楽というものを通じてだけど、今の私に多大なる影響を与えてくれた方々ですよ。


●大人になってわかる、チャゲアスのコンテンツ力

'81年生まれのRomiさんがチャゲアスと出会ったのは、'92年に発売されたアルバム『GUYS』。大人すぎる曲の雰囲気や歌詞世界に、ご両親に心配されぬようこっそり聴いていたそうで…。

ーー『GUYS』が入り口って、珍しいですね。「SAY YES」ブームの時はどうだったんですか?

「SAY YES」は売れすぎてましたからね…。私、みんなが良いと言うものがあまり信用できないタイプで、「SAY YES」も本当に良いの?と実は疑ってた(笑)。

ーー10歳の時だから、本当の良さに気付くのはまだまだ先ですよね(笑)。

確かに、内容的にも10歳には理解できなかったってのはありますね(笑)。
でも、ヒット曲って世の中に溢れすぎてて、評価が先に入ってくるから、正直それが自分の評価なのかどうかがわからなくなる時ってないですか?「YAH YAH YAH」も同じで、ちょっと構えてしまう。ASKAさんの中でも「シングルは大衆的に」と住み分けされてるようですしね。チャゲアスならアルバムにも良い曲あるよ! と、つい言いたくなってしまうんです。


ーーシングル曲は表の顔で、それ以外の魅力を知ってこそ初めて入り口に立った感がある。それがRomiさんにとって『GUYS』だったと。

本当に、今でも一番好きなアルバムです。

ーー音楽はよく聴く子供だったんですか?

いや、特に音楽にこだわりはなかったです。小3の時に人生初の音楽アーティストのコンサートに行ったのですが、それがなんとKANさんで(笑)。

ーーあら、ASKAさんと濃いつながりの(笑)。

その時に音楽とかコンサートというものの楽しさを知ってしまったというのはあるかもしれないです。
あとは、当時は今より音楽番組が豊富で、いつでもテレビをつければ流れてたじゃないですか。お店に出向けばランキングや店員のオススメもチェックできるし、そういう日常の経験が充実してましたよね。

ーー確かに、とりわけ音楽が好きという自負がなくても、ヒット曲にはそれなりに触れられる時代でしたね。

そんな中で初めてちゃんと自分から好きになり、お小遣いを使って聴くようになった音楽がチャゲアスだったんです。'90年代はかなり熱を入れてましたよね。

ーーRomiさんの思春期、多感な時期とバッチリ重なってますよね。

高校に入ると生活が忙しくなり、あまり音楽を聴かなくなりましたけどね。しかも20代はほぼ韓国で…向こうではチャゲアスのCDも過去のベストみたいなものしか売っていなくて、新しい作品に物理的に触れられない時期も長かった。
でも日本に帰りたくて仕方なくなった時、思い出したのはチャゲアスの音楽でした。私の中で、青春といえばチャゲアスなんです。


今からおよそ10年前に帰国し、日本で新たなスタートを切ったRomiさん。
当時のチャゲアスは復活を期待されていたものの、色々とあって復活ライブは中止に。
あの時に二人で並ぶ姿を見届けられなかったのが、非常に心残りだという。そして今でも、暇を見つけては彼らの音楽を聴き続ける日々。

ーー大人になっても自分を惹きつけてやまない、チャゲアスの魅力ってどこにあると思ってますか?

うーん…活動期間が長くて随分昔のものが多いのだけど、今でも楽しめるクオリティのものがたくさんコンテンツとして残っているところでしょうか。
よく考えてみたんですが、私は彼らの音楽性も好きだけど、むしろ映像的な魅力だったり、ショー的なもの、コンテンツ力の方に強く惹かれてるんだとも思うんです。


ーー音楽よりむしろ視覚的なものとして、という意味で?

そう。私は映画も好きですし、映像って色んな要素を総合して楽しむものじゃないですか。

ーーチャゲアスの映像コンテンツの威力は、本当にすごいですよね。何十年経っても脳裏に焼きついている。

昔の思い出ですが、『小学5年生』という雑誌を読んでたらチャゲアスの特集記事があって、その中で、当時確か世界で5台しかないレーザー光線の照明器具を、チャゲアスが3台くらい保有してると。それってすごいことじゃないですか。そんな照明3台も持ってるアーティストって、どんな人達なんだよ!って。

ーー小学生の胸を踊らすほど、当時のチャゲアスのライブは魅力絶大でしたよね!

ちょうど先日、Chageさんのオンライン・ファンミーティングがあったので、1対1で話せる機会なんて滅多にないし、どうしてもこれを伝えたくて参加したんですよ。
そうしたら、もう30年近く前のことなのに、この雑誌の取材を受けたことを覚えてらして。まさか『小学5年生』に載ったところで本当に小学生が興味を持ってくれるのだろうかと、当時思われたと。でもその生き証人の私を見て、ようやくChageさんのモヤモヤは晴れたんじゃないでしょうか(笑)。


ーーそれはすごい話ですね! まさかの30年越しで。

そうなんですよ…。彼らがすごいのは、30年前のライブ映像を今の時代にBlue-rayで発売しても、内容的にも画質的にも、コンテンツとして十分に成立するところだと思うんです。そんなに昔のライブを映像化しても、今の目を満足させられるアーティストって、チャゲアスくらいしかいないんじゃないかと思いますよ。
確か昔、ASKAさんが雑誌のインタビューで「これからは音楽も映像の時代になる」と答えてらして。そのために自分達はショーとして完成度の高いライブをやるべきだし、その様子を高い品質で収めておくべきだと。先見の明がすご過ぎて、今思い返すと震えますよね(笑)。


ーー子供だった当時は、何を話してるのかわからなかったですけどね。もしかしたら大人達も、理解半分だったかもしれない…。

しかも『CONCERT MOVIE GUYS』はライブを映画用のカメラで撮影し、映画館で上映されましたよね。
ミュージシャンの映像コンテンツを買うには敷居が高すぎるけど、単価を安くし映画館で流して頭数を増やすことで収益確保するとか、こういう仕組みを考えるところがたまらないですよね。


ーー特にASKAさんは、単にアーティストなだけでなく事業家的なクレバーな側面や、プロデュース力も相当にお持ちの方だと思いますよね。このオールマイティな才能について口にするファンが、最近は30〜40代辺りにますます増えていると感じます。社会人として色々経験してきたからこそわかるという。

ASKAさんはマネタイズのセンスが半端ないんですよね。自分の才能をしっかり収益にして、それを原資にどんどん新しいことにチャレンジして。エンターテイメントとして、あんなに高いレベルで実現している人は少ない。大人になってより一層、そのすごさに気付かされるところです。


●”女性だから” に捉われず生きてきた

ここまでチャゲアスを冷静に分析できるRomiさんのご職業を伺ってみると、韓国時代から今に至るまで、マーケティングやコンサルティングに関わってこられたという。
幼い頃に持っていた通訳への憧れ。そこから違う道へと進んだその時に、彼女の思ったこととは。

ーーRomiさん、韓国と全く関係のない就職をされたというのが、外野の意見ですがもったいないなぁと思ってしまいます。

まあ、よく言われますよね。でも韓国語を仕事にするのって、すごく難しいなという実感が、大学院を卒業した当時はあったんです。
韓国語の通訳の出番といえば日韓首脳会談レベルですよ(笑)。翻訳にしても、韓流ドラマや映画の字幕の翻訳者とかね。当時はほんの一握りの人しか活躍できなかったイメージがあるんです。


ーー今でこそK-POPや韓国ドラマ全盛ですけど、当時の肌感覚はそうだったんですね。Romiさんはカルチャーとしての韓国に一番先に飛びついた世代だと思うのですが、それでもまだ少し早かったのか…。

仕事を選ぶ際は色々と考えましたね。本当に通訳という仕事は自分に合っているのか、というのも随分考えた。
こう言ってしまうと失礼に当たるかもしれないのですが、ある言語を他の言語に訳す仕事って、影武者なので、そこに自分の意思を入れてはいけないんですよね。それでもやりがいのある仕事だとは思うんですが、私にはちょっと合わないかもしれないと、その時は思ったんです。


エネルギッシュで行動力のあるRomiさん。何の打算も働かせず、ただ「韓国語が好きだから」という理由で飛び込んだ環境の中、自分の好奇心はどうやら通訳という専門職にはとどまらないと、直感が働いたのかもしれない。

ーー幼い頃から自分の意思をはっきり持っていた、という覚えはありますか?

そうですね…思い返してみると、私はピンクが嫌いな子供だったんですよ。昔、地元の用品店にパック詰めされたキャンディキャンディの靴とか、ありませんでした? ピンク色の、いかにも女の子用という感じの。私は当時、水色の方がいい! と言ってそっちを買ってもらった記憶があるんですよね。キャプテン翼の柄でしたけど(笑)。

ーーそれ、私も水色を選びがちな子供だったんでわかります(笑)。親に変な顔はされませんでした?

割とのびのび育ててもらってたんで、大丈夫でしたね。あまりそういう価値観の押し付けがない家庭でした。

ーーそういうちょっとした親の態度で、子供の感じ方って変わってきますよね。「女の子はこう」という枠を意識せずに済んだのですね。

あと私、子供の頃から自分のことを「運がいい」とずっと勝手に思い込んでるんですよね。別に根拠もないんですが、ずっとそう信じてるところがあります。結構くじを引いたら当たるタイプで(笑)。

ーーそれは確かに! 今年の夏、ASKAさんがオンラインライブで限定40名の観客を募集された時、その狭き門に見事当選してましたよね! あれはあり得ないと思いました(笑)。

そもそもライブに行っていいかどうかを夫に相談しながら「40人だから当たらないと思うけど」なんて言ってましたが、胸の内ではなぜか、これは絶対に当たると思ってた(笑)。
色んな人達との出会いも運が良かったから生まれたものだと思っているし、いい人達に出会ってるからこそ今の自分がいると思ってます。


ーーRomiさんってすごく冷静な一面を持ちながら、運や偶然も大事にされてる。動いてみて絡まってくるものを取り入れようという、柔軟な印象がありますね。

絶対これ、と決め込むのでなく、「やってみなきゃわからない」というのはずっと子供の時から大事にしてることですね。同時に、「きっとうまくいく」って思いながら取り組んでる。これは母からの影響が大きいかな。
私は父親似で頑固なところもあるんですよ(笑)。でも、真面目さや頑固さって良い面もあるけど、そのまま突き通していくと壊れちゃうこともあるじゃないですか。そういう雰囲気になってきた時に、「ダメになりそうだったらやめていいんだよ」と良いタイミングでアドバイスしてくれるのは、いつも母でした。


ーーRomiさんの性格はそうやって育まれてきたんですね…。子育てしてる身なので、学ぶものが多いです。

母とは接する時間も長かったですし、色々学びましたね。よく覚えてるのが「自立する」ということ。うちは両親ともに働いていたので、二人とも忙しくて。私が小学生くらいで、母も仕事上ちょうど責任ある立場で働き盛りの時期に、私がワガママ言ってた時だと思うんですが、「お母さんはあなたのためだけに生きてるんじゃない! 自分のためにも生きてるのよ!」と割とキレ気味に言われて(笑)。
そうだよな、お母さんも「私のお母さん」って役割だけじゃないからな、って思ったんです。変な依存心を持たないで自立しようと素直に思えたのは、そういう経験もあるからでしょうね。


ーー母親が子供のために好きなこと諦めて…というのは、後に後悔や恨みに変わったりしてウェットになるじゃないですか。いつか人生のどこかで反動が出てきてしまう。だからこそ、自立っていう意識は子供にも親の側にも必要ですよね。

私も親の立場になりましたが、自分の子供達にも「母ちゃんは忙しいから自分のことは自分でやりなさい」と言い含めてますよ。夫も理解してくれてると思います、このキャラは(笑)。


●今ふたたびの韓国へ

自分のやりたいことを、他の誰かを理由にして諦めない。
Romiさんのカラッとした笑顔、口調に感じる爽やかさは、きっとそれを実現できている証なのだろうと思う。
そして今ふたたび、彼女の興味は韓国へと向かっている。

ーー昨年あたりから韓国書籍の翻訳家になろうと経験を積まれているようですが…一度離れていた道に戻ってきた、そのきっかけは何だったんですか?

直接的なきっかけは、大学院時代にお世話になった先生から頂いた言葉ですね。家にある本を整理していたら、卒業時にいただいた韓国の有名な詩人の方の詩集が出てきたんです。すっかり忘れていたのですが、そこの表紙裏に「美しい言葉で日韓の世界を結んでいってください」と、先生の手書きのメッセージが添えてあって。それを最近になって読み返して、また初心に戻ったというか。

ーーちょっと若い頃を振り返るタイミングでもあったんでしょうか。

うーん、産休に昨年入ったことで、仕事ばかりだった日常がちょっと途切れたというのもあるかもしれないですね。いつか会社から離れる時も来るんだよなぁ、と。その時に何もないのは寂しいよな、だったら一人で生涯かけて取り組める仕事を、今から準備してしっかり作っていきたいと思ったのもあります。

ーーお子さん達も小さくて大変な時期なのに、ちゃんとご自身の進む先をイメージして準備に取りかかれるのがすごいことです。

翻訳はやってみるとしんどいことばかりですよ(笑)。やってもやっても終わりはないし、「あの時の訳はこうしておけばよかった」とか、随分時間が経ってから思い直すこともよくあるし。
まあ、これもやってみなければわからないし、どっちに転がるか、それが良かったのかなんていうのは、もっとずっとずっと先の未来にわかるんでしょうからね。


ーーRomiさんの第二のキャリアへの挑戦、心から応援してますよ!


お話を伺い終えてみて、自然と胸に浮かんだのはこの曲だった。'94年、チャゲアスがアジアツアーに踏み出した時期のエネルギッシュなシングル曲「HEART」だ。

いつも頑張ることだけが
素晴らしいなんて言わない
ハッピイエンドだらけじゃ
笑顔もやっぱりつまんない

だけど結局僕ら そういう事って僕ら
求めてるような 感じてるような

HEART Oh HEART 騙せない
HEART Oh HEART 離れない
壊れたなら恋や夢のかけらだってあるらしい


この曲の持つ、まっすぐに放たれる純粋なエネルギーが、Romiさんにはとてもよく似合う。
いつまでも自分のHEARTを騙さず、離れず、思い描いた先へと突き進んでいって欲しい。

・・・・・・・・・・

ASKAの音楽を愛する人たちへのインタビュー連載《点光源》。
他の方々のインタビュー記事は、こちらからお楽しみ下さい ↓


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?