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保育園土曜日は早いお帰り

世の中の出来事

日付不詳 アメリカの集団食中毒でO157が見つかる。

保育園土曜日は早いお帰り

師走のある土曜日の朝。
父親は居間で”お笑いまんが道場”という当時の人気テレビ番組を観ている。
毎朝保育園バスに乗って登園するが、家の玄関を出る前に今日が”青い日”なのか母親に聞く。
青い日とはカレンダーの色のとおり土曜日のことである。
土曜日は昼食食べた後すぐに帰宅となり翌日は日曜の為、毎週楽しみの一つとなっていた。
保育園バスの停留所まで母親同伴で歩いていく。
停留所には数人の同じ保育園の園児と母親がバスを待っている。
保育園バスに乗り、各停留所を回りながら保育園到着まで40分程である。
保育園に到着すると、園庭にバスを停留させる。
到着してしばらくは自由時間である。
私はまず、給食室前に行って調理担当の先生と話しをすることが毎日の日課であった。
今日のお昼が何か質問したりしていた。
やがて8:50になると放送で
”おはようございます。
朝礼を始めますので、先生方は事務室迄大至急お集まりください”
という新海先生の放送が園内に流れる。
その後9:00からクラスごとの”朝の会”が始まる。
まずは朝の挨拶から始まり、先生の弾くオルガンに合わせて
”♪
先生おはよう
皆さんおはよう
今日は仲良く遊びましょう
ね?ね?遊びましょう
♪”
という歌を唄う。
挨拶と歌の次は園庭に出て体操を保育園全体で始める。
鳩ぽっぽ体操は毎日の定番であり、その他には日替わりで違う体操をやっていた。
体操が終わったらクラスごとに教室に帰り、先生の指導の下で工作を作ったり、お絵描きしたりする。
クレヨンや画用紙、絵の具等、いろいろな画材が使えて愉しかった。
そして11:30から昼食である。
私が通っていた岩村田北保育園は給食室完備のため、美味しい給食が毎日振る舞われていた。
当然家のご飯より美味しいので、お昼の時間が毎日の楽しみであった。
ちなみに先生は毎日大盛である。
この時期の太陽光はレモン色の柔らかい光になっていて、年末の雰囲気がでていた。
当時の保育園周辺は畑や田んぼだったので、この時期は”冬ぶち(収穫後の耕うん)”を行う耕運機のエンジン音が風物詩となっていた。
昼食が終わると帰りの会。
帰りの歌を唄って、スクールバスに乗って帰宅です。

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