(創造とは、与えられるもの。)

「運転中なのがわからないのか?今ここで曲を書き留められるかどうか、見ればわかるだろう?本当に出てきたいなら俺が相手をしてやれるときに出直してこい。そうじゃなきゃ、ほかをあたりな。レナード・コーエンとか。」 Joshua Wolf Shenk(著)、矢羽野薫(翻訳)(2017)『POWERS OF TWO 二人で一人の天才』

これはミュージシャンであるトム・ウェイツの逸話の一つ。ウェイツは車でロサンゼルスのフリーウェイを走っていた時、突然曲が聞こえてきたという。しかし、このままだと忘れてしまうのでその曲に対して直談判を行なったそう。
後にその曲がウェイツの元に出直してきたかどうかは分かないが、なんともウェイツらしいビートニクな提案。

さて、ここで重要なのは、ウェイツは、自分の創造的な源を自分とは別の存在として見なしているという点。ジョン・レノンもまた、自分が霊媒者になって、自分を超えたところから曲がやって来るように感じると表現している。両者とも自分たちは世界の外側から聞こえる大きな何か、またはその声の媒介者に過ぎないと認識しているのだ。

大学生の頃、早稲田大学で年に一度開催しているワークショップに招待されたことがある。「文学を音楽に翻訳する」というテーマで小説家の多和田葉子先生の作品から一つ選び、それを音楽に翻訳するというイベント。
多和田葉子先生が、創作活動を始める上で、僕たち参加者の学生に投げかけた言葉がこちら。

「創作に苦しみながらも求め続けなさい。そうすればきっと、あなたたちが尊敬している芸術家たちが手を差し伸べてくれるから」(多和田葉子)

着手する上でそれは十分な言葉。
巨人の言葉は常に僕らの襟を正してくれる。

創作に行き詰まりながらも試行錯誤を続けていると、今まで空いていた箇所にピースがはまる瞬間があるような。創作をしている人であれば、誰しも経験したことがあるかもしれない。

"それ"というのは、創作活動の限界を超えた己に、ネクストドアーが開かれたわけではなく、はたまた漫画のように戦いの中で急激な成長を遂げたわけでもなく、もしかしたら、自分の敬愛する芸術家たちが優しく手を差し伸べ、与えてくれたのではないか。
その瞬間はまさに、自分は創造と具象の媒介者であり、イデアを反映する者。なにかと密接に結び合っている瞬間を感じながら、自分はただの媒介機能を果たす者に過ぎないのだと自覚する。

“創造に従事する”

僕にとって創造とは、生み出すものではなく、与えられるもの。

2019年もたくさんのアーティストが死んだ。
僕らは今日も図々しくクリエイトする。

最後にZOOBOMSのドンマツオさんのブログから一部拝借

「音楽であれ他のアートであれ、創造するという行為は0を1にするということである。色々なことをクリエイティブといい風潮もあるが(例えば宣伝とか営業とか)、ボクはそう考えない。それは、1から2または3とか100とかにする行為かもしれないが、0/1のラインはそのようなことと全然違う力である。それこそが世界を翌日するものだと信じている。聖職者は世界に祈りを捧げ、クリエイターは、創造する。そのようなもののない世界はどのような味がするというのか。」ZOOBOMSのフロントマン、ドンマツオのブログ『DON’S DIRECTION』より抜粋(原文ママ)



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