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ふと通勤電車の中でシナプス繋がった時の思考の備忘録。(取材を受けた経験の話)

過去の記憶って走馬灯のように思い出すとき、ありますか?

今日、通勤電車の中で、学生時代に取材を受けた時を思い出しました。なぜ、瞬間的にその項目だけ思い出したのか、私のシナプスどうしたのだろうか。

何かの意味でもあるのかと、あの経験から言えることってなんだろう、現在に置き換えるとどんな意味があるのだろうと、考え始めました。

同級生が、とある議会選挙に立候補して時代の流れもあって落選した時に、メディアからインタビューを受けて自分の意図とせず、メディアに言葉を切り取られてしまったというのを話しているのを聞いて、ああ、私も過去に同じことがあったなと。
私の場合は、自分の意図ではありませんでしたが、受け取り側は良い意味でとらえてくれたので良かったのですが。

一つは、小学生6年生のときです。
子ども県議会の議員に選ばれて、議会本番までに合宿をして準備をします。この時にとある私の意見が支持されて、議会で単独で意見を述べる機会を持ちました。
これがあって、地元のケーブルテレビの目に留まり、数人で討論する、というショートプログラムの収録をテレビ局でしました。
マセマセの私は、大人達が何を求めているか何を発言してほしいかがわかったので、その通りに話して、無事に収録を終えました。
ここで述べた意見は半分私の意見、半分大人達の求める意見でしたので、これでよかったのかなぁと自分の中では不完全燃焼でした。半分、虚像で良いのか私と、思う自分もいました。

次に取材を受けるのは、高校2年生の時です。
当時、関東の高校に進学した私に単独で全国紙の新聞社からの取材を受ける機会がありました。
なぜなら、地方育ちの私が単身で、とある理由でその高校に進学したことが珍しかったからです。
なぜ、その高校に進学したのか、どういった背景があったのか。高校2年生の background なんて今の私からすると本当にわずかなことなのですが、記者さんは深く親身に聞いてくださいました。ああ、いい人なんだなぁって思ってました。私の事実を淡々と話して、自分の中で消化できてたので冷静に答えていました。
ところが記事になったものを読み、びっくり。ものすごい感動話となっていました。えええ!びっくり。自分の意図とせずにそのような感動話になっていなんて。
後日、感動しました!という話を読者から聞くたびに、ありがとうございます(?)な心境の自分。そんな感動話でもないし、むしろ自分自身は、お涙もしない苦しい体験だったような...でも美化してくださったことはそれでよかったのかな、という思いを持ちながら過ごしていました。

「記者さんのその向こう側を感じながらお話する必要がある。」と、この時、そう学んだのです。
社会の状況、読み手の気持ち、その記事を作成する意図(どういう発信をするための枠なのか)を知ってから挑むべきだったと学びました。

そのあと暫くしてから、その記者さんは様々な著名な文化人を取材されて、活躍されていたのを流れてきた記事をみて知りました。何でもない高校生の私なんぞに取材してくださって本当にありがとうございました。

きっと私のシナプスは、このnoteという場は、誰かを介さず、自分の思いを届けられるということを教えたかったのでしょう。
そして、読み手の気持ち、社会の状況を把握しなさい。そんな戒めも込めているのだと。


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