見出し画像

誰かの夢にまたがったっていい

僕は社会人になって初めての転職がこの会社でした。
前職では、30.40歳になると会社を去り、若い世代にポストを譲るということが慣例でした。僕は40歳まで居座りました。その会社が好きだったからです。
自由と責任が同居してて、想像を超えて闊達で、血をたぎらせるほど熱くて、信じられないくらい優秀な人ばかりで。
辞めたくないのに、辞めねばならない必然で辞めることを決意したせいか、次の仕事のビジョンとか夢とか何にもなかったです。
だから、好きな地域でそれなりに待遇良ければっていう、話すのもはばかるほどの転職理由しかなかったのが本音です。
僕個人はポンコツですが、前職の看板効果が高いからか転職は何の問題もなく、夢も野望も語らずとも簡単に決まりました。「そこはかとなく」いい会社がいくつか内定を出してくださいました。

そのままその会社に進むことも出来ましたが、とあるきっかけで現会長であるひろえさんに声を掛けていただきました。
「私は来なくていいと思ってるけど、社員が来てって言ってるからうちにおいで」と。
今思えばひろえさんらしい感じのアプローチですが、どっちなのか当初は戸惑いました。
そこから色んな話をさせていただく機会をもらい、彼女の思いや夢やビジョンや計画を知り、その夢に共感はすぐ様出来なかったけど、その夢にまたがってみたいって思えたんです。
大きく言うと「世の中をしあわせにする」っていう夢であり、細かく言うと「それを実現するために必要なこと」でした。

そして有り難くも入社させていただき、人のふんどしで相撲を取るばりに、その夢を向こう正面に見据えながら目の前のやるべきことに奔走してきました。
そんなことを5年も続けてると、なんだか自分の夢が芽生えて来たんです。
その夢って、自分がまたがってきた他人の夢と全く方向感が違うものではなく、切り取ったというか、断片的というか、延長線というか、なんか言葉にするのは難しいけど、自分なりの言葉で浮かび上がって来たんです。

今はその夢に向かって、走り続けたいと思ってます。自分の夢に思いっきりまたがって、自分で自分にムチ打ちながら。

最近は夢がない人が多い、とたまに耳にします。
けれど働くことにおいて、「夢がない」「大義がない」「動機がない」だって、最初はいい気がします。
周りがそんな人ばかりだと浮上する機会がないかもだけど、周りの誰かの夢や目標にまたがったっていいし、それってしあわせじゃないですか??
僕はその5年間、しあわせでした。
誰かのしあわせを少しだけでも手助け出来てるだけで、満たされてる自分ってきっといると思うし、
そんな自分を受け入れる度量もあったっていいですよね!

自分自身を憂うのではなく、
誰かの夢にまたがったってる時間を過ごすのも、
立派に素敵な人生だと僕は思います。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?