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【短編(3/10)】回転木馬はAB型

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結論から言うと、文化祭の出し物は男装・女装喫茶に決定した。

反対意見もあったが、男装・女装をするのは給仕係に限定、それ以外は制服でよいとの方針を示すと、すぐにそれも収束した。
早川や遠藤が乗り気だったのも大きかった。わざわざ決を採るまでもなく、賛成の者は拍手を、の呼びかけに、手を叩く音が返ってきたことを受けての決定だった。
「猿渡君、いいよね」
拍手がデクレッシェンドで弱まる中、壇上でわざわざ皆川が確認してきた。ここで言う「いいよね」は、「これで決定でいいよね」だけではなく、「あなたも女装することになるけれど、いいよね」まで含んだ意味であることはわかった。
公衆の面前でそれをされたのだから、たまらない。抗うこともできず、渋々ながらも頷きを返すしか選択肢がなかった。

それでも、希望者が多ければ俺の出る幕はないのでは、とほのかに期待した。だが案の定、進んで恥を晒しにいく猛者は少なかった。特に男子にその傾向は顕著で、手を挙げた人数は目標に満たず、俺がその穴のひとつを埋める格好となった。
結果として、給仕係となったのは、男子五名と女子五名。
女子メンバーの中心は、言うまでもなく遠藤だ。衣装班のリーダーも兼ね、男女分共に自分がデザインすると息巻いている。
対して男子メンバーの中心は早川で、俺を除いた他の三人も、早川とよくつるんでいるにぎやかしい連中だった。

「よろしくな」

早川が声をかけてきたのは、その日の放課後だった。案山子のように両腕を広げ、顔だけをこちらに向けている。
早速今日のうちに服の採寸をしておきたい、と言う遠藤の言に従い、給仕係全員、教室の後ろのスペースに集められていた。メジャーを持った衣装班の女子達も参集し、彼女らに囲まれながらの顔合わせとなった。
「あぁ、よろしく」
案山子状態の早川に、俺は答える。ちょうど俺の採寸を終えた遠藤が、その広がった腕にメジャーを当てているところだった。
早川としっかり顔を合わせて話すのは、これが初めてだった。残りの三人もそうだが、日頃から教室の真ん中ではしゃいでいる連中とは、距離を置いて過ごしている。快活なノリについていけるか、いささか不安にも感じた。
「いやぁ、猿渡が給仕係をやるとは思わなかったよ」
早川はにやにやした笑みを見せる。
こちらの気も知らないで。いい気なものだ。
「人数が足りなかったからな。仕方なくだ」
「そんなこと言って、本当は興味あったんじゃないの?」
「興味?」
「女装に、だよ」
「……馬鹿を言え」

顔が強張り、声が掠れる。冗談だとはわかっていても、身体がそう反応してしまった。

「冗談だよ。怖い顔すんなって」
早川は器用にも、片眉だけを上げて、俺を見る。
「文化委員だから、色々と気を回してくれてるんだろ。わかってるよ」
見透かしたようにそう言って、俺から目線を外す。ふざけ調子て突っかかってくるかと思ったが、意外な反応だった。
「楽にしていいわよ」
測定を終えた遠藤からそう言われ、早川は腕を下ろした。その早川の前で遠藤は、跪くかのように膝を折る。そのままの体勢で、床に置いたノートに測った数値を書き込み始めた。
ノートには人体のシルエットが複数のアングルで描かれており、細かなメモがびっしり詰まっていた。すでにいくつか衣装の構想があるのか、デッサンめいたものもちらほら見える。ペンを走らせる姿には鬼気迫るものがあり、雑談に興じながら作業をする他の女子たちと比べ、あからさまに熱が入っていた。
「遠藤。そのノート、ガチじゃねえか」
早川もその異様な熱に気づいたらしく、遠藤の頭上に語りかけた。
しかし、
「話しかけないで」
遠藤はその呼びかけを一刀両断する。ノートをに顔を向けたまま、一心不乱にシャープペンを亜知らせている。「こわ」と、大袈裟に目を見開き、早川は引き下がった。
俺はまた早川を見る。
先ほども思ったが、軽薄そうに見えて、意外と思慮深いやつだ。他人に対する距離の取り方がうまい。駄目だと思ったら深入りはせず、かと言って、雰囲気を壊すようなこともしない。今の場面とて、遠藤のにべもない態度に凍りついてもよいところだが、軽妙なトーンを崩さず対応している。
「早川は、どうしてなんだ」
俺は訊ねた。
「どうしてって、なにが」
「いや。普通、女装なんて、率先してやりたがらないだろう」
「そうか?面白そうじゃねえか。文化祭なんて、馬鹿やってなんぼだろ」
なんとも清々しい。しかし、その清々しさとは裏腹に、俺の胸中は複雑だった。

こいつが給仕係に手を挙げたことで、何人かの女子が色めきだっていることを俺は知っていた。

早川は、その裏表のない性格に加え、顔立ちも目を引くものであった。
瞳が大きく、色白で中性的、アイドルのような華やかさがある。もちろんのこと異性の人気も高く、しかし、それでいて浮いた噂が聞こえないところもまた、そのアイドル性を際立たせていた。

どうして、お前みたいなやつが。

その気持ちがないと言えば嘘になる。
お前みたいなやつ、女装などしなくても、もともと十分に綺麗じゃないか。どうしてわざわざ「こっち」に来るんだ、と。
もし、早川が女装を、例えば俺が手持ちで持っているメイド服を着てみたとしたら。想像してみると、これ以上ないほどにしっくりとくる。角ばった頬を隠したり、広い肩幅をごまかしたりする必要はない。ただ身に付けただけで様になるはずだ。
遠藤が作る衣装がどんなものか知らないが、それも難なく着こなしてみせるだろう。
そんなやつの隣に立って、同じ格好をさせられるのだ。素材の違いが浮き彫りになり、俺がかろうじて手にした「美しさ」に対するプライドは、ずたずたに切り裂かれるに違いない。
ただでさえ、人前で女装をすることに恐怖を感じているというのに。さらに自尊心を傷つけられる要素が増えてしまった。
どうにかして時をジャンプさせ、文化祭後の世界に行けないものか。そんなありもしない妄想に、半ば本気ですがってしまいそうになる。

「ありがとう。もういいわよ」
追加でいくつかの数値を測られ、俺たちは遠藤から解放された。出し物の要たる衣装製作を預けるのだ。委員として、遠藤ともなにか話しておこうかと思ったが、文字がびっしりのノートを閉じ、そそくさと場を離れてしまった。
「なんか、異様にはりきってんな、遠藤のやつ」
早川が言う。
確かに、少しばかり、肩に力が入りすぎだ。あれもこれもと手を広げすぎて、収集がつかなくなっては困る。やはりなにかしら声をかけるべきかもとも思えたが、しかし、先ほどの様子を見るかぎり、今は聞き入れてもらえないだろう。
「猿渡君」
早川と別れ、机に戻る道すがら、皆川に呼ばれた。書類が挟まったバインダーを手に近づいてくる。
「調理班のみんなと軽く話したんだけれど、模擬店のメニュー、お好み焼きか焼きそばになりそう」
「そうか。確か、事前に届出が必要だったな」
「一度、試作品を作ってみなきゃね」
「手がかかるな。大丈夫そうか」
「うん。それより猿渡君の方こそ大丈夫?」
「なにがだ」
「遠藤さん。随分はりきっているみたいだけれど、さすがに全員分の衣装を作るのはきついんじゃないかしら」心配げに顔をしかめる。「いざとなって衣装ができていないとなれば、企画倒れもいいところよ」
「確かに、そうだな」
「それにほら、見て」
皆川は手持ちのバインダーを広げて、俺の方へ向けた。
各セクションごとの予算が表になって並んでいる。「衣装代」のところに、赤い丸が付いていた。その横の数字を見て、思わず息を飲む。
「高いな」
「でしょ。全体予算の半分以上よ。それを臆面もなく要求してくるんだから」
鼻息荒く、皆川は言う。
「凝りすぎないように、早めに釘を刺しておいた方がいいかしら」
俺は、バインダーから目線を上げ、遠藤の姿を遠巻きに眺める。他の衣装班と集まり、測定した数値を取りまとめているようだった。
「いや、今はまだいい」
「でも……」
「あの調子だと、今言っても聞く耳を持ってはくれないだろう。かえって反発してくるかもしれない」
「まぁ、それはそうかも」
「それに」俺は遠藤を見たまま、続ける。「真剣そうだからな、最初から水を差したくない」
どちらかと言うと、それが正直な気持ちだった。あそこまで熱意を見せているのだ。少しぐらい、好きにさせてやってもいいのではないか。
反応がないので、皆川に目線を戻すと、意外そうな顔でこちらを見ていた。
「なんだ」
「いや、案外周りをよく見ているなぁ、と思って」
「まぁ、中学時代は、部活のキャプテンだったからな」
「そう言えば、結構強かったんだっけ」
「その分、当時も色々苦労させられたがな」
「でも、それが性に合っているんでしょ」
「苦労性ってやつか」
「そうそう。実は委員とか、向いているんじゃない?」
「強引に、委員にさせられてから言われてもな」
あはは、と皆川は声を上げて笑った。こちらもつられて口元が緩む。

「女装も意外と向いているんじゃない。見ものだね」

緩んだ口元が、凍りついたように動かなくなった。
他愛のない軽口のつもりだ、ということはわかっている。だがこれが、皆川にとって「他愛のない軽口」であること自体が、俺の心を大きく揺さぶった。

「猿渡君?」
「……いや、なんでもない」

かろうじて答える。しかし、続く言葉が見当たらない。
不自然で、不穏な間がどんどんと生まれていく。

「えーと、じゃあ、諸々よろしくね」

取り繕うような笑みで、皆川は去っていく。
小柄な背がさらに小さくなっていく様を、俺は呆然と見送るしかできなかった。


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