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【短編(7/10)】回転木馬はAB型

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我が校の文化祭は二日に渡って行われ、その間は一般客にも校内の出入りが許される。

日常、制服姿が行き交う廊下には、街中の往来のように老若男女が入り乱れ、無機質な教室の窓には客寄せを狙った装飾が施される。仮装をしてプラカードを持つ者、演劇のビラを配る者、ギターを片手にゲリラライブを始める者。喧騒に喧騒が重なり、時には隣を歩く者の声も聞こえないほどだ。

そんな中でも、特に俺たちの男装・女装喫茶の客入りは上々と言えた。

文化祭二日目。一日目の評判が口づてに伝わり、今日は午前中から行列ができるほどであった。
要因は二つで、一つはメインメニューのお好み焼きの出来が異様によかったこと。四つ切りサイズで二百五十円という強気の価格設定にも関わらず、これが好評を博している。
もう一つは、やはり遠藤たちの作った衣装である。
クラス内での評判は、内輪だけのものではなかった。ぱっと見の印象が強いせいか、入店せずとも窓から様子を覗く通行人も多い。とりわけ早川と遠藤に向けられる視線は熱く、写真撮影の依頼がひっきりなしであった。

二日目の昼時は、そうした熱気が最高潮に達し、息をつく間もないほどの繁忙であった。給仕係の俺と早川に休憩が回ってきたのは、十四時に近くなった頃だった。

「ふぃーっ、やっと落ち着いたなぁ」

バックヤードの椅子にどすんと腰を下ろして、早川が言った。ぴっちり詰まっている襟元に指を入れ、パタパタと空気を取り込んでいる。
「そうだな」
俺も向かいの椅子に腰掛けた。空調は効いているはずだが、数メートルの距離に今も調理中のホットプレートがあり、熱気が充満している。スカートを仰いで空気を送りたい気分だった。
落ち着いた、と言っても、まだフロアは満席で、衝立の向こう側から客同士の談笑が聞こえる。厨房はいまだどたばたしており、忙しそうに見えた。
「あっちいな。これ、なくてもよかったんじゃね?」
ヘッドドレスの紐を外し、つまみ上げる早川。
「せっかく仕入れたんだ。ちゃんと着けろよ」
俺が言うと、へいへい、とそのまま温泉に入るときのタオルのように、頭に載せる。
確かに、部屋の気温のことまでは考えていなかった。追加で調達したニーソックスも、汗を吸い込みじんわりと湿っている。
こんなことなら、衣装のバージョンアップなど、応じるんじゃなかった。

短いバイブ音がして、早川がエプロンのポケットからスマートフォンを取り出す。ここ数日、幾度か見た光景で、俺も思わず身を乗り出した。

「売れたか」
早川は頷く。
「田中のニットキャップ。四百五十円」
安い。
「トータルの売り上げは?」
「現在、四千八百円なり」
「まだ半分以下か」
思わずため息が出る。そこから一割が手数料として天引きされるらしいので、目標の一万円まで、一層先は長い。
「俺のバレーボールシューズは」
ネットフリマを使うにあたり、クラスの面々から、不要な私物を募った。衣類や本、DVDなどが集まる中、俺はクローゼットで眠ったままになっている、あの靴を出品していた。
ほぼ新品に近い上、物もいい。すぐに買い手がつくだろうと期待していたが、しかし。
「まるで反応なし」
早川は首を振る。
「なぁ、もうちょっと値下げしねえ?中古で六千円は、やっぱ高いって」
「元は二万だ」
「何度も聞いたよ。でも、売れなきゃ意味ねえの。サイズもでかいから、履けるやつ少ないだろうし」
首を背もたれに乗せて、天を仰ぎ見る。頭に乗っけていたフリルエプロンが床に落ちた。
「悪いな。お前のアカウントを使わせてもらって」
やや疲れて見える早川に、俺は言った。
ネットフリマで出品するには、アプリ内のアカウントが必要だ。聞けば、早川は日頃からそのアプリを使用しているらしく、売買の手続きにも慣れている。
餅は餅屋。手間をかけるが、そのアカウントを使用させてもらい、フリマの管理もすべて、早川に任せることにした。
「別にいいよ。慣れてるし」顔を天井に向けたまま、早川は目だけをこちらに向ける。「だけど、正直かんばしくねぇな。これ以上はなかなか売れる気がしねえ」
「そうか」
「なんとかしねえと。追加の一万、遠藤が立て替えているんだろう?」
「あぁ」
遠藤が追加の予算措置を求めてきたあの日の時点で、本番まですでに一週間を切っていた。資金調達を待っている時間はなく、否応なしに、立替金を後で補充する方針となった。

「クラスの連中から要らないもの募ってよ。フリマで出品してみりゃいいんじゃね」

早川の提案は、八方塞がりの状況に射した、一筋の光明にも思えた。
カンパを募るより、不要なものを募った方が、集まりが良いのは自明だし、反発も少ない。その売上で不足分を賄えるなら、すべてのハードルをクリアできるのではないか、と思った。
しかし、ことはそう単純ではなかった。
ひとつは、遠藤のワンマンな姿勢を面白く思わない連中もいたことだった。
どうしてそこまで。全部あいつのわがままじゃないのか。
そうやって、あからさまに鼻白む者がいた。同じ衣装班の女子たちも「付き合いきれない」と遠藤の下を離れ出し、一致団結していたクラスの雰囲気に、不穏なわだかまりが生まれてしまった。
更なる問題は、皆川がネットフリマでの資金調達にも反対したことだった。
どのクラスも決められた予算内でがんばっている。うちだけ例外が認められていいはずがない。
極め付けは、遠藤が一時自腹で費用を立て替える、という話になった時だった。
「そんなこと、ゆるされるわけないじゃない」
百円や二百円じゃないのよ、と、高額の支出が個人のポケットマネーからなされることをよしとしなかった。
「そんなことをして、フリマで何も売れなかったらどうするつもりなの」
「その時は、私が損をするだけよ」
遠藤の譲らぬ姿勢に、そういう問題じゃない、とまたもや言い合いが始まった。それではただの私物の買い物だ。私物をどう使うかは私の自由だ。喧々諤々とやりあった後、「もう知らない」と皆川は匙を投げた。
「そこまで言うなら、あなた達三人が独断で行動したことにしてちょうだい。私は一切関知しない」
目は赤く、うっすらと涙が浮かんでいた。そのうるんだ瞳で俺の方をきつく睨んで、皆川は去っていった。

「大丈夫なのかよ」
紙コップで水分を補給しながら、早川が言った。
「なにがだ」
「皆川だよ。あれからまともに話してねぇだろう、お前達」
「……まぁな」
あの日以降、皆川は店舗班や調理班の監督に終始し、衣装班と給仕係のテリトリーには、まったくと言っていいほど近づかなくなった。委員として事務的な、最低限の会話を交わすことはあれど、そこに信頼めいたものは微塵も感じられず、気まずさは消えないまま今日に至っている。
「一応聞いておきたいんだけどよ」前歯で紙コップを挟みながら、器用に早川は話す。「お前が好きなのって、遠藤じゃなくて皆川だよな」
心臓が跳ねる。「は?」と返すが、その声が不必要に大きいボリュームとなり、狼狽をあらわにしてしまったようで恥ずかしい。
「何を言っているんだ」
「いや。わかるから。皆川といるときのお前、明らかに浮き足立ってるし」
「本当か」
「いや、嘘。でも今の反応で、わかった。皆川だな」
紙コップを手に戻し、悪戯顔で笑って見せる。やられた、と思ったがもう遅い。
周囲に聞こえていやしないか、と目を配らせる。各々自分の仕事で手いっぱいだろうが、聞こえている者がいないとは限らなかった。
「フロアに戻る」
「待て待て待て」
立ち上がる俺を制して、違う紙コップを差し出してくる。いつの間に中身を注いだのか、烏龍茶が入っていた。
受け取らないわけにもいかず、また、受け取ったなら飲まないわけにもいかない。椅子に戻って口をつけると、乾いた喉にじんわりと浸透していった。
「別にからかう気はねぇんだよ」
自分のコップに二杯目を注ぎながら、早川が言う。
「ただ、好きな相手と仲たがいしてまで、違う女子の味方をしているのが、不思議だと思って」
なるほど。
言われてみれば、俺自身、あまりそこを意識してはいなかった。
ただ思うままに行動していたら、こうなってしまっていた、というだけだ。
「てか、なんで皆川?性格きつくね?」
早川が問うてくる。こいつから見れば、皆川はそう見えるらしい。

「皆川には、恩義があるんだ」

俺は言った。
「恩義?」早川は顔をしかめる。「これまた大層な」
俺は今一度、烏龍茶で喉を潤し、続ける。
「バレー部を辞めて、無気力でいた頃の俺に声をかけてくれたのが、皆川でな。文化委員に立候補するからその相方に、と俺を指名してきた」
「へぇ。それって、お前に脈ありってことじゃないの?」
「いいや」今年の四月のことだ。思い出すと、今でこそだが、笑えてくる。「猿渡君、部活やってないから暇でしょう。とやぶからぼうに言ってきた。運動部に入っていないのに、力仕事が得意そうな男子は稀なんだと」
なんだそれ、と早川も笑う。「皆川らしいな」
「あいつの中で、俺が委員を務めることはもう決定事項らしかった。文句を言う間もなく、気がつけば文化委員になっていた」
「それが、どう恩義になるんだよ。無理矢理、委員にさせられたんだろ」
「無理矢理にでも、委員にしてくれたことが、だ」
俺の答えに、早川は小首をかしげる。
バレー部を辞めて以降、俺は長らく殻に閉じこもっていた。周囲と関わりを持つことを避けて、孤立していた。
委員としての活動は、そんな自分にとって、唯一できた外界との接点となった。
クラスの連中と話す機会。
学校に居残る口実。
そうしたものが増えていくにつれ、自然と自分の居場所ができていくような気になった。
「あのままだったら、大袈裟じゃなく、学校を辞めていたかもしれない。そして、皆川が声をかけてくれなかったら、ほぼ間違いなく「あのまま」だっただろう」
だから、感謝している。
俺はまた紙コップに口をつける。先ほど潤したばかりなのに、すでに喉が乾ききっていた。
「じゃあなんで、こんなに遠藤の肩を持つような真似をするんだよ」
「さあな」
「さあな、って」
「強いて言うなら、遠藤が一生懸命だったから、委員としてそれを応援しなくては、と思った」
「好きな女と反目しても?」
「それとこれとは、別問題だ」
「なんと」
早川は少し黙り、「あぁ、わかった」と得心した様子で、頷いた。
「多分、お前と遠藤、似たもの同士なんだよ」
「え?」
どういう意味か、真意を問おうとしたところで、「猿渡君」と声がかかかった。
目を向けると、パーテーションの向こうから、皆川が顔を覗かせていた。急な出現にどきりとする。
先ほどな話を聞かれてはいまいな、と心配になったが、皆川の表情はここ数日と変わらず固いものであった。
にも関わらず、わざわざ話しかけてくるということは、なにかしらトラブルだろうか。
「どうした」
立ち上がり、側へ近付く。
「お客様」
皆川がパーテンションの向こうへ身を引く。

目線を上げると、教室の入り口に立っている、高橋の長身が見えた。


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