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【短編(8/10)】回転木馬はAB型

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「お前どういうつもりだよ」
開口一番、高橋は俺を睨んで詰め寄ってきた。

俺たちのクラスは、自分たちの教室をパーテーションで二つに分け、教壇側を厨房と関係者用のバックヤード、その反対側を客用のフロアとして出店している。
高橋はその教壇側の出入り口から、のしのしとバックヤードに踏み込んできた。いつも俺にバレー部の情勢を語りにくるときと、同じ出入口だ。いつもと違い、まとっている空気が荒々しい。
長身の男が肩で風を切り迫ってくるものだから、皆川が恐々と道を譲る。
「どうしたんだ」
扉とバックヤードを隔てるパーテーションの裏から出て、俺は高橋を迎えた。さらに歩を進め、皆川の前まで出る。
「どうしたじゃねえよ。何やってるんだよ」
高橋の声は低く、明らかに怒りを含んでいた。
一瞬、この女装姿のことを言われているのかとも思ったが、それでここまで憤慨される覚えはない。「なにがだ」と意味がわからず訊ね返すしかできなかった。
「靴だよ」
「靴?」
ここで鸚鵡返しをしてしまったのが、よくなかった。俺のその態度は、高橋の怒りにさらに火をつけてしまったようだった。

「なんでバレーシューズ、売りに出してんだよ!」

がなり立てるような声が、バックヤードに響く。後ろの厨房にも、おそらく客用のフロアにも聞こえてしまっているだろう。
「大声を出さないで」
果敢にも皆川が口を挟んだ。しかし、高橋が厳しい目で睨み付けると、後ずさる。
「やめろ」
皆川の前に腕を出す。もちろん、高橋に向けての言葉だ。
「高橋、外で話そう」
「早川から、資金集めのためにフリマやってるから、覗いてみてくれって言われてよ。なにかしら、力になれればと思ってサイト開いたら、びっくりだよ。お前が部活ん時に履いてた靴が堂々と売られてんだから」
怒りに任せて高橋は続ける。こちらの話など聞いていない。
「お前さ。俺がどんな気持ちで、お前のこと誘い続けてるか、わかってんのか。お前と肩並べてバレーができるようになるの、どれだけ心待ちにしているか、知ってんだろう」
「高橋」
「なぁ、おい」
腕を伸ばせば、拳が届く間合いまで、高橋は詰め寄ってきていた。
激しい剣幕とは裏腹に、瞳の奥にはどこか寂しさのようなものを感じる。

その瞳を見て、唐突に在りし日の記憶がフラッシュバックした。入学当初、まだバレー部内で俺がもがいていた頃だ。
先輩のレギュラー部員に向かって果敢にも、もう少し練習量を増やした方がよい、と直訴した日だった。にべもなくあしらわれ、その先輩連中が去った後で、体育館の床にモップをかけていた。
他の一年生部員が談笑しながら固まって作業している中、俺はひとり離れてモップを握っていた。そこに、高橋がやってきて、言った。

すごいな、お前は。

手放しで賞賛するというよりは、どこか憐れみを含んでいるような表情だった。腹が立たなかったのは、その憐れみが俺ではなく、高橋自身に向けられるように見えたからだ。
実際、たしか高橋はこう続けた。

お前見てると、自分が偽物のように感じるよ。

俺が部に在籍していた時、それは一年生のほんの数ヶ月の間だが、高橋は部活動に対して、今ほどの熱意を見せてはいなかった。部内で空回りし、先輩と衝突する俺を遠巻きに見ている内の一人で、他の部員と同様、積極的に俺に絡んでこようとはしなかった。あいつから話しかけてきたのは、後にも先にもその一回きりである。
それが、俺が退部して以降、しばらくして、急に足繁く俺のところに通うようになった。
聞いてもいない部の内情を晒し、自分がいかにその中で試行錯誤を重ねているかを熱弁するようになった。
「やっと……やっとお前と肩を並べて、話ができるようになったと思ったんだ。それなのに、お前は」
自分は偽物だ。そう言ったあの時と同じ瞳で俺を見る。
俺を追い出したことに引け目を感じている。早川はそう言っていた。俺からバレーボールに打ち込む生活を奪ったことが、高橋のプレッシャーとなっている、と。
違う。
目の前で、顔を赤くしながら、苦悶の表情を浮かべる高橋を見て、俺は思う。

こいつは、ただ認めて欲しいだけだ。

「高橋、もう一度言う。外で話そう。それができないなら、大声を出すのはやめてくれ」
俺は言う。
「うるせえよ」
声が小さい。悪態をつきつつも、幾分落ち着きを取り戻しつつあるように見える。
「靴を売りに出しているのは、早川が言った通り、文化祭の資金を調達するためだ」俺は続ける。「このメイド服の装飾を追加するのに、当初の予算では足りなくなったんだ。そのために不要なものを売って、売り上げ金でそれを賄おうとした」
「不要なもの、って……」
「不要なものだ」
きっぱりと返す。沈静しかけた高橋の士気が、再び燃え上がるのを感じた。
「なにがメイド服だよ。そんなふざけたもののために、靴を売ろうとしたのかよ」
「ふざけてなんかいない。うちのクラスメイトが、真剣にデザインした結果、どうしても欲しいと思った予算だ」
俺は言う。後ろで小さく、皆川が反応するのがわかった。
高橋の表情が、怒りから困惑へと変わっていく。
「わかんねぇよ。理解できねぇ。そこまでやるべきもんなのかよ」
心底、不可解だと言うように、訴えてくる。
「わからなくていい」
俺は返した。
「理解できなくていい。たとえ他の誰からも賛同が得られなくても、構わない」

そうだ。
これは、そういう類のものだ。

「悪いが、俺は靴を売るのを止めない。もうバレーボールをやることもない。その代わりに、売った金で、衣装を買う」
物言いがストレート過ぎたのか、高橋の顔が悲痛に歪んだ。
「すまない。そろそろフロアに戻る」
俺は高橋に背を向けた。
皆川が、物言いたげな顔で、こちらを見上げている。俺はその顔に向けて、ひとつ頷き、パーテーションの奥に帰る。

「ちぃーっす」

いつもの軽佻浮薄を装い、椅子に座ったままの早川が出迎えた。
「ずいぶん青春ドラマしてたな、お前ら」
「うるさい。休憩、終わるぞ」
「へーい」
背後で、扉の閉まる音。高橋が教室を去ったのだろう。止まっていた時が再び動き出したかのように、周囲の面々が作業に戻る気配がした。
「早川」
外していたヘッドドレス を結び直しながら、早川は俺を見た。
「バレーシューズ、値下げしてくれ。額は任せる」

ぽかんと開いた口が、にやりとした笑みを描き、また開く。
「りょーかい」という、間延びした声がそこから聞こえた。


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