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【短編(9/10)】回転木馬はAB型

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文化祭は二日で終了し、二日目の夜には閉会式がある。

閉会式の会場は、ライトアップされたグラウンドだ。中央に丸いステージがあり、その周りを全校生徒が好き勝手に取り囲む。聞けば、元々はキャンプファイヤーが催されていたらしく、その名残りでこのスタイルになっているらしい。
閉会式と言っても、委員会が関与するのは冒頭の形式ばった部分のみで、その後は有志の三年生が壇上で、歌だのダンスだのを披露するのが通例となっている。事実上の後夜祭だ。
今年は仰々しくも楽器屋機材を持ち込んだ連中が、ライブパフォーマンスを行なっていた。演奏と歓声が、この教室にまで聞こえてきていた。
「馬鹿騒ぎしちゃって、まぁ」
窓からグラウンドの様子を見下ろす皆川に、俺は手を動かしながら答える。
「楽しそうでなによりだろう。盛り下がるよりはいい」
「来年は、私たちの代だよね。誰がステージに上がるんだろう」
「さぁ。早川あたり、やりそうだがな」
「ふふふ。ありそう」皆川が笑って、こちらを向いた。「ごめん、手が止まってた。早く片付けなくちゃ」
皆が後夜祭を楽しんでいる中、いち早く委員の仕事を終えた俺と皆川は、教室の後片付けに取り組んでいた。明日以降の土日を挟んで、月曜日には通常授業が再開される。今夜のうちに、原状回復をしておく必要があった。
「猿渡君、ガムテープ、とって」
「おう」
「ありがとう」
雨降って地固まると言うのだろうか。昼間、高橋の一件があって以降、俺たちの間には以前と同じ、穏やかな空気が流れている。
机や椅子を直すのは俺、装飾品や小物を整理するのは皆川の仕事だ。
よそ見をしていたとは言え、皆川は手際がよく、ほぼすべてのアイテムが段ボールに収納され、残るはハンガーラックにかかった執事服とメイド服だけとなった。
「しかし、よくできた衣装だったねぇ」
皆川が言う。
タイミングを探っていたのは、こちらの方だ。まさか向こうから水を向けてくるとは思わなかったので、やや面食らう。
「ま。わざわざ予算追加までしたんだから、当たり前だけれど」
皆川はわざとらしく片目を瞑ってみせた。
ここまでお膳立てをされては、立つ瀬がない。俺は手を止めて、皆川に向き直る。
「すまん。わがままを言った」
頭を下げる。
「よろしい」
可愛らしく腕組みをして頷く姿に、思わず顔が綻んでしまう。つられるように、皆川もまた笑顔になった。
じんわりと胸に温かい滴が落ち、広がっていくのを感じる。
窓越しの演奏が、激しかったそれから、メロウな曲調に変わった。有名なポップスで、ボーカルの低い声がよく響く。窓ガラスに濾過されたそれは、ちょうど耳に心地よいボリュームだ。
「昼間、驚いちゃった」
「昼間?」
「あの、バレー部の人」
高橋が来たときのことを言っているらしかった。
「悪かったな。巻き込んで」
「ううん。それはいいの」首を振る。「驚いたのは、猿渡君が、あんなに衣装班のことを考えていたなんて、って」
「あぁ……」
確かに、あいつらを擁護するようなことは口にした。
「遠藤さんが真剣だったから、放っておけなかったんでしょう?」
「……まぁ、そうだが……」
肯定するとあらぬ誤解を招きそうだったが、皆川は正しく受け取ってくれたようだった。
「ごめんね」
皆川が言う。
「猿渡君が遠藤さんの肩を持ったとき、私ひどいこと言っちゃった」

そんなんだからバレー部でうまくやれなかったんじゃない。
あの日、恨めしい目つきで俺を見ながら、皆川はそう言った。

「昼間、話を横で聞いていて、思ったの。猿渡君も遠藤さんと同じように、真剣な気持ちで部活に臨んだのに、うまくいかなかったわけでしょう。だからこそ、遠藤さんのこと、応援したかったんじゃないかなぁ、って」
「応援、か……」
周囲から白い目を向けられることなど、意に介さず、衣装作りへのこだわりを貫いた遠藤。
試着の段階であれだけの賞賛を浴びたのだ。単なる自己顕示欲なら、その時点で十分に満たされていたはずだろう。
それでもなお、さらなるクオリティを求めて、あいつは動いた。並大抵の熱意ではない。

あぁ、そうか。

「そう言えば、早川に言われた」
「早川君が?なんて」
「遠藤と、俺が似たもの同士だと」
あの後、すぐに高橋がやってきて、真意を確かめることはできなかった。しかし、もしかしたら、同じようなことを言いたかったのかもしれない。
「わかる気がする」
皆川も同意する。
「なんていうか、こうと決めたら一直線っていうか。真面目というか、融通が効かないというか」
「融通が効かない、は悪口だ」
「あはは」

俺と遠藤が似ている。

果たして、そうだろうか。

追加予算を要求してきたときの、遠藤を思い出す。
あの眼差しにあった、強い光。
あの光が、俺にあるのか。

「違う」
「え?」

遠藤の姿が掻き消え、高橋の顔に変わる。
昼間、俺が拒絶を露わにしたときの、見放されたような、寂しい表情。
その表情そのままに、今度は俺の顔へとそれは変わった。
初めて、学校で女装をした、あのトイレで見た虚像。
あの青白い顔は、今思えば、高橋と変わらない。

「違う。俺と遠藤は」

急に、激しい羞恥が襲ってきた。

俺も同じだ。
同じだったし、今も同じ。
バレー部で孤立したときから、なにも変わっていない。

「どうしたの?猿渡君」
「皆川」
頭ではいけない、とわかりつつ、俺はたまらず、問いかけていた。
「もし仮にだが」
語尾が震える。

「今回のような女装を、普段から俺が嗜んでいたら、どう思う?」

俺たちの間を流れる空気が、ぴたりと止まったように感じた。
後夜祭の騒がしさも、鼓膜を震わすことはない。
皆川を見る。
小さく口を開けたまま、呼吸すら忘れたように固まっている。
「……え、いきなり何?」
絞り出された声には、戸惑いと困惑が滲んでいた。
「いや」
反射的に、否定の言葉が口を出た。
「それほどの熱意がないと、遠藤とは肩を並べられないだろう、と思ってな」
口の端を上げ笑みを作ってみせると、再び世界が動き出したように感じた。皆川は身体の強張りを解いて、「なんだ、そう言うこと」と息を吐く。
俺は不自然にならぬよう、作業を装って、皆川に背を向けた。
心臓が早鐘を打っている。鼓動で肺が圧迫され、息が十分に吸えない。
急げ。
頭の中で、怒号が飛ぶ
話題を変えろ。この場を離れろ。
早くしないと、手遅れになる。
今、確実に俺の中のどこかにできた、傷。
それが血を噴き出す前に。傷が傷の形を成す前に。
急げ。


「もう。気持ち悪いこと言わないでよね」

声がして、俺は皆川を見る。
困ったように眉をしかめ、それでも口元には笑みを讃えて。
なんでもない、いつもの軽口であるかのように。

「……あぁ、すまない」

この喉から出たはずの肉声が、まるで他人のそれのように離れたところから聞こえる。

ほら。
頭蓋の内側で、声がした。

ほら、違う。
遠藤ならこうはならない。
俺が本物なら、こんなことでは傷つかない。
だから、違う。

俺は、偽物だ。

窓越しに聞こえていた音楽が終わり、ボーカルを務めていた男が、ありがとう、と叫ぶ。歓声と拍手。後夜祭も幕引けだ。
「無駄話が過ぎたな」
俺の口から声が出た。
「その衣装を箱に詰めれば終わりだろう。俺も手伝うから、とっとと切り上げてしまおう」


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