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【短編(5/10)】回転木馬はAB型

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「脚の毛を処理してきてちょうだい」

祭の準備が着々と進み、本番まで残り一週間となった頃。遠藤から給仕係の男子に注文が下った。

制作に取り組んでいた衣装がようやく完成したらしい。明日試着してもらうから、脚の毛が目立つ人は、あらかじめ剃ってきて欲しい、とのことだった。
「あと、メイクもするから、そのつもりでいてね。いないと思うけれど、日焼け止めとか塗ってる人がいたら、明日はしてこないで」
同じ衣装班の女子が言う。化粧までやるとは聞いていなかったので、いささか面食らった。

「ぎゃー、ついに試着か」
「俺、ムダ毛処理なんてしたことねえよ」
「忘れたらガムテープだからな、お前」
「罰ゲームのやつじゃん、それ」

早川達四人がにわかにはしゃぎ出す。それを横目に、俺は複雑な心境だった。

ここまで本番が近づいてきても、人前で女装をすることに対する恐怖は消えなかった。むしろ日に日にそれは大きくなっていき、ついにこの時が来てしまったか、と処刑日を宣告された囚人の気分だった。
一方で、毛を剃って、化粧ができる、という点は僥倖だった。
これまで個人で楽しんでいた女装では、そこまで踏み込んでディテールにこだわることはできなかった。急に脚がつるつるになっていれば家族が怪訝に思うだろうし、メイクに至っては、道具も技術も必要である。
たとえ一時のイベントとは言え、その機会を得られるとは。普段の女装と比べ、仕上がりは格段によくなるに違いない。
同時に、そうまでして装った女性の姿が、嘲笑の的にされることを思うと、なおのこと恐ろしかった。完成度が高くなる分、それを否定された時のショックは計り知れない。

そんな俺の一喜一憂などお構いなしに、明くる日はすぐにやってきた。

「これが、ひとまずの完成品」

可動式のハンガーラックにかかり、仰々しく白い布のかかった状態で運び込まれたそれらが、遠藤の手によりお披露目される。
布が取れた瞬間、おぉ、というどよめきが起こった。
白黒のシックなメイド服ではあるが、シルエットが立体的で、華々しい。ブラウスの襟がフリル状になっていたり、袖口に細いリボンがあるなど、小技が効いている。一着ごとに首元のリボンの色に違いがあるなど、細部までのこだわりが窺えた。
既製品をベースにアレンジすると聞いていたが、原型がわからないほどオリジナリティが高い。短期間でよくここまで作り込めたものだ、と素直に感心した。

「すごいな」
「すげえ!」
俺が感嘆を漏らすのとほぼ同時に、早川が身を乗り出した。

「すげえな、遠藤。アニメのコスチュームみたいじゃん。下手すりゃ売れんじゃね、これ」
「見た目はね。問題は、着てみてしっくりくるかどうか」
「いやいや、これは誰が着ても映えるだろ。もっとちゃんと見ていいか?」
遠藤はラックから一着を抜き取り、展示品のようにこちらを向けてかけ直す。それに近付く早川に、他三人の給仕係男子も続いた。
「うお、すげえ」
「天才か」
「俺、可愛くなっちゃうかも」
惜しげのない賛辞に、衣装班の女子たちが顔を綻ばせる。中には努力が報われたことを喜んでか、涙ぐんでいる者までいた。「だから、着てみないとわからないって」と遠藤だけが真剣な面持ちだが、その声音にも喜びが滲んでいるように聞こえる。
俺もその輪に近寄り、至近距離でその出来栄えを確認した。
「どうよ。文化委員」
早川が訊ねてくる。遠藤もこちらを見た。
布地を手に取り、縫い目に指を這わす。遠目で見るよりやや粗が目立つが、それでも完成度が高い。
「クオリティーがすごいな。ありがとう」

思った通りのことを伝えたのだが、周りが驚いた様子で顔を見合わせるのがわかった。

「……何か変なこと言ったか」
早川を見ると、にやりとした笑みが返ってきた。
「なんだ。渋々かと思えば、お前もそれなりに乗り気でやってんじゃん。猿渡」
「本当」遠藤もそれに続く。「当初、すごく険悪な顔をしていたのに」
渋々。険悪。
確かに、諸々の事情が絡まり、憂鬱には感じていた。
しかし、そこまで仏頂面をしていたとは。
「文化委員だから仕方なくやってくれたんだろうけれど、本当に嫌なら辞めてもらっていいんじゃない、と思っていたの」
遠藤が言う。他の面々も同じ思いらしく、同調するように頷いていた。
そこまで周りに気を遣わせていたとあっては、委員失格である。むしろ率先して、そうした不協和音を取り除かなくてはならない立場であるのに。
知らず、皆川にも負担をかけていたのではないかと心配になり、その姿を探した。しかし、視界の内には見当たらなかった。
「別に、そういうわけじゃなかったんだが。空気を悪くしていたなら、すまない」
頭を下げる。
「いや、そう深刻にされると逆に重いから」
早川は言って、仕切り直しのように「よし」と続ける。

「じゃあ、ここは一発、文化委員様に栄えある試着第一号を飾ってもらいますか」

「え?」
おぉ、と周囲がどよめく。反して、俺は血の気が引いていくのを感じた。
いずれ試着は避けて通れない。だが、第一号とはなんだ。一人ずつ着替えて、それを大々的にお披露目、というような、バラエティじみた段取りを踏むつもりだろうか。

「ほら、着替えて来いって猿渡。次、渡部だからな」
「えぇー、なんで俺」
「ぎゃははは」

どうやらそのつもりらしい。
立ち尽くしていると、遠藤からハンガーにかかった一式を渡される。
「最初にリボンを解いて、ブラウス、スカート、エプロンの順に着て。縫製甘いところあるから、袖を通す時は気をつけて。最後に、これね」
衣装の上に、長い黒髪のウィッグを載せられる。
「ほら、早く」
「……あぁ」
この空気では、文句ひとつ言えそうにない。そのまま追い出されるように、教室から廊下へと出る。

こうなったら、もう駄目だ。覚悟を決めなくてはならない。

腕にかかった衣装一式を胸に引き寄せ、俺はトイレに足を向けた。
しかし、最初の一歩で、歩みが止まる。

「あれ、猿渡君」

向かう廊下の先に、皆川がいた。
学校指定の、小豆色のジャージ姿だ。ここのところ動き回ることが多いからか、放課後はこの格好に着替えている。書類の確認中だったようで、いつものバインダーを開いていた。
「それ、衣装?今から試着?」
俺の手元を見て訊ねる。
「あぁ、まぁ」
「わーすごい。みんな着替えてるの?」
「いや、俺が第一号」
「そう」
またからかわれるのでは、とも思ったが、それはなかった。「そうだ」と気を取り直した口調で、皆川は続ける。
「メインメニューのお好み焼き、ようやく許可証がもらえたの」
「そうか。間に合ってよかった」
「でもね、やっぱり予算が厳しくて。後でもう一度、相談させてくれないかしら」
「わかった」
「じゃあ」
「あぁ」
皆川はバインダーを閉じ、俺の横を通り過ぎて、教室へと入っていく。

本格的に文化祭準備が始まって以来、皆川とは、今のように事務的な意識合わせをすることはあっても、基本的に別行動の日々が続いていた。当初は、これを機にもう少し親密になれることを期待したが、準備自体が非常に慌ただしく、それどころではなかった。

という、だけではない。
正直なところ、意識的に深い接触を避けているところがあった。

見ものだね。

あの日の言葉の棘が抜け切らず、皆川に近づくことを恐れている自分がいた。そんな俺の異変を察してか、皆川も皆川で、積極的に踏み込んでこようとはしない。あいつからすれば、何が原因でこうなったかわからず、適切な距離を測りかねているのだろう、と思えた。

早川や遠藤たち。それに皆川。
方々に気を遣わせて、俺は何をやっているのだろうか。

女装を怖がっているのは、完全に個人的な都合だ。これ以上、迷惑をかけるわけにはいかない。
腕に抱えたメイド服を強く握り、男子トイレに向かう。
幸にして誰もいない。そのまま一番近い個室に入った。

制服を脱ぎ、与えられた衣装に身体を通す。家にあるメイド服より膝丈はやや短めだ。なにかしら履くものが欲しいが、用意はない。不快感を与えぬよう、歩くときは細心の注意が必要だ。
個室から出て、鏡の前へ。
脱いだ制服を傍に置き、ウィッグを被って位置を調節する。黒髪のストレート。テカリが少なく、質がいい。いつものごとく、できるだけサイドの髪が顔の輪郭を隠すよう、手櫛で整えた。
手を離して、今一度鏡を見る。
そこにある、青白く、みっともない顔に、我ながら落胆する。
衣装の出来はよく、また、着こなしも悪くはない。だが、表情がそれらを台無しにしていた。
しかし、こればかりはどうしようもない。
勢いに任せて着用したものの、不安と緊張で心臓がねじ切れそうだ。
果たして、これは受け入れてもられるのか。
気持ち悪い。気味が悪い。
もしそんな拒絶を受けようものなら。

しかし、ここまで来たら、考えていても仕方がない。
脱いだ制服を再び手に、トイレを出て、廊下を早足で教室へ向かった。
心なしか、先ほどより人通りが多い。すれ違う何人かが、物めずらしげにこちらを見てくるのがわかった。「何あれ」、「メイド?」。囁き声を振り切るように、歩を進める。

そのままスピードを緩めず、勢いに任せて教室のドアを開けた。

教師中の視線がこちらに集中する。無数の針を突きつけられているような、異様なプレッシャーを感じた。心臓は高鳴り、喉が渇いて仕方がない。
俺がどうにも動けずにいるからか、クラスの連中も何も言わない。
しばらく、静寂の間があった。

「かわいい!!」

突然、至近距離で声が弾ける。驚いて仰反ると、傍の座席で作業中だった女子が、こちらを見上げていた。
「本当だ、かわいいー!」
その隣の女子も、目を輝かせて呼応する。二人して立ち上がり、衣装の趣向に目を凝らし始めた。
「これ、手作り?すごい凝ってる」
「すごいね。遠藤さんたちが作ったんでしょ」
言いながら向けられる視線が、全身を行き来して、こそばゆい。「なにそれ、給仕係の服?」。二人のリアクションが伝播するように、急にむらむらと人が集まってくる。
「すごいな」、「かわいい」、「遠藤さんのデザインだっけ」。
気がつけば、十人ほどが半円を描いて俺を囲み、観賞会を始めていた。
「ていうか猿渡君、似合うね」
最初に近寄ってきた女子が言った。
「私も思った。スタイルいいよね」
「うらやましいなぁ」
二人して、俺の表情をうかがってくる。

似合う。スタイルがいい。
予想だにしなかった賛辞に、現実感が湧かない。大袈裟でなく、これは夢ではないかと思われる。

「ちょっと、おい!猿渡!早くこっち来いって!」
早川が人混みを押し除けて、俺の前までやってきた。そのまま腕を引っ張られ、教室の真ん中に連れ出される。
おおぉ、と囃し立てるような歓声が上がった。
四角い教室の中、俺を中心とした円ができ上がる。
三百六十度からの目線。

「かわいいな」
「うん。かわいい」
「ていうか、美人系?」
「猿渡君、脚ながーい」
「そこはかとなくエロいんですけど」
「俺も思った」

ざわめきにざわめきが重なっていく。それらが充満して爆発でも起こしそうな予感がした時、早川が隣に来て、俺の肩に手を置いた。
「どうよ。うちの文化委員、可愛くない?」
クラス中に同意を求めるように、問いかける。
不思議なことに、示し合わせたような拍手が起こった。
急に生まれた一体感に戸惑うばかりで、どのように振舞えばいいかわからない。

視界の中に、皆川を探す。幾度か首をひねって、先ほどの出入り口付近に立っているジャージ姿を見つけた。みんなと同じように手を叩いてくれている。
表情は笑顔で、それを見てようやく地に足がついた心地がした。


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