見出し画像

【短編(2/10)】回転木馬はAB型

<1>はこちら

<2>

家に帰り着いた後も、鬱々とした気持ちは晴れなかった。

両親は共働きで兄弟姉妹もいないため、この時間、家はいつも無人だ。照明の点いていないリビングに入り、ソファに腰を下ろすと、太いため息が口から漏れた。
つい一時間ほど前までの、皆川とのやりとりを回想する。

男装・女装喫茶。

厄介なことになった。
窓の外、差し込んだ夕陽が消えていく様にしばらく目を向ける。床を照らすオレンジが翳っていくにつれ、いくらか気持ちも落ち着いてきた。
母親がパートから帰ってくるまでには、まだ一時間ほど猶予がある。俺はカバンを持って立ち上がり、自室に向かった。一度シャワーを浴びようか迷ったが、汗は引いている。そのまま部屋に入り、鍵を閉めた。
カーテンが閉まっていることを確認。制服を脱いで、下着一枚になり、洋服ダンスの隣、物置の引き戸を開ける。
段ボールや衣装ケース、冬用の布団などが押し込まれている中、靴の入った直方体の箱がある。高校に入ってから新しく買ったバレーボールシューズだ。退部までのごく短い期間しか使っておらず、ほぼ新品に近い。捨てるのも、外履きとして使うのもはばかられ、こうして購入時の箱に入れて保管している。
その箱を床に置き、その下、中学の頃使っていたエナメル製のスポーツバッグを取り出す。学校名と「バレーボール部」の文字がプリントされたオリジナルのバッグで、三年間愛用していたものだ。中には当時のユニフォームや、冷却スプレー、練習用のハーフパンツ、シューズケースが入っている。そのシューズケースを取り出し、ファスナーを開けた。
収納されているのは、折りたたまれた衣類一式。
それらを取り出し、床に広げる。

襟と胸元、袖口は白く、その他はモスグリーンという配色のワンピース。加えて、その上から着用する白いエプロンに、リボンタイ。
いわゆる、メイド服と呼ばれる着衣だ。

ワンピースを頭から被り、背中のファスナーを閉める。エプロンをかけ、最後にリボンを首にかけた。
今一度、スポーツバッグを漁り、巾着袋を取り出す。試合の時に、よく着替えを入れていたものだ。口を開いて手を入れると、ウィッグのさらさらとした感触が出迎える。それを優しくつまんで引っ張り出し、短髪の上から装着する。
部屋の隅、姿見の前に移動して、全身を映す。エプロンやリボンの歪みを正し、膨らみがちなウィッグの毛を押さえつけた。ブロンドの長髪を手櫛で整え、顔の横幅を隠すように、耳の横の毛を中央に寄せる。
そのまま姿見の前に立ち、そこに映る自分をぼんやりと眺めた。

この衣装とウィッグは、中学時代の後輩からプレゼントされたものだった。
男同士の他愛ない会話で、「メイド服が好きだ」と口にしたのを誰かが覚えていたらしい。卒業の折、バレー部の後輩一同から、冗談めかした餞別として一式が贈呈された。げらげら笑いながら、その場のノリで着用し、部室での卒業パーティーの肴にした。

あれ、と気がついたのは、後日、そのパーティーの写真を見た時だった。
一時の恥だと思い、メイド服を着用したまま、様々なポージングで撮影をしていた。悪ふざけの色が強いショットが続く中、一枚、全身をやや下から写した写真があった。
アングルの妙か、脚の長さが強調され、顔が小さく見えるその画像からは、本当に自分かと見紛うような色気と美しさを感じた。よくよく見れば、濃く伸びた脚の毛や角ばった肩等、気にかかる部分はあるものの、ぱっと見た感じ、女性の写真だと言われても信じてしまう出来だった。

ぞくり、と歓喜とも恐怖ともつかない震えが、背筋を通ったのを覚えている。

その日の深夜、両親が寝静まった頃に、もらったメイド服を再度着用してみた。あれは写真だから。きっと実物は見るに耐えない。そう思って鏡の前に立ったが、やはり違った。
芋のようにごつごつした輪郭がウィッグの毛で隠され、太くはあるが真っ直ぐな鼻筋が強調されて見えた。エプロンのフリルが肩まわりでボリュームを添えてくれるおかげで、頭のサイズも幾分か小さく感じる。腰より少し高い位置で結んだエプロンのせいか、脚の長さがより際立っていた。
悪くない、と思った。
そのまま、いろんなポージングを試した。角度を変え、距離を変え、丈の長さや着こなしを変え。鏡に映すだけでは飽き足らず、それをスマートフォンのカメラで収めた。画像を加工する機能で、明度や彩度を調整すると、肌が白く艶やかになり、より華やかさが増した。
背徳感を覚えながらも、今まで覚えたことのない高揚に襲われ、深夜に及ぶまで撮影を繰り返した。着替えて、寝床についてからも、興奮は治らなかった。

自分が、自分の外見に対して、自分が思っている以上にコンプレックスを抱いていたことを、俺はその時初めて知った。

綺麗でありたい。かっこよくありたい。同じクラスのあいつみたいに。テレビに映る誰それのように。一度は抱いた覚えがあるものの、自分のそうした願望に対し、「どうせ無理だ」と真剣に取り合うことはそれまでになかった。
だがそれを、叶える方法がある。
この服を着れば。鬘を被れば。女性を装えば。

一般的に、アブノーマルとされる趣味嗜好であることは理解していた。その瞬間を迎えるまでは、自分も眉を顰めて倦厭する側だった。不届きな話、嘲笑の対象ですらあったかもしれない。そういったものに傾倒する者は、性的に倒錯したものを抱えているのでは、と思い込んでいた。
そうではなかった。少なくとも俺の場合は違うように思えた。
それが証拠に、その行為に拍車がかかることはなかった。女性の格好をして、写真を撮る。それだけで、十分心は満たされた。その格好で性的な行為をしたいとは思わないし、同性に対して劣情を抱くこともない。ただただ美しくいられる瞬間を満喫する。俺にとってはそういう類のものらしかった。

このメイド服以外にも、いくつか女性用の服を買った。本物は買う勇気が無いので、量販店で売っているパーティーグッズの類だ。チャイナ服に、セーラー服。ウィッグも長い黒髪のタイプを買い足し、違うカバンに隠している。
親や友人に見られたら一巻の終わりだ。猥褻な本やDVDが見つかった方が、何倍もましである。

そうまでしてひた隠しにして来た女装姿を、文化祭の催しとは言え衆目に晒す。
それを考えると、やはり恐怖だ。
男同士で女装姿を見せ合い、腹を抱えて笑い合う。女子もそれに混じって、面白おかしく茶化し合う。その中で飛び交う会話に、必ず出てくるであろう一言。

「気持ち悪い」

それが自分に向けられて発せられることを想像して、身悶えるような痛みに襲われる。

もしそれを口にしたのが、皆川だったら。

ぶるり、と肩が震えて、俺はウィッグを引っ掴むようにして外した。エプロンとワンピースも脱ぎ、床に放り投げる。

たとえ冗談めかしてであったとしても、あいつにそれを言われたら。
その深い傷は、今後一切、この服を着れなくしてしまうだろう、と思えた。


<3>はこちら


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?